2024年10月13日

毎日新聞・みんなの広場への投稿「新聞へ」

「新聞へ」最近はネット上の公式サイトで記事を読む人が多いようですが、私はいまだに紙媒体で読むことにこだわっています。最大の理由は「一覧性」です。パッと開くと大きな紙面にさまざまな記事を見ることができます。重要な記事は見出しが大きく、冒頭にサマリーが書かれていて、概要を把握できます。かつて新聞を購読せずネットだけで見ていたころ、自分にとって重要なニュースを見逃したことがあり、これを機に購読を再開しました。これからも幅広く多様なニュースに触れるために、紙媒体での購読は欠かせません。
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2024年10月05日

「高市晋三政権」よりはマシだが…石破政権、「不信感・疑惑たっぷり」の船出

9月27日に投開票が行われた自民党総裁選で、石破茂氏が5度目の挑戦で念願の総裁の座に就いた。第1回投票でトップだった高市早苗氏を決選投票で逆転しての勝利だった。

石破氏は過去4度の総裁選では、「世論調査では国民の支持が高いが選挙では完敗」というパターンが続いていた。「党内野党」と呼ばれるほどの独自の政治信条を持ち、党内の支持基盤が弱かったからだ。それがなぜ今回は勝利できたかというと、決選投票で「高市氏にこのまま勝たせてもいいのか=早期に予想される解散総選挙で勝てるのか=自分の身は大丈夫なのか」という不安が、自民党の国会議員たちに広がったからだと言われている。

高市氏はいわば「安倍晋三の小判鮫」で、安倍政権の7年8か月の間首相にベッタリ張りつき、「安倍一強」の甘い汁をたっぷり吸ってきた輩だ。総務大臣時代、「放送事業者が政治的公平性を欠く放送をした場合は電波の停止を命じる可能性がある」と繰り返し述べた「停波発言」がその典型例だ。こんなコテコテの「安倍カラー≒国家主義」を持つ高市氏に政権を持たせたら、安倍時代の残像への嫌悪感が横溢している(裏金疑惑にも多くの安倍派議員が関わった)今の有権者からかなりの反発があるに違いない。そういう危機意識が決選投票というギリギリの段階で働き、自民党議員たちを石破支持へ転換させた。これが逆転の真相のようだ。

この「逆転の構図」、かつて見たことがある。2001年の自民党総裁選、橋本龍太郎と小泉純一郎の事実上の一騎打ち。下馬評は橋本氏有利だったが、先に行われた予備選(地方の党員選挙)で小泉氏が地滑り的勝利を収め、そのまま国会議員による本選挙でも圧勝した。

当時はその前の森喜朗内閣が首相の「神の国発言」の舌禍事件などで支持率が地を這っており、「このままでは直後の参議院選挙で勝てない」との危機感を抱いた自民党の幹部たちが「表紙替え」を目論んでの総裁選だった。「アンチ自民」の私は、「コテコテの自民カラーの橋本氏が総裁・総理になれば、参議院選挙で自民は大敗するな。これは楽しみだ」とほくそ笑んでいた。ところが下馬評に反して小泉氏が勝ったのを目にして、私は「自民党の議員って、こういうギリギリのところでの危機意識、ずる賢さ(=保身)をしっかり持ってんだな」と、感心するやら呆れるやらだった。

さて、こうして石破氏を総裁に選んで「崖っぷちでとどまった」「延命・生命維持装置」(佐高信さんの言)を発揮させた自民党だが、早くも暗雲が垂れ込めている。総裁に選ばれたとたんに石破氏が衆議院の解散時期に言及するという「フライング」を犯し(こういう発言は本来、国会で正式に総理大臣に選出されてから行うべきものだ)、1日に国会で首相に選ばれるとすぐに「衆議院9日解散・27日総選挙」を打ち出したのだ。早期解散は大いにありうると予想していたが、これほど早くに行うとは思っていなかった。

