2017年01月29日

予想外の急展開に驚き、そのあと落ち着いて心から祝福 〜稀勢の里悲願の初優勝、そして第72代横綱に昇進〜

1月10日の記事(http://keep-alive.seesaa.net/article/445759602.html?1485645130)で私は、大事な一番で勝てない錦織圭と稀勢の里に対し、「善戦マンから脱却してチャンピオンになれ!」と叱咤激励した。そうしたらその稀勢の里が初場所でついに念願の初優勝、さらに横綱昇進を決めた。本当はすごくうれしいはずなのに、展開が早すぎて、その後何日かは戸惑いの気持ちが消えなかった。ここ数日でようやく落ち着き、「第72代横綱・稀勢の里」の誕生を心から祝福している。

横綱審議委員会の横綱推薦の内規は、@品格・力量が抜群 A大関で連続優勝、またはそれに準ずる成績 と規定されている。稀勢の里の場合、土俵上の態度や振る舞いは十分品格があるし、昨年に年間最多勝を挙げたように力量も十分あるので、@はクリアしている。しかしAは、先場所(九州場所)は優勝次点の成績なので、連続優勝はしていない。となると「それに準ずる成績」に当てはまるかだが、過去の例で見ると、優勝+優勝同点(優勝決定戦で敗れる)または優勝次点というケースが多い。これで見ると稀勢の里は「準ずる成績」を挙げている。ただ先場所が12勝3敗という、優勝次点にしてはやや物足りない成績なのだが、それでも14日目に優勝が決まった時点で(つまり千秋楽の白鵬戦の結果が出る前に)、八角理事長は横綱審議委員会に稀勢の里の横綱昇進を諮ることを決めている。このすばやい動きの根拠になったのが、稀勢の里の直近6場所の高いレベルでの安定感である。

2016年春:13勝2敗   夏:13勝2敗   名古屋:12勝3敗
秋:10勝5敗   九州:12勝3敗  2017年初:14勝1敗(優勝)


勝率は8割2分2厘。これは現在の3横綱の昇進前6場所の勝率(日馬富士7割5分5厘・鶴竜7割3分3厘・白鵬6割5分5厘)を大きく上回っている。加えて、昨年は3横綱を抑えて年間最多勝を挙げている。横綱をも上回る高いレベルでの安定感を示している稀勢の里、相撲協会や横審にしてみれば、「あとは優勝するだけ」と、彼の優勝を手ぐすね引いて待っていたに違いない。そしてついについに実現した初優勝、その瞬間、まさに引き絞っていた矢が放たれたように、八角理事長は横審に諮問したのだ。横審にしてもまさに「諸手を挙げての推薦」だっただろう。

(千秋楽に白鵬に勝ったのは、単に「初優勝と横綱昇進に花を添えた」だけでなく、これまで「ここという一番で敗れ続けてきた大きな壁を破った」という意味でも、大きな白星だった

稀勢の里は毎日新聞への手記で、「目指すところにはまだ4割程度しか到達していない。自分は昔から体つきが5〜6歳若いから、今は30歳だが、25歳だと思っている。自分は早熟で晩成という珍しいタイプ」と記している。史上2番目のスピード出世で入幕しながら、大関と横綱で大きな壁にぶつかった稀勢の里。年齢的には遅咲きの横綱だが、本人の言う通り「今は25歳」なら、まったく遅咲きではない。むしろ最大の壁をついに破ったここから、彼の相撲人生の真骨頂が見られるのかもしれない。陰りが見える白鵬、成績が不安定な日馬富士と鶴竜。この先輩横綱たちを尻目に、ここから稀勢の里の「遅れてきた黄金時代」が花開くか。その抜群の安定感が今後も持続すれば、これは十分にあり得るだろう。

昨年急逝した元横綱・千代の富士は、25歳で横綱に昇進。その31回の優勝のうち19回が、30歳を超えてからの優勝である。当年30歳の稀勢の里、「今は25歳」「早熟で晩成」なら、この大横綱と同じぐらいの優勝回数を重ねてもまったく不思議ではない。私は真剣に、「稀勢の里の遅れてきた黄金時代」を期待し、かつ信じる。

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2017年01月20日

「ヒラリーだったらこんなことにはならなかった」 〜今すでに世界中で漏れている(であろう)、つぶやき、溜息〜

ドナルド・トランプ新アメリカ大統領が、アメリカ時間の今日誕生する。昨2016年の世界2大サプライズ、「イギリスEU離脱決定」と「傍若無人・暴言癖の男が、何と米大統領に!」の、一方の当事者である。

この人、選挙に当選して「次期米大統領」と呼ばれるようになるや否や、さっそく世界を騒がせてくれている。「TPPには参加しない」「オバマケアはやめる」あたりはまだ政治のことなのだが、最近のフォードやトヨタへの圧力「メキシコに工場を作るなら多額の関税をかけるぞ!」はモロに強引な企業経営者の顔であり、こんな露骨な経営干渉をした米大統領はかつていなかった。さらに記者会見では、自分に批判的なCNNの記者の質問を完全に無視し、「ウソニュースだ」と決めつけた。「助走段階」でこれだから、大統領に就任して「本番」になったら、いったい何を言い、何をやらかすのか、まったく予測がつかない。


アメリカのみならず、今世界中では、こんなつぶやきが漏れているかもしれない。「ヒラリーだったら、こんなことにはならなかった」まあヒラリーならずとも、他のどの候補者が当選しても、助走段階でも本番でもこんなことはやらかさないだろう。トランプ氏の支持者は、こういうよく言えば破天荒なところに、旧来の政治家にはない魅力を感じて彼を支持しているのだろうが、それにしても型破りが過ぎる。就任式には民主党の議員の60人近くが欠席すると表明しており、パレードに参加する市民の数も通常の半分ほどになるという。各地で多数の抗議デモも行われる予定だ。

「〇〇だったら、こんなことにはならなかった」。このつぶやき、以前も聞いたことがあるし、私自身もつぶやいたことがある。2001年、激戦の末米大統領に就任したジョージ・W・ブッシュ。就任1年目に同時多発テロが勃発し、「テロとの戦い」を標榜して当初は支持率も高かったが、他国を「悪の枢軸」呼ばわりしたり、大量破壊兵器保持の確かな根拠もなくイラク戦争を起こしたりと、世界のあちこちで紛争騒ぎを起こした。このヤンキー気質丸出しの好戦的な大統領のおかげで、世界中がえらく物騒になってしまった(映画監督のマイケル・ムーアは「おい、ブッシュ、世界を返せ!」を著したが、私もこのタイトルの言葉をそのままブッシュ大統領に突きつけたい気分だった)。

この時、私が思っていたこと:「アル・ゴアだったら、こんなことにはならなかっただろうな」大統領選でブッシュと大激戦を繰り広げたアル・ゴア副大統領(当時)。のちにアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞・歌曲賞を受賞した映画「不都合な真実」に主演し(書籍化されてベストセラーにもなった)、世界有数の環境保護論者として脚光を浴びた。こんな彼なら、ブッシュのように世界中に紛争の種をまき散らすようなことは絶対にしなかっただろう。れば・たらは無意味とわかっていての、むなしいつぶやき、いや溜息である。


さてトランプ新大統領、この先どれだけの溜息、嘆きを世界中に蔓延させることになるのか。何せ言うことややることに予測がつかないのが困る。普通なら「お手並み拝見」と静観するところだが、静観などしたらどんどんとんでもないことをやってくれそうだ。しかし無力なただの一市民である我々に、何もできようもない。せめて日本政府や中央官庁の皆さん、彼の暴走を何とかしてほしい。・・・でも無理だろうなあ、我が安倍首相はトランプ氏当選後、世界の誰よりも早く「トランプ詣で」しちゃったぐらいだから、この先も一生懸命トランプ氏にシッポを振るんだろうな。ともに「独裁的でやりたい放題」という共通点があるから、けっこうウマが合うんだろう。しかしこういうことでウマが合うのは、両国民にとっては非常に困るんだけどな・・・。

posted by デュークNave at 08:34| Comment(0) | 政治・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月13日

「ビジネスエリートの新論語」  福田定一(司馬遼太郎)・著

こんな痛快な本は久しぶりに読んだ。駅のホームで、電車の中で、そして昼休み中、何度クスッと笑い、時にアハハと声を上げたことか。「あの司馬さんがこんな文章を書いていたなんて」。驚きとともに大いに笑い、そして感じ入った。

本書は、故・司馬遼太郎さんが産経新聞の記者時代、本名の「福田定一」名で昭和30年に刊行した「名言随筆サラリーマン ユーモア新論語」をベースにしている。読み始めてまず驚いたのは、その文章の軽妙洒脱さである。のちに「国盗り物語」「竜馬がゆく」「坂の上の雲」といった壮大かつ重厚な歴史小説を著した人と同一人物とはとても思えない、やや毒舌を含んだ、フットワークの軽い文章。それでいて深い歴史知識や鋭い社会分析に基づいているので、その内容はズバリ本質を突いており、ズシリと重みがある。つまり「重厚なテーマを軽妙な文章で綴る」という高度な技法を駆使した名文であり、読者はクスクス笑いながら、テーマの本質がズンと重心に染み入ってくるのだ。


名文ぞろいの本書だが、その中から特に私が感じ入った箇所を、ごく一部だがここにご紹介しよう。30代前半の司馬さんのウィットをご堪能あれ。


≪ 人の一生は重き荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。

堪忍は無事長久の基。怒は敵と思へ。勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば、害その身に至る。

おのれを責めて人を責むるな。
及ばざるは、過ぎたるより優れり。    <徳川家康遺訓>



 どうやらこれでみると、よきサラリーマンとは、家康型であるらしい。そのまま過不足なくこれは完ぺきなサラリーマン訓である。
 戦国の三傑をみると、まず秀吉はサラリーマンにとってほとんど参考にすべき点がない。彼はいわば、身、貧より起しての立志美談型なのだ。(中略)
 信長が経た人生のスタイルも、サラリーマンには有縁なものではない。いわば彼は社長の御曹司なのだ。(中略)
 となると、家康である。(中略)下級サラリーマンの味こそ知らないが、それに似た体験をふんだんに持つ苦労人である。(中略)しかも天下の制覇ののちは、武士を戦士から事務官に本質転移させ三百年の太平を開いたいわばサラリーマンの生みの親みたいな人物だ。(中略)
まずはサラリーマンの英雄なら、家康あたりを奉っとくほうがご利益はあろう。≫


言われてみれば「なるほど」だが、戦国の三傑をサラリーマンと照らし合わせて考えるなど、なかなか思いつかない発想である。若き日の司馬さんの「ヤワラカ頭」ぶりがうかがえる。


≪たいていの会社の人事課長は「新入社員の情熱は永くて五年」とみている。それどころか「入社早々何の情熱も用意していない者が多い」(S肥料人事課長)「戦前なら、入社後二年というものは仕事を覚えるのに夢中ですごすものだが、近ごろの若い人は、ただ八時間という労働時間と初任給の多寡をにらみあわせただけの労働量しか提供しない」(K産業庶務課長)といった評すらある。(中略)
 国運の隆盛期のころのサラリーマンと現在のそれとには、著しい気質の相違があることはたしかなようだ。一般に仕事への情熱は、前時代にくらべて、悲しいが早老の気味がある。


近年の若者は保守的になっているというニュースをそちこちで目にも耳にもする(もっともこれは日本だけのことではないらしいが)。この現象は「失われた20年」を経た現代日本のことであり、これに対してかつての高度成長時代の若者たちは、希望に燃えてバリバリ働いていたんだろうと思っていた。ところが敗戦からわずか10年後に書かれたこのエッセイによると、すでにこのころから若いサラリーマンたちは「早老の気味」を見せていたというのだ。これは驚きだった。しかし戦後の日本があれだけの発展をしてきたということは、会社の上役たちがこの「早老の気味」の若手をひっぱたいて、無理やりにでも働かせてきたということか。思えば私も、かつてはけっこうひっぱたかれたなあ。


≪ 人生はいつまでも学校の討論会ではない。 <D. カーネギー>

 議論ずきというのは、サラリーマン稼業にとって一種の悪徳である。本人は知的体操でもやっているつもりかもしれないが、勝ったところで相手に劣敗感を与え、好意を失うのがせいぜいの収穫というものなのだ。
 まだしも話柄が火星ニ生物ガ棲息スルヤ、恋愛ハ結婚ヲ前提トスベキヤイナヤ、などと科学評論や人物評論をやっているあいだは可愛い。が、次第に議論に快感をおぼえて同僚や上役を俎上にのぼせ、大いに人物評論家としての才能を発揮したりするようになると事が面倒になる。
 カーネギーにいわせると、営業部員の論客ほどヤクザなものはないそうだ。


司馬さんの「竜馬がゆく」に、坂本龍馬も「議論は無意味だ」と考えていた旨の記述がある。理由は上記と同じで、議論で相手を一時やりこめても、相手は結局納得しないし、自分に対して恨みや不快感を抱くことになるからだ。会社の会議のような、1つの結論を出さねばならない時は議論もやむを得ないが、そうでない時は、議論ではなく意見交換にとどめるべきだろう。そうすれば自分にはない視点や考え方を知ることができ、自分の視野が広まるとともに、新たな仲間との交流も生まれる。「議論は対立や軋轢を生み、意見交換は広がりと交流を生む」。どちらがいいかは言うまでもないだろう。


知の巨人」と呼ばれた司馬遼太郎さん。30代の前半に著された本書には、その片鱗が早くもふんだんに表れている。すでに深遠な知の世界を構築していた司馬さんは、その後もその世界をさらに広く、高く、深く造り上げていった。司馬夫人・福田みどりさんがご主人の没後、「普通、人って歳を取るとものを考えなくなりますよね。考える気力もなくなる。司馬さんの場合逆なのね。だから魂がどんどん若くなっていったみたいと述懐されたが、この「魂がどんどん若くなる」原動力は、司馬さんの飽くなき知的貪欲さ、知的好奇心だったのだろう。


「知的貪欲さで魂がどんどん若くなる」これは私の理想の人生だ。とても司馬さんレベルにはなれないが、司馬さんを最高のメンターとして頭上に掲げ、生きていきたい。

posted by デュークNave at 14:53| Comment(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月11日

イーブンボールの激しい争奪戦:ラグビーの醍醐味を堪能! 〜全国高校・大学ラグビー決勝〜

7日(高校決勝:東福岡VS東海大仰星)・9日(大学決勝:帝京VS東海)の2試合は、ラグビーの醍醐味を心ゆくまで堪能させてもらった。それぞれのカテゴリーでのライバル同士、互いへのリスペクトを抱きながらの頂上決戦。「すばらしい試合を、感嘆して見つめるだけ」。こんな感慨を味あわせてくれた両チームに、ただただ感謝だ。


【 高校決勝 】

春の選抜・夏のセブンスと併せて3冠がかかる東福岡、連覇を狙う東海大仰星。これが4大会連続8度目の対戦で、これまで東海大仰星の4勝3敗。このうち6度は勝った方がその大会で優勝している。まさに宿命のライバルである。

細かい試合経過はここには記すまい(結果:東福岡28−21東海大仰星)この試合のすばらしさを簡潔な文章で表してくれた、毎日新聞の谷口拓未記者の記事を抜粋してここに引用する。


「地を揺らすような歓声が起こり、記者席でも感嘆の声が上がるほどだった。高校ラグビー界の最高峰でのライバル対決だった」

「球際で激しくぶつかり、終盤まで足を止めなかった両チームの発奮を見れば、特別な間柄とよく分かった」

「特別な場所で何度も戦ってきた思い入れがある」(東海大仰星・湯浅大智監督)

「仰星は特別だ。選手が最もリスペクトしている」(東福岡・藤田雄一郎監督)

「培った力、誇りや意地。全てをぶつけられる相手を目標に高め合い、成長してきた」

「ライバル対決はスポーツの華だ。ファンに訴えかけるものがあり、人気拡大にもつながる。歴史を紡ぐような激しいつばぜり合いに、これからも期待したい」



【 大学決勝 】

帝京の8連覇がかかった、2年連続同カードの頂上決戦。もし達成すれば、カテゴリーは違うが、新日鉄釜石と神戸製鋼の日本選手権7連覇を超える偉業である。

ここも、細かい試合経過は記すまい(結果:帝京33−26東海)。FWの圧力で押し込む東海、SO松田の効果的なキックを生かしたスピードと展開力の帝京。東海が先行して帝京が追いつく展開だったが、後半になると東海が消耗して出足が鈍り、帝京の連続トライに突き放された。それでも1トライを返して7点差に迫り、さらに帝京陣深く攻め込んだが、ボールがこぼれて蹴り出され、ここでノーサイド。帝京の前人未到の8連覇がついに成った。


高校・大学とも、スピーディーで激しい攻防が展開される、見応えたっぷりの決勝戦だった。特に目を見張ったのは、イーブンボールの争奪戦。タックルを受けた選手のサポートと、ボールを奪おうとする相手との激しいせめぎ合い。タックルを受けてダウンボールする際の姿勢が少しでも悪かったり、サポートがわずかに遅れると、相手の厳しい突っ込みでボールを奪われる(ターンオーバー)。このイーブンボールへの仕掛けが両チームとも非常に鋭く、一瞬のうちに攻守が入れ替わってしまう。観る側もわずかな目を離す暇もない、すばらしくスリリングな試合だった。


宿命のライバル同士の、決勝戦での大激戦。競馬でいえば1番人気と2番人気がハナ差で1・2着したようなもので、こんなレースが面白くないわけがない。ともに「ハナ差決着」となった2つの決勝戦、ラグビーの魅力がたっぷり詰まった、史上に残る名勝負だった。


私はもともと展開ラグビー・ランニングラグビーが好きで、ゴチャゴチャした密集戦は好きではなかった。しかし帝京が大学選手権を初制覇したあたりから、密集戦での激しいせめぎ合い、一瞬のスキがターンオーバーにつながってしまうスリリングな戦いにも魅力を感じるようになっていた。ピッチを広く使った華麗な展開ラグビーも魅力たっぷりであり、こういうラグビーが好きなのは今も変わらないが、激しくスリリングな密集戦もまたラグビーの大きな魅力の1つだ。密集戦、コンタクトプレーに新たな魅力を見出してから、私のラグビー観戦は楽しみの幅が広まり、深まった。ラグビーはやっぱり面白い!

posted by デュークNave at 06:02| Comment(0) | スポーツ-ラグビー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

“Mr. Runner-up”を返上しろ、錦織! 〜全豪オープン前哨戦・ブリスベン国際〜

今季のグランドスラム第1戦・全豪オープンの前哨戦となるブリスベン国際。世界ランク5位の錦織圭は、準決勝で同4位のスタン・バブリンカ(スイス)を破ってこの大会初の決勝に進出したが、同17位のグリゴル・ディミトロフ(ブルガリア)に2−6、6−2、3−6で敗れ、昨年2月のメンフィス・オープン以来のツアー12勝目を逃した。これでツアー決勝では5連敗である。


【 壁を破ったあとに守りに入る? 過去にもあったパターン 】

この大会はツアーの格としては4番目の250シリーズだが、開催地(オーストラリア)とタイミング的に全豪オープンの前哨戦となるため、世界ランクトップ10のうち5人が出場した。その中での決勝進出は意義があるし、昨年の全米オープン覇者で難敵のバブリンカを破ったのは評価できる。しかしその壁を打ち破ったあとの決勝で、過去3戦全勝の格下に敗れたのはいかがなものか。


思えば錦織が初のグランドスラム決勝進出を果たした2014年の全米オープンもそうだった。準々決勝でバブリンカ、準決勝で当時世界ランク1位のノバク・ジョコビッチ(クロアチア)を破って決勝へ。相手は過去5勝2敗、直近では3連勝していたマリン・チリッチ(クロアチア)。相性はいいはずだったが、緊張からかそれまでの思い切りのいいストロークが影を潜め、ストレート負けを喫した。錦織は「相手がロジャー・フェデラー(スイス)なら挑戦者として思い切りぶつかれた」と述懐したが、チリッチはそのフェデラーを準決勝でストレートで破っているのだ。ということはその時点ではフェデラーよりも難敵だったわけなのだが、当時の錦織はそういう頭の切り替えができなかったようだ。そしてこれと同じことが、ブリスベン国際でも起こってしまったといえる(ディミトロフが準決勝で、世界ランク3位・第1シードのミロシュ・ラオニッチ(カナダ)を破っているという状況も酷似している)。第2セットで臀部の痛みに襲われたということもあっただろうが、それ以前に、準決勝のようなチャレンジャー精神になれずに受けに回ってしまったと言えないだろうか。


【 善戦マンを返上せよ:錦織も稀勢の里も 】

準優勝者のことを英語で”Runner-up”と呼ぶ。「決勝戦まで勝ち上がった選手」というニュアンスだろうか。コンスタントに大会の上位まで進出するが、どうにも勝ちきれない。大事な一番を落とす。最近の錦織にはこういうイメージがつきまとっている。これは大相撲の世界でいえば、昨年年間最多勝を挙げながら、念願の初優勝はできなかった大関稀勢の里を思い起こさせる。大関陣でもっとも優勝・綱取りを期待され、コンスタントに好成績は上げるのだが、「ここ一番」で勝てない。その「善戦マン」を尻目に、脇役扱いだった琴奨菊や豪栄道が初優勝を遂げた。内心忸怩たる思いだったに違いない稀勢の里が、ついにブレイクできるか。今年の角界の最大の関心事はこれだろう。NHK解説の北の富士勝昭さん「稀勢の里を横綱にする会」会長、舞の海秀平さんが副会長に就任したというジョークがあるが、協会の首脳もファンもそれを切望しているのだ。


そして錦織に対するファンの期待もこれと同じである。「善戦マン」から脱却し、念願のツアー1000シリーズの優勝、そしてグランドスラム優勝を今季こそ勝ち取ってほしい。”Mr. Runner-up”を返上し、”Winner”、”Champion”にランクアップすることを切に望む。


posted by デュークNave at 04:20| Comment(0) | スポーツ-テニス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする