土曜日は東京競馬場の下見、昨日は標高902mの山のトレッキングと、激動の週末を無事終えました(ちなみに一昨日は19,330歩、昨日は20,124歩と、よう歩きました 笑)。私は週末の2日とも外出することはめったにないんですが、忙しくも楽しいweekendでしたね。
「AIができることを人は目指してはいけない」:「AIが発達すると人間の仕事がAIに奪われる」とはよく言われることですが、それはおっしゃる通り「マニュアル通り」の仕事でしょう。人間は良くも悪くも複雑怪奇な生き物ですから、人間の行為が完全にAIに取って代わられることは未来永劫ないと思います(だいたいAIの自動音声も、いまだに時々変な日本語を話しますしね)。なので安心して、私は「シャカリキに仕事したくない&好きなことをどんどんやる」という「怠け者&マイペース道」を磨き、輝かせます!(「怠け者道」が輝くなんてことあるのかな?とも思いますけど 苦笑)Yoyuko-sanも「日輪に頻繁に出会う」というお得意の霊感?を活かして、世の人たちの平安な生活を祈り続け、支えて下さいませ。
「めぐりあい あなたにめぐりあえてほんとうによかった ひとりでもいい こころからそういってくれるひとがあれば」
相田みつをカレンダーの今月の作品です。僕は「Yoyukoさんとめぐりあえてほんとうによかった こころからそう」思っていますよ。Grazie! Ciao ciao, Yoyuko-san. Felice giornata! A presto!
2024年04月22日
2024年04月20日
ある女性と人生を語る(5)
Buongiorno a me, e buonanotte a te?, Yoyuko san. 「家の中に本以外のたくさんの誘惑があるので、1つ1つに割く時間が、どうしても細切れになってしまいます。」これ、私も全く同じです(笑)。マンガの単行本、映画やドラマやスポーツのDVD、録画したTV番組のディスクなどが部屋の中に充満していますので、「太陽がいっぱい」ならぬ「誘惑がいっぱい」です(笑)。なので本当に読書に集中したい時は図書館に行くことにしています。
「他に迎合しない我儘な私」:先日例の会のイベントで井の頭公園に行き、打ち上げの飲み会が終わった後の帰りの電車の中で、ある女性に「渡部さんは全然酔ってないですね」と言われました(私が飲んだのは最初のビール中ジョッキとレモンサワー、あとは冷酒をおちょこでちょびちょびだったので、大した量は飲んでいませんでした)。私はこう答えました。「酔いたくないんですよね。僕は飲み会では飲むよりも食べるのと人と話すのが好きなんです。僕は酔うと眠くなるし、ろれつが回らなくなるので、そうなると人とお話ができなくなります。だから飲む量を抑えて、飲むペースもゆっくりにしています。」これを聞いた2人の女性は、何か怪訝そうな顔をしていました。「男のくせにチマチマとしたこと考えてんだな〜」と顔に書いてありましたね(笑)。でも私はまったく気にしていません。「人との会話を楽しむために酒を抑える」これは自分にとって正しいポリシーなので、他人に迎合はしません。I don't care what you say anymore, this is my life.(君が何を言おうと知ったこっちゃない、これが俺の人生だ:ビリー・ジョエル「マイ・ライフ」より)
「この地球という舞台で演技している俳優」私はどんな役かな〜。相当にアクの強い個性派俳優であることは間違いないから(笑)、まず善人役は無理。かといって凶悪犯も、そんな迫力は出せないからこれも無理。「それなりに社会との接点を持ちながらも、マイペースに飄々と生きている男」これが私のキャラですね。でもこれだとそんなにアクも強くないし、個性派でもないかな?(笑)
私は利他行動もしていますが、自己顕示欲もかなり強い人間(=目立ちたがり屋)ですので、自分をアピールする行動も近いうちに始めようと思っています。それはたぶん日本人のスタンダードからはかなりかけ離れたものなので、相当な恥さらしになるかもしれせん。でもやります。"I will do, as I wanna do."(やりたいからやる)これも私のポリシーですので。
「決して、自分自身が自分の「アンチ」になってバッシングしてはいけません。バッシング役はちゃんと、家族やら、同僚やらの他人が演じてくれますから。」確かに。自分のバッシングは他人がたっぷりしてくれますから、そこに「セルフ・バッシング」までしては傷だらけ、満身創痍になってしまいますね。ネット上での他人への誹謗中傷が後を絶たない昨今ですから、せめて自分のことぐらいは褒めてあげないと。それに「自分を褒められれば他人も褒められる」でしょうしね。
Giochiamo nella nostra vita con gioia❣️ (We play in our lives with joy!) 意訳すれば「楽しんでこそ人生!」ですかね。お互いそう長くはない残りの人生、どれだけ楽しいことを見出して生きて行けるか、ですね! Ciao ciao, Yoyuko san. Buon fine settimana! 私は今日は東京競馬場観戦ツアーの下見、明日は例の会のトレッキングと、忙しくも楽しい週末になりそうです(笑)。 A dopo!
「他に迎合しない我儘な私」:先日例の会のイベントで井の頭公園に行き、打ち上げの飲み会が終わった後の帰りの電車の中で、ある女性に「渡部さんは全然酔ってないですね」と言われました(私が飲んだのは最初のビール中ジョッキとレモンサワー、あとは冷酒をおちょこでちょびちょびだったので、大した量は飲んでいませんでした)。私はこう答えました。「酔いたくないんですよね。僕は飲み会では飲むよりも食べるのと人と話すのが好きなんです。僕は酔うと眠くなるし、ろれつが回らなくなるので、そうなると人とお話ができなくなります。だから飲む量を抑えて、飲むペースもゆっくりにしています。」これを聞いた2人の女性は、何か怪訝そうな顔をしていました。「男のくせにチマチマとしたこと考えてんだな〜」と顔に書いてありましたね(笑)。でも私はまったく気にしていません。「人との会話を楽しむために酒を抑える」これは自分にとって正しいポリシーなので、他人に迎合はしません。I don't care what you say anymore, this is my life.(君が何を言おうと知ったこっちゃない、これが俺の人生だ:ビリー・ジョエル「マイ・ライフ」より)
「この地球という舞台で演技している俳優」私はどんな役かな〜。相当にアクの強い個性派俳優であることは間違いないから(笑)、まず善人役は無理。かといって凶悪犯も、そんな迫力は出せないからこれも無理。「それなりに社会との接点を持ちながらも、マイペースに飄々と生きている男」これが私のキャラですね。でもこれだとそんなにアクも強くないし、個性派でもないかな?(笑)
私は利他行動もしていますが、自己顕示欲もかなり強い人間(=目立ちたがり屋)ですので、自分をアピールする行動も近いうちに始めようと思っています。それはたぶん日本人のスタンダードからはかなりかけ離れたものなので、相当な恥さらしになるかもしれせん。でもやります。"I will do, as I wanna do."(やりたいからやる)これも私のポリシーですので。
「決して、自分自身が自分の「アンチ」になってバッシングしてはいけません。バッシング役はちゃんと、家族やら、同僚やらの他人が演じてくれますから。」確かに。自分のバッシングは他人がたっぷりしてくれますから、そこに「セルフ・バッシング」までしては傷だらけ、満身創痍になってしまいますね。ネット上での他人への誹謗中傷が後を絶たない昨今ですから、せめて自分のことぐらいは褒めてあげないと。それに「自分を褒められれば他人も褒められる」でしょうしね。
Giochiamo nella nostra vita con gioia❣️ (We play in our lives with joy!) 意訳すれば「楽しんでこそ人生!」ですかね。お互いそう長くはない残りの人生、どれだけ楽しいことを見出して生きて行けるか、ですね! Ciao ciao, Yoyuko san. Buon fine settimana! 私は今日は東京競馬場観戦ツアーの下見、明日は例の会のトレッキングと、忙しくも楽しい週末になりそうです(笑)。 A dopo!
ある女性と人生を語る(4)
山形は「山の形」だから「山」ですか。そのものズバリですね(笑)。出羽三山は私の地元にあり、月山と羽黒山は登ったことがありますが、湯殿山がまだなんです。いつか「出羽三山を巡るツアー」に行きたいと思っています。
私も歌は歌詞よりメロディーに魅かれるタイプですが(特に洋楽はほとんどそうです。英語でも歌詞の意味はよく分からないですからね 苦笑)、その中でメロディーよりも歌詞にビビッときたレアな歌が、中島みゆきの「時代」、ゆずの「栄光の架橋」、馬場俊英の「スタートライン」です。ともに打ちひしがれた人を励まし背中を押す歌で、「時代」や「栄光の架橋」はスポーツ選手の心の支えになり、「スタートライン」は特に中高年の人たちに響いたようです。
この「羽の出る前の帰郷」3日間で何を得、何を手放せたかはわかりませんが、一つ不思議だったのは、行き帰りの車中やホテルの部屋で、読書が思いのほかスイスイ進んだことです。読みかけの本2冊と全く読んでいない本を1冊持って行ったんですが、「全部読み終えるのは無理だろうな」と思っていたのが、特にホテルの部屋の中でかなり読み進み、帰りの山手線の中で3冊目も読み終えてしましました。…新幹線やホテルの一室という「非日常&他にすることがない」という状況がもたらしたのかもしれませんが、それだけではないような気がします。
(今回の帰郷には訳があるんですが、それはいずれお話ししますね)
「憎しみや悲しみを抱いたままの、丸ごとの自分自身をゆるす」「自分の負の言動を心底ゆるせた時、他人の言動もゆるせる」:そうか、「負の感情を捨てようと躍起になる」⇒「負の感情を強く意識してしまう」ことになりますね。それを心の奥底に抱いたまま、ゆるりとさらりと生きる。「自分を許せれば他人も許せる」。ということは、「徹底的に自愛できれば、徹底的に他人も大切に思える」ということになりますね。これは理想的な心境だな。Ciao ciao, Yoyuko san. Spero della tua vera felicità❣️(←いい言葉ですね。「本当の幸せ」銀河鉄道の夜を思い出しました。
私も歌は歌詞よりメロディーに魅かれるタイプですが(特に洋楽はほとんどそうです。英語でも歌詞の意味はよく分からないですからね 苦笑)、その中でメロディーよりも歌詞にビビッときたレアな歌が、中島みゆきの「時代」、ゆずの「栄光の架橋」、馬場俊英の「スタートライン」です。ともに打ちひしがれた人を励まし背中を押す歌で、「時代」や「栄光の架橋」はスポーツ選手の心の支えになり、「スタートライン」は特に中高年の人たちに響いたようです。
この「羽の出る前の帰郷」3日間で何を得、何を手放せたかはわかりませんが、一つ不思議だったのは、行き帰りの車中やホテルの部屋で、読書が思いのほかスイスイ進んだことです。読みかけの本2冊と全く読んでいない本を1冊持って行ったんですが、「全部読み終えるのは無理だろうな」と思っていたのが、特にホテルの部屋の中でかなり読み進み、帰りの山手線の中で3冊目も読み終えてしましました。…新幹線やホテルの一室という「非日常&他にすることがない」という状況がもたらしたのかもしれませんが、それだけではないような気がします。
(今回の帰郷には訳があるんですが、それはいずれお話ししますね)
「憎しみや悲しみを抱いたままの、丸ごとの自分自身をゆるす」「自分の負の言動を心底ゆるせた時、他人の言動もゆるせる」:そうか、「負の感情を捨てようと躍起になる」⇒「負の感情を強く意識してしまう」ことになりますね。それを心の奥底に抱いたまま、ゆるりとさらりと生きる。「自分を許せれば他人も許せる」。ということは、「徹底的に自愛できれば、徹底的に他人も大切に思える」ということになりますね。これは理想的な心境だな。Ciao ciao, Yoyuko san. Spero della tua vera felicità❣️(←いい言葉ですね。「本当の幸せ」銀河鉄道の夜を思い出しました。
ある女性と人生を語る(3)
Yoyukoさんも「あさきゆめみし」読んでいましたか!例の会の女性メンバーたちと源氏物語の話になった時に「あさきゆめみし」の話もしたんですが、誰も読んでいませんでした。まあ人気があったとはいえ、世の女性全員が読んだわけではないでしょうからね(そもそもマンガを読まない人もいますし)。
47都道府県に象徴する漢字一文字を当てる:面白いですね。四国お遍路終着地の讃岐が「悟」は納得。私の郷里は「出羽」とか「羽前」と呼ばれていますが、象徴する漢字は何ですか?(僕の印象では「穏」かな)私はいまだにもがきまくっている最中ですが、もがき切った先に何が見えるか。いや、もがき切らずに終焉の時を迎えるかもしれませんが…。
Yoyukoさんの「不動の滝」でのエピソードで思い出したことがあります。私が一番好きなマンガ家のちばてつやさんの、相撲界を描いた作品「のたり松太郎」でのエピソード。松太郎の中学時代の恩師・島田先生が末期がんを患って入院し、いつもテキトーに相撲を取っている松太郎は、恩師を励まそうと一躍幕内優勝を目指して白星を重ねます。残念ながら場所の最終盤でケガをして優勝を逃しますが、島田先生の病気もガンではなかったことが判明します。場所後に松太郎が見舞いに行った時、島田先生がこう語ります。
「もう自分の人生は終わると覚悟したら、病室内での他の患者さんたちとの何気ないおしゃべりがすごく楽しく尊く感じたり、病室の窓から見える夕焼けがいつにもまして美しく見えたりして、見るもの感じるものすべてに感謝するようになった。これは決して強がりではなく、ガンになったことは幸運だったと心底思えたんだ」こう語る時の島田先生の表情はとても穏やかで、まさに「悟りの境地」でした。
これは昨日紹介した紫の上と同じ心境でもありますよね。「転んだからこそ見えるものがある」転びまくってきた我が人生ですが、「これも一局」と心底思える時がいつか来ることを願いたいですね。
藤井風さんの「帰ろう」聴いてみました。歌詞がいいですね!「去り際の時に 何が持っていけるの 一つ一つ 荷物手放そう 憎み合いの果てに何が生まれるの わたし わたしが先に 忘れよう」ここが一番沁みました。「わたしが先に忘れよう」これができれば、人を憎んだり、いつまでもマイナスの感情を引きずったりすることはなくなりますよね。まさに「ノイズの無い『静かな境地』」。「でもそれがなかなかできねえんだなあ。にんげんだもの」ヒトとは本当にやっかいな生き物ですね。
Ciao ciao, Yoyuko san. A presto! Buona giornata!
P.S. 今日から3日間、訳あって帰郷します。返信は早くても18日(木)の夕方になります。よろしく!
47都道府県に象徴する漢字一文字を当てる:面白いですね。四国お遍路終着地の讃岐が「悟」は納得。私の郷里は「出羽」とか「羽前」と呼ばれていますが、象徴する漢字は何ですか?(僕の印象では「穏」かな)私はいまだにもがきまくっている最中ですが、もがき切った先に何が見えるか。いや、もがき切らずに終焉の時を迎えるかもしれませんが…。
Yoyukoさんの「不動の滝」でのエピソードで思い出したことがあります。私が一番好きなマンガ家のちばてつやさんの、相撲界を描いた作品「のたり松太郎」でのエピソード。松太郎の中学時代の恩師・島田先生が末期がんを患って入院し、いつもテキトーに相撲を取っている松太郎は、恩師を励まそうと一躍幕内優勝を目指して白星を重ねます。残念ながら場所の最終盤でケガをして優勝を逃しますが、島田先生の病気もガンではなかったことが判明します。場所後に松太郎が見舞いに行った時、島田先生がこう語ります。
「もう自分の人生は終わると覚悟したら、病室内での他の患者さんたちとの何気ないおしゃべりがすごく楽しく尊く感じたり、病室の窓から見える夕焼けがいつにもまして美しく見えたりして、見るもの感じるものすべてに感謝するようになった。これは決して強がりではなく、ガンになったことは幸運だったと心底思えたんだ」こう語る時の島田先生の表情はとても穏やかで、まさに「悟りの境地」でした。
これは昨日紹介した紫の上と同じ心境でもありますよね。「転んだからこそ見えるものがある」転びまくってきた我が人生ですが、「これも一局」と心底思える時がいつか来ることを願いたいですね。
藤井風さんの「帰ろう」聴いてみました。歌詞がいいですね!「去り際の時に 何が持っていけるの 一つ一つ 荷物手放そう 憎み合いの果てに何が生まれるの わたし わたしが先に 忘れよう」ここが一番沁みました。「わたしが先に忘れよう」これができれば、人を憎んだり、いつまでもマイナスの感情を引きずったりすることはなくなりますよね。まさに「ノイズの無い『静かな境地』」。「でもそれがなかなかできねえんだなあ。にんげんだもの」ヒトとは本当にやっかいな生き物ですね。
Ciao ciao, Yoyuko san. A presto! Buona giornata!
P.S. 今日から3日間、訳あって帰郷します。返信は早くても18日(木)の夕方になります。よろしく!
ある女性と人生を語る(2)
般若心経については、ずいぶん前に今は亡き瀬戸内寂聴さんの「寂聴 般若心経 生きるとは」という本を買い、サラッとですが読みました。寂聴さんは「ぎゃーてー、ぎゃーてー、はーらーぎゃーてー、はらそうぎゃーてー、ぼうじそわか」の部分は「宇宙の生命に呼びかけるマントラ」で、「オーケストラで言えばフィナーレのジャジャジャジャーンという、すごく感動的なところ」、「指揮者だったら気持ちのいいところ」、「『心経』の一番大切なところで、非常に神秘的なものだから、わざと訳さない。訳すとありがたみがなくなる」とおっしゃっています。私もこの般若心経はお寺で何度か聞いたことがありますが、この「掲諦掲諦」の部分は確かにフィナーレの盛り上がりを感じますね。これを「聖なる母を呼ぶ赤ん坊(我々人類)の泣き声」と解釈するとは、確かにかなり斬新。「ぎゃーてー」と「おぎゃー」を結び付けたのか、いや、そんな単純なものではないでしょうね。
「『私の為』にとっては良本だった」...というご報告でした。:はい、それでけっこうです(笑)。私も自分の好きな本や映画や音楽がありますが、それをここでYoyukoさんに話す時は、単に「私はこれが好きです」と言うだけで、「Yoyukoさんもぜひ読んで/観て/聴いてみて下さい」と言ったことはありませんよね。我々は好きな音楽や映画などにけっこう共通点はありますが、全部同じではないですから、「好き」にも温度差があって当然です。私は以前よりは俗世間から距離を置けていますが、まだまだ悟りの境地には程遠いです。まあこれからも、無理せず気楽にやっていきます。
今、去年の暮れに一度通読した源氏物語のマンガ版「あさきゆめみし」(大和和紀・著)を読み直しています。源氏物語については、与謝野晶子の現代語訳版を去年の秋から読み始めたのですが、現代語訳でも難しくて、なかなか読み進めずに難渋していた時、マンガ版があることをふと思い出し、アマゾンで全13巻を大人買いして、12月に一気に読みました。特にほとんど知らなかった「宇治十帖」をマンガとはいえ初めて通読し、ようやくこの大作をサマリーですが読み終えることができました。
そして先日、フッと思って「あさきゆめみし」を再読し始めたのですが、前回は読み流していた箇所が、今回は心に留まることがあちこちにあるんです。特に今日読んだ、紫の上の晩年のシーン「御法」。法華経の供養会を催したいと紫の上が言うと、彼女の人徳で多くの人と見事な供え物が集まります。しかし自分の寿命が長くはないと覚悟している紫の上は、「皆と会うのもこれが最後」と感慨にふけります。…すると差し込む陽の光がまばゆく感じられ、胸中でこうつぶやきます。
「花々のかぐわしさ…萌えでる木々の緑…さまざまの鳥の啼きかわす声…ああ…!この世はなんと美しいのだろう…!生きとし生けるものは みななんと美しい輝きに満ちているか…!わたくしはこの世と…この世に生きることをこんなにも愛している…この終わりのときにさえ…この舞い人 かの奏者 きょうをかぎりに会うことのないすべての人たちを…!」
Yoyukoさんはまだまだ「終わりの時」ではないですが、この紫の上の思いは今のあなたの心境にかなり近いのではありませんか?
「寝ても覚めても Sogni d'oro❣️」をお氣に入りいただきましてGrazie! これからはこれを我々の合言葉にしましょうか。日本に住んでいても、イタリア人を見習って、毎日を面白おかしく、寝ても、覚めても、Sogni d'oro❣️ Ciao ciao Yoyuko san. A dopo❣
「『私の為』にとっては良本だった」...というご報告でした。:はい、それでけっこうです(笑)。私も自分の好きな本や映画や音楽がありますが、それをここでYoyukoさんに話す時は、単に「私はこれが好きです」と言うだけで、「Yoyukoさんもぜひ読んで/観て/聴いてみて下さい」と言ったことはありませんよね。我々は好きな音楽や映画などにけっこう共通点はありますが、全部同じではないですから、「好き」にも温度差があって当然です。私は以前よりは俗世間から距離を置けていますが、まだまだ悟りの境地には程遠いです。まあこれからも、無理せず気楽にやっていきます。
今、去年の暮れに一度通読した源氏物語のマンガ版「あさきゆめみし」(大和和紀・著)を読み直しています。源氏物語については、与謝野晶子の現代語訳版を去年の秋から読み始めたのですが、現代語訳でも難しくて、なかなか読み進めずに難渋していた時、マンガ版があることをふと思い出し、アマゾンで全13巻を大人買いして、12月に一気に読みました。特にほとんど知らなかった「宇治十帖」をマンガとはいえ初めて通読し、ようやくこの大作をサマリーですが読み終えることができました。
そして先日、フッと思って「あさきゆめみし」を再読し始めたのですが、前回は読み流していた箇所が、今回は心に留まることがあちこちにあるんです。特に今日読んだ、紫の上の晩年のシーン「御法」。法華経の供養会を催したいと紫の上が言うと、彼女の人徳で多くの人と見事な供え物が集まります。しかし自分の寿命が長くはないと覚悟している紫の上は、「皆と会うのもこれが最後」と感慨にふけります。…すると差し込む陽の光がまばゆく感じられ、胸中でこうつぶやきます。
「花々のかぐわしさ…萌えでる木々の緑…さまざまの鳥の啼きかわす声…ああ…!この世はなんと美しいのだろう…!生きとし生けるものは みななんと美しい輝きに満ちているか…!わたくしはこの世と…この世に生きることをこんなにも愛している…この終わりのときにさえ…この舞い人 かの奏者 きょうをかぎりに会うことのないすべての人たちを…!」
Yoyukoさんはまだまだ「終わりの時」ではないですが、この紫の上の思いは今のあなたの心境にかなり近いのではありませんか?
「寝ても覚めても Sogni d'oro❣️」をお氣に入りいただきましてGrazie! これからはこれを我々の合言葉にしましょうか。日本に住んでいても、イタリア人を見習って、毎日を面白おかしく、寝ても、覚めても、Sogni d'oro❣️ Ciao ciao Yoyuko san. A dopo❣