これを見ての私の率直な感想:「『党内野党』なんて言われたけど、石破さんも所詮は自民党の人なんだな」。このあまりに早い解散・総選挙は、岸田政権で地に堕ちた自民党への信頼・支持を「表紙替え」という常套手段で取り戻し、国会論戦などでアラが出ないうちに解散・総選挙に打って出るという、これまたコテコテの「自民党戦術」だ。「石破さんならひょっとして…」とほのかに期待していた有権者はこの露骨なやり方に嫌気がさしたのだろう、毎日新聞の世論調査での石破内閣支持率は、政権発足直後としてはかなり低い46%にとどまった(不支持率は37%)。また来る衆議院選挙で小選挙区でどの党に投票するかについては、与党25%・野党26%と拮抗している。「『高市晋三』内閣よりはマシだけど、石破内閣もほとんど期待できないな」私同様、こう失望した人がかなりいたことをこの世論調査は示している。

こうして「この先への不信感・疑惑たっぷり」で船出した石破政権。いきなりの総選挙でもし敗れたらどうなるのか? 世論調査では小選挙区での与野党の支持率が拮抗しているので、野党が候補者を統一して自公の候補者に対峙すれば、かなりの接戦になるだろう。コテコテの自民党選挙戦術、今回は功を奏するのか?(奏してほしくないけど)結果は早くも3週間後に出る。
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2024年09月15日

日本人初のメジャーリーガー・村上雅則さんとの思わぬ邂逅

まさかこんなことが起ころうとは…! 一瞬ためらったのだが、やはり行動してよかった。「やらずに後悔するよりは、やって後悔する方がいい」とはよく言われることだが、昨日は「やって後悔」どころか、思わぬボーナスを受け取った気分だ。

数日前、私が購読している毎日新聞の社会面に、日本人初のメジャーリーガー・村上雅則氏の偉業をたたえる展示会が横浜市中区の横浜カントリーアンドアスレティッククラブ(YC&AC)で開かれている旨の記事が載っていた。「これはぜひ行こう」と、電車を乗り継いで1時間余、JR根岸線・山手駅から徒歩10分ほどの坂の多い道を、酷暑の中で汗だくになりながらYC&ACにたどり着いた。

展示会の場所はクラブハウスの中のレストラン。昼食は済ませていたので申し訳ないけど何のオーダーもせず、壁の展示物に見入った。村上さんがサンフランシスコ・ジャイアンツに在籍したのは1964年から1965年の2年間だが、当時のさまざまな写真や新聞記事、イラスト、出場選手のオーダー表など、初めて日本人メジャーリーガーを迎えたことがいかに現地にとってエポックメイキングであったかを雄弁に語る、貴重な資料がずらりと並んでいた。

そしてその中で、訪れなければ永遠に知らなかったかもしれないいくつかの事実を知った。村上さんは神奈川の法政二高出身で、かの柴田勲の1年後輩だった。法政二はエース柴田を擁して彼の2年夏・3年春の甲子園で夏春連覇を果たしているが、村上さんは控え投手として2年の時に選抜でリリーフ登板していて、優勝に貢献している。これはまったく知らなかったことだった。

さらに高校卒業後の進路を考えていたころ、南海ホークスの鶴岡一人監督(当時)が村上さんの実家を訪れ、本人がアメリカでプレーしたい希望が強いことを知り、「ウチに入ったらアメリカに行かせてあげるよ」と約束し、これが決め手になって南海入団が決まった。そして約束通り、2年目の春のキャンプ中に、ルーキー2人とともにサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1Aフラズノに野球留学という形で派遣された。そこで村上投手は好投し、晴れてメジャーに昇格し、1964年9月1日、ニューヨーク・メッツの本拠地シェイ・スタジアムで初登板を果たした。「初の日本人メジャーリーガー・マッシー村上」誕生の瞬間だった。この、村上さんがアメリカでのプレーを強く望んでいたということも全く知らないことだった。

(彼ら3人を「留学生」として派遣した南海とジャイアンツとの契約には、「メジャー昇格者が出た場合、1万ドルの金銭トレードで契約できる」という条項があったが、南海側は「まさかそんなことにはなるまい」と高をくくっていたようだ。それだけに村上さんのメジャー昇格は南海側にとっても衝撃的だっただろう)

こうしていくつかの思わぬ事実に驚きながら展示物を見回っていると、窓際のテーブルで談笑している一団がいた。全員日本人で、高齢者が多い。その中に、見覚えのある人の顔があった。見ると、サンフランシスコ・ジャイアンツのユニフォームを着ている。「えっ、もしかして村上さん?」思わずまじまじと見つめてしまった。そしてその一団の会話、特にそのユニフォーム姿の人の話を聞いていると、これは本人に間違いないと確信した。まさかご本人がいらっしゃっているとは…!

ただ知り合いでも何でもないので話しかけるわけにもいかず、遠巻きに話を聞くだけだったのだが、私のあとにやってきた2人のうちの1人が知り合いのようで、村上さんと談笑し始めたので、何気にその輪に入り込んで話を聞いていた。そのうちただ聞いてばかりじゃもったいないと思い、展示の写真を見ながらいくつか質問してみた。村上さんはそれに丁寧に答えて下さった。その後テーブル席についてまた談笑し、もう1人の人が持参していた色紙を1枚譲ってくださったので、村上さんの貴重なサインをいただいた:"First Japanese & Asian Player MLB SF Giants Mashi 10" さらにその色紙を持ってのツーショット写真も撮っていただいた。これは最高のお土産になった。

最後に村上さんに聞いてみた。「野茂英雄がメジャーに挑戦した1995年も村上さんはNHKの番組で解説されていましたが、今のMLBは当時より野球のレベルは上がっていますか?」村上さんはこう答えた。「球団が増えて選手の数も増えたせいか、野球をよく知らない選手が増えた気がするね」村上さんの頃や野茂の頃はメジャーリーガーのハードルが高かったが、逆に言えばそれだけハイレベルなプロフェッショナルが揃っていたということか。MLBプレーヤーとしての誇りを感じさせる一言だった。

それにしても、まさかこんなすばらしい時間を過ごせるとは思ってもみなかった。ただただラッキーだったが、これも意を決して行動したからこそ得られた至福の時間だ。これからも、やろうと思ったことはどんどん実行していこう。「やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がいい」だ!
posted by デュークNave at 10:26| Comment(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月24日

「結果がわかってるとつまらない」わけでもない:第106回全国高校野球・決勝

「甲子園100年」と銘打って開催された、今年の夏の全国高校野球選手権。決勝戦は史上初の延長タイブレークにもつれ込み、京都国際が2−1で関東第一を破り、初優勝を飾った。

この決勝戦は暑さ対策のため、通常は午後1時頃から行われていたのを午前10時試合開始となった。近年の夏の甲子園大会は、ここ数年とみに厳しくなった酷暑のため、さまざまな対策が講じられている。5回終了時にクーリングのための10分間の休憩時間を設けたり、今大会からの初めての対策として、第1日から第3日まで午前と夕方の2部制で試合が行われた。また2023年の選抜大会から延長10回から導入されているタイブレーク制も、特に夏の大会の場合は暑さ対策の一環という意味合いもあるだろう。

この「暑さ対策」のために早い時間から始まった決勝戦、当然試合終了の時間も早くなる。「試合結果は見ないで、録画している『熱闘甲子園』を明日の早朝に観よう」と目論んでいた私だったが、早々にそれが崩壊してしまう。まず昼休憩中にスマホを見たら、以前チラ見した「バーチャル高校野球」のサイトがいきなり現れ、「延長10回・京都国際2−1関東第一」の結果が、各イニングのスコア入りでばっちり目に入ってしまった。「あちゃ〜」と思ったが、時すでに遅し。「知っちまったもんはしょうがない」と観念して帰宅すると、新聞の夕刊の一面にもしっかり記事が出ている。こうして私は、ネットとリアルの「メディア2連発」でまざまざと結果を知らされてしまったのだ。

普通なら「結果がわかってるんじゃ、『熱闘甲子園』をハラハラドキドキで観れないなあ」とがっかりするところだ。しかし物は考えようで、「延長10回表に京都国際が2点、その裏に関東第一が1点か。どうやって取ったんだろう、そして京都国際は10回裏、1点差に迫られたあとの関東第一の反撃をどう抑えたんだろう」と、「結果を知っているからこその視点で観れる」ともいえる。これも悪くないかもな、と思い直しながら、今日の早朝に録画していた「熱闘甲子園」をじっくり観た。

その延長10回、京都国際は無死1・2塁から先発のエース・中崎の代打・西村が見事なバスターでレフト前にヒットを飛ばして満塁とし、押し出しと犠牲フライで2点を挙げた。その裏、関東第一は同じ無死1・2塁から、こちらは送りバント。表に殊勲のヒットを放ち、今大会23イニング無失点、満を持して裏のマウンドに上がった西村が、三塁線に転がったバントをジャッグル。こちらも無死満塁となった。

「殊勲打のヒーローから一転、自分のエラーで絶体絶命のピンチを招く。この窮地をどうやって1点に抑えたのか。」私は刮目して見入った。

続く打者はショートゴロ。二封したが併殺にはできず、1点差に迫られてなお一死1・3塁。さらに四球で満塁となり、一打逆転サヨナラの大ピンチを迎える。しかし次の打者を一ゴロ・フォースアウト、そして最後の打者を空振りの三振に仕留め、辛くも逃げ切った。

この白熱の決勝戦を観戦して思ったこと:「結果を知っているから、腰を据えて冷静に観戦できる。これも悪くないな。」それに知っているのは得点結果だけでその経過は知らないから、観ていてけっこうドキドキする。「これもなかなかのモンだな」と思った。

これは先のパリ五輪でも感じたことだ。その日の競技のハイライト番組で、まず結果を知り、その経過を映像で観るというパターンだったので、ハラハラドキドキがない代わり、「期待してたのにガッカリ」という思いをせずに、落ち着いて観ることができた。

「リアルタイムのエキサイティング・ヒューマン・ドキュメンタリー」これが私が長年味わってきたスポーツの大きな魅力だが、「リアルタイムではないが、落ち着いてじっくり観る、これも悪くないな。」改めてこう思った、今年の夏の甲子園の決勝戦だった。
posted by デュークNave at 05:49| Comment(0) | スポーツ-高校野球 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年07月31日

ダイジェストしか観ていないパリオリンピック

パリオリンピック2024が開幕し、さまざまな競技が繰り広げられている。日本勢もなかなか健闘しており、お家芸の柔道が早々に始まったこともあって、連日メダル獲得のニュースが届いている。

…しかし今回の五輪、我が関心は今までにないほど低い。開会式を全く見なかったのも初めてだし(ニュースでチラリと見ただけ)、その後の競技もNHKのデイリーハイライトを観るだけで、ライブ中継は全然観ていない。フランスと日本では時差が8時間あり、向こうの夕方から夜はこっちの夜中だ。NHKや民放がたくさんライブ中継しているが、生活のリズムを崩してまで観る気は毛頭ない(これはいつの五輪でも同じだが)。

なぜ今回はこんなに関心が低いのか。3年前の東京大会であきれるほどのゴタゴタ・ドロドロを目の当たりにし、バッハ会長を筆頭とするIOCの金まみれ体質、全くアスリート・ファーストになっていない開催時期や競技スケジュールなどに嫌気がさし、リアルタイムではほとんど観なかった(毎日結果がわかっているデイリーハイライトだけ観ていた)。自国開催=時差がない東京でもこうだったから、時差の大きいパリではなおさらで、夜中はもちろん、早起きの私が観ようと思えば観れる早朝の中継もほとんど観ていない。五輪そのものに対する嫌悪感が、精神的な距離を置いている原因の1つだ。

もう1つは、「他にもやりたいことがいろいろあるから、五輪ばかりに時間を取られてはいられない」という思いが、2016リオ〜2021東京〜2024パリと、回を追うごとに強くなってきていることだ。スポーツ大好きは今でも変わらないが、好きなものはスポーツだけではないので、五輪開催中であっても、体質的・習慣的に「五輪オンリー」にはなれないのだ。

何事もバランスを大切にしているので、スポーツとその他のこととのバランス、何に時間を費やすかのバランスを考慮すると、テレビが大量放送している五輪番組にいちいち付き合っていては他のことが何もできない。なのでそのほとんどを無視し、結果をコンパクトにまとめているデイリーハイライトだけを観ている。「お前はそれでもスポーツファンか!」と罵倒されるかもしれないが、That's me!(それが俺だ!)から仕方がない。

ということで、パリ五輪は最後までダイジェストだけを観ることになるだろう。リオ・東京と作ってきた「オリンピックスペシャルディスク」も今回は作らない。…ただパラリンピックはどうするかまだ決めていない。個人的な事情もあって、こっちは五輪よりしっかり観るかも…。
posted by デュークNave at 04:59| Comment(0) | スポーツ-オリ・パラ・世界大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする