「甲子園100年」と銘打って開催された、今年の夏の全国高校野球選手権。決勝戦は史上初の延長タイブレークにもつれ込み、京都国際が2−1で関東第一を破り、初優勝を飾った。
この決勝戦は暑さ対策のため、通常は午後1時頃から行われていたのを午前10時試合開始となった。近年の夏の甲子園大会は、ここ数年とみに厳しくなった酷暑のため、さまざまな対策が講じられている。5回終了時にクーリングのための10分間の休憩時間を設けたり、今大会からの初めての対策として、第1日から第3日まで午前と夕方の2部制で試合が行われた。また2023年の選抜大会から延長10回から導入されているタイブレーク制も、特に夏の大会の場合は暑さ対策の一環という意味合いもあるだろう。
この「暑さ対策」のために早い時間から始まった決勝戦、当然試合終了の時間も早くなる。「試合結果は見ないで、録画している『熱闘甲子園』を明日の早朝に観よう」と目論んでいた私だったが、早々にそれが崩壊してしまう。まず昼休憩中にスマホを見たら、以前チラ見した「バーチャル高校野球」のサイトがいきなり現れ、「延長10回・京都国際2−1関東第一」の結果が、各イニングのスコア入りでばっちり目に入ってしまった。「あちゃ〜」と思ったが、時すでに遅し。「知っちまったもんはしょうがない」と観念して帰宅すると、新聞の夕刊の一面にもしっかり記事が出ている。こうして私は、ネットとリアルの「メディア2連発」でまざまざと結果を知らされてしまったのだ。
普通なら「結果がわかってるんじゃ、『熱闘甲子園』をハラハラドキドキで観れないなあ」とがっかりするところだ。しかし物は考えようで、「延長10回表に京都国際が2点、その裏に関東第一が1点か。どうやって取ったんだろう、そして京都国際は10回裏、1点差に迫られたあとの関東第一の反撃をどう抑えたんだろう」と、「結果を知っているからこその視点で観れる」ともいえる。これも悪くないかもな、と思い直しながら、今日の早朝に録画していた「熱闘甲子園」をじっくり観た。
その延長10回、京都国際は無死1・2塁から先発のエース・中崎の代打・西村が見事なバスターでレフト前にヒットを飛ばして満塁とし、押し出しと犠牲フライで2点を挙げた。その裏、関東第一は同じ無死1・2塁から、こちらは送りバント。表に殊勲のヒットを放ち、今大会23イニング無失点、満を持して裏のマウンドに上がった西村が、三塁線に転がったバントをジャッグル。こちらも無死満塁となった。
「殊勲打のヒーローから一転、自分のエラーで絶体絶命のピンチを招く。この窮地をどうやって1点に抑えたのか。」私は刮目して見入った。
続く打者はショートゴロ。二封したが併殺にはできず、1点差に迫られてなお一死1・3塁。さらに四球で満塁となり、一打逆転サヨナラの大ピンチを迎える。しかし次の打者を一ゴロ・フォースアウト、そして最後の打者を空振りの三振に仕留め、辛くも逃げ切った。
この白熱の決勝戦を観戦して思ったこと:「結果を知っているから、腰を据えて冷静に観戦できる。これも悪くないな。」それに知っているのは得点結果だけでその経過は知らないから、観ていてけっこうドキドキする。「これもなかなかのモンだな」と思った。
これは先のパリ五輪でも感じたことだ。その日の競技のハイライト番組で、まず結果を知り、その経過を映像で観るというパターンだったので、ハラハラドキドキがない代わり、「期待してたのにガッカリ」という思いをせずに、落ち着いて観ることができた。
「リアルタイムのエキサイティング・ヒューマン・ドキュメンタリー」これが私が長年味わってきたスポーツの大きな魅力だが、「リアルタイムではないが、落ち着いてじっくり観る、これも悪くないな。」改めてこう思った、今年の夏の甲子園の決勝戦だった。
2024年08月24日
2023年08月25日
「甲子園の見えざる手」〜甲子園大会でドラマティックな試合が多い理由〜
第105回全国高校野球選手権大会は、決勝で慶応義塾が連覇を狙った仙台育英を8−2で破り、実に107年ぶり2度目の優勝を果たした。
…と、新聞記事的にはこういう記述になるが、個人ブログでこんなことを書いても仕方がない。ここからはディープな私記を書かせていただく。
東北にルーツを持つ身としては、当然仙台育英の連覇を熱望していた。昨日も仕事中、スマホの「高校野球バーチャル実況」を数分単位でチェックし、じりじりしていた。いきなり先頭打者ホームランを浴び(これは夏の甲子園の決勝では初の出来事)、さらに追加点を許す。しぶとく1点づつ返して1点差に詰め寄ったが、中盤で守りに思わぬミスも出てビッグイニングを献上し、事実上ここで「勝負あった」。試合はその後はゼロ行進が続き、6点差が縮まらないままゲームセットを迎えた。
(応援するチームが負けると、試合展開の描写もこんなに淡白になってしまう 苦笑)
実は試合前、こんなことが頭に浮かんだ。
「仙台育英と慶応、どっちが勝った方がドラマ性が高いんだろう?」
仙台育英なら史上7校目の夏連覇(東北勢としてはもちろん初めて)。慶応なら1916年・第2回大会の慶応普通部(この時は東京代表)以来107年ぶり。これは史上最長ブランクでの優勝になる。これだけ見ると、慶応が勝った方がドラマ性は高いなと思った。
さらに思い出したのが、同じ北国勢の駒大苫小牧(南北海道)が3連覇を目指した2006年の決勝。相対したのは早稲田実業(西東京)。「ハンカチ王子」斎藤佑樹VS「北の怪物」田中将大の投げ合いとなった頂上決戦は、延長15回引き分け・再試合の末、早実が駒苫の大会史上2度目の夏3連覇を阻み、初優勝を果たした。
「あの時は早稲田が3連覇を阻んだ。今度は慶応が連覇を阻めば、『早稲田の次は慶応』。これはドラマだな。」
加えて、慶応が勝てば神奈川県勢としては2015年の東海大相模以来だが、奇しくもその時の決勝の相手も仙台育英だった。
それでも私は仙台育英を心底応援していたが、これだけドラマの要素がそろうと、こんな思いが頭をもたげた。
「これは慶応が勝っちゃうかもしれないな。なにせ甲子園って、けっこうドラマが好きだからな。」
甲子園観戦歴50年超の私は、これまで多くのドラマティックな試合を観てきた。松山商ー三沢の延長18回引き分け(第51回・1969年)。箕島ー星稜の延長18回(第61回・1979年)。横浜が松坂大輔を擁して春夏連覇を果たした時の、準々決勝・PL学園戦の延長17回〜準決勝・明徳義塾戦の6点差逆転サヨナラ〜決勝・京都成章戦の松坂のノーヒットノーラン(第80回・1998年)。マンガやTVドラマで描いたら「出来すぎでありえない」シーンが、この甲子園では何度も現実として展開されてきたのだ。
なので今回も、「ドラマ好きの甲子園だから、慶応が勝つ、いや勝たせる、かもな…」と思ってスマホ画面をチラチラ見ていたら、仙台育英の強力投手陣に先制パンチを浴びせ、中盤で大量得点し、一気に点差をセーフティーリードに広げてしまった。
「エンジョイ・ベースボール」をモットーとし、髪型も自由、監督や先輩との上下関係も緩やかな慶応の全国優勝は、ド根性路線がまだまだはびこる高校野球(これは他のスポーツでも同じだが)に爽やかな変革をもたらすかもしれない。
最後に、かつてNumber誌上での桑田真澄との対談で江川卓が語った名言を紹介する。
「僕、甲子園と阪神甲子園球場は違うと思ってるんです。甲子園っていうのは春と夏、どこからかやってきます。神様が甲子園を置いておく場所があって、そこからピューッとやってくる。で、高校野球が終わると、またフッといなくなる。そこには阪神が本拠地としている阪神甲子園球場が元通り。春と夏だけ、神様が高校生のために甲子園という聖地を届けてくださると…僕は今でもずっとそう思ってます」
甲子園大会でドラマティックな試合が多い理由:それは春夏にやってくる甲子園という聖地が、ドラマになるように「見えざる手」で演出しているからだ。
…私にはそう思えてならない。
…と、新聞記事的にはこういう記述になるが、個人ブログでこんなことを書いても仕方がない。ここからはディープな私記を書かせていただく。
東北にルーツを持つ身としては、当然仙台育英の連覇を熱望していた。昨日も仕事中、スマホの「高校野球バーチャル実況」を数分単位でチェックし、じりじりしていた。いきなり先頭打者ホームランを浴び(これは夏の甲子園の決勝では初の出来事)、さらに追加点を許す。しぶとく1点づつ返して1点差に詰め寄ったが、中盤で守りに思わぬミスも出てビッグイニングを献上し、事実上ここで「勝負あった」。試合はその後はゼロ行進が続き、6点差が縮まらないままゲームセットを迎えた。
(応援するチームが負けると、試合展開の描写もこんなに淡白になってしまう 苦笑)
実は試合前、こんなことが頭に浮かんだ。
「仙台育英と慶応、どっちが勝った方がドラマ性が高いんだろう?」
仙台育英なら史上7校目の夏連覇(東北勢としてはもちろん初めて)。慶応なら1916年・第2回大会の慶応普通部(この時は東京代表)以来107年ぶり。これは史上最長ブランクでの優勝になる。これだけ見ると、慶応が勝った方がドラマ性は高いなと思った。
さらに思い出したのが、同じ北国勢の駒大苫小牧(南北海道)が3連覇を目指した2006年の決勝。相対したのは早稲田実業(西東京)。「ハンカチ王子」斎藤佑樹VS「北の怪物」田中将大の投げ合いとなった頂上決戦は、延長15回引き分け・再試合の末、早実が駒苫の大会史上2度目の夏3連覇を阻み、初優勝を果たした。
「あの時は早稲田が3連覇を阻んだ。今度は慶応が連覇を阻めば、『早稲田の次は慶応』。これはドラマだな。」
加えて、慶応が勝てば神奈川県勢としては2015年の東海大相模以来だが、奇しくもその時の決勝の相手も仙台育英だった。
それでも私は仙台育英を心底応援していたが、これだけドラマの要素がそろうと、こんな思いが頭をもたげた。
「これは慶応が勝っちゃうかもしれないな。なにせ甲子園って、けっこうドラマが好きだからな。」
甲子園観戦歴50年超の私は、これまで多くのドラマティックな試合を観てきた。松山商ー三沢の延長18回引き分け(第51回・1969年)。箕島ー星稜の延長18回(第61回・1979年)。横浜が松坂大輔を擁して春夏連覇を果たした時の、準々決勝・PL学園戦の延長17回〜準決勝・明徳義塾戦の6点差逆転サヨナラ〜決勝・京都成章戦の松坂のノーヒットノーラン(第80回・1998年)。マンガやTVドラマで描いたら「出来すぎでありえない」シーンが、この甲子園では何度も現実として展開されてきたのだ。
なので今回も、「ドラマ好きの甲子園だから、慶応が勝つ、いや勝たせる、かもな…」と思ってスマホ画面をチラチラ見ていたら、仙台育英の強力投手陣に先制パンチを浴びせ、中盤で大量得点し、一気に点差をセーフティーリードに広げてしまった。
「エンジョイ・ベースボール」をモットーとし、髪型も自由、監督や先輩との上下関係も緩やかな慶応の全国優勝は、ド根性路線がまだまだはびこる高校野球(これは他のスポーツでも同じだが)に爽やかな変革をもたらすかもしれない。
最後に、かつてNumber誌上での桑田真澄との対談で江川卓が語った名言を紹介する。
「僕、甲子園と阪神甲子園球場は違うと思ってるんです。甲子園っていうのは春と夏、どこからかやってきます。神様が甲子園を置いておく場所があって、そこからピューッとやってくる。で、高校野球が終わると、またフッといなくなる。そこには阪神が本拠地としている阪神甲子園球場が元通り。春と夏だけ、神様が高校生のために甲子園という聖地を届けてくださると…僕は今でもずっとそう思ってます」
甲子園大会でドラマティックな試合が多い理由:それは春夏にやってくる甲子園という聖地が、ドラマになるように「見えざる手」で演出しているからだ。
…私にはそう思えてならない。
2021年01月08日
「根無し草人生」を支え、生き永らえさせてくれた「我が大好物たち」(2)スポーツ:高校野球
【 高校野球 】
去年のNHK朝の連ドラ「エール」の主人公のモデルは、作曲家の故・古関裕而さんだった。この人が手掛けた曲には多彩なジャンルにたくさんの名曲があるが、スポーツファンとして耳に強く残っているのは、NHKのスポーツ番組のテーマ曲「スポーツショー行進曲」だ。あの心が浮き立つ軽快なメロディ、とりわけピッコロの弾ける音色は、スポーツ番組のテーマ曲にふさわしい躍動感にあふれている。
特に私にとっては、この「スポーツショー行進曲」は、ほぼイコール「高校野球」、ほぼイコール「甲子園」だ。子供の頃は、春休みにはセンバツ、夏休みには夏の選手権のテレビ中継を心待ちにし、この曲が流れると胸が躍った。そしてテレビで観られるほとんどすべての試合を、画面に食い入るように見つめていた(Eテレの「らららクラシック」で古関裕而さんを特集し、番組の最後に「スポーツショー行進曲」の演奏が流れた時、高校野球に熱狂していたあの頃の思い出が鮮明に蘇り、思わず涙がこぼれてしまった)。
小学校高学年になると、ただ観るだけにとどまらず、試合のスコアとトーナメント表をまとめたノート(B5判)を作り始めた。表紙に「第〇〇回 全国高校野球選手権大会(センバツの時は「全国選抜高校野球大会」)」、その下に「スコア・ノート」(高校生になると”SCORE NOTE”)、さらにその下に「優勝 〇〇高校 準優勝 △△高校」と大書した。表紙の下段には、その大会でダークホース的に活躍した学校を自分で選び、「敢闘賞校」として校名を書いた。私は子供の頃からレタリングが得意で(絵はメチャヘタだったが、レタリングだけは美術の先生にほめられた)、この時もさまざまな色のサインペンを使い、明朝体でスラスラと書き記していった。トーナメント表も定規を使って丁寧に書き、試合のスコアも1回戦はオレンジ、2回戦は水色、3回戦は赤、準々決勝は緑、準決勝はピンク、決勝は紺と色分けし、最後に「〇〇は△年ぶり◇回目の優勝」というふうに、明朝体の大きな字で記した。
こうして春休みと夏休みごとに大会のスコアをノートにまとめ、1冊のノートに3大会分が書けたので、1年半ごとに1冊”SCORE NOTE”が増えていった。これがいつまで続いたかははっきり覚えていないが、大学の途中までは書いていたような気がする。ということは、始めたのは小学校高学年だから、6冊ほど作っていたことになる。よくもマメにこんなことをやっていたなと思うが、こういう緻密なことは子供の頃からけっこう好きだったようだ。このノートは今は全く残っていないが、まだ手元にあった頃は時々見返して、懐かしさに浸ったものだった。
高校野球関連の本や雑誌、DVDも買い集めた。仙台で大学受験浪人していた頃に読んだ、夏の甲子園の歴史を特集したアサヒグラフ。これにはのめり込んだ。その後も雑誌やDVDを買い込み、今も100年の歴史やヒーロー列伝を特集した雑誌や、名勝負をまとめたDVDシリーズ(全12枚)を持っている。
なぜ私は高校野球にこれほどまで魅せられたのか。それを言葉にすると陳腐になってしまう気がするので、ここではやめておく(というより、高校野球の魅力と我が記憶を文章にして書こうものなら、いったい何10ページになるのか見当もつかない。とてもエナジーがもたないからやめておくのだ)。とにかくたくさんの試合を見、たくさんのチームと選手を見、たくさんのドラマと感動を味わった。
1969年夏決勝・松山商VS三沢、延長18回引き分け再試合。1979年夏3回戦・箕島VS星稜、延長18回。1998年夏準々決勝・横浜VS PL学園、延長17回。これが私がリアルタイムで見た中での夏の甲子園・伝説の名勝負ベスト3だが、ファンによっては異論もあるだろう。ファンそれぞれがそれぞれの思い入れで見つめる、それが甲子園なのだ。
(戦前の中等学校野球時代も含めれば、やはり1933年夏準決勝・中京商VS明石中の延長25回がベストマッチになるだろうな)
2018年、夏の甲子園は100回記念大会を迎えた。金足農(準優勝)が旋風を巻き起こしたことが記憶に新しいが、私も居てもたまらず、3日間だけだが甲子園に観に行った。初日は優勝候補筆頭の大阪桐蔭が登場するということで外野席も満員で入れなかったが、さればと、ぜひ一度訪れたかった甲子園歴史館に行った。これは私のような長年の高校野球ファンには垂涎の展示品のオンパレードで、携帯で写真をたくさん撮ってきた。そして翌日、20年余ぶりに訪れた甲子園。久々に味わった臨場感、熱気はやはり心地よかった。
かつてNumberで甲子園を特集した時、桑田真澄との対談で、江川卓がこう語っている。
「僕、甲子園と阪神甲子園球場は違うと思ってるんです。甲子園っていうのは春と夏、どこからかやってきます。神様が甲子園を置いておく場所があって、そこからピューッとやってくる。で、高校野球が終わると、またフッといなくなる。そこには阪神が本拠地としている阪神甲子園球場が元通り。春と夏だけ、神様が高校生のために甲子園という聖地を届けてくださると・・・僕は今でもずっとそう思ってます」
「春と夏だけ、神様が高校生のために甲子園という聖地を届けてくださる」これは名言だ。なぜ私は長年高校野球に魅せられてきたのか。それは、毎年春と夏に舞い降りる「甲子園」という名の聖地の「神聖なる魅力」に惹かれ続けてきたというわけだ。納得!
甲子園ではこれからも、数々の名勝負とドラマが繰り広げられるだろう。私はファンの1人として、生ある限りそれを見つめ、楽しみ、味わい続けたい。
去年のNHK朝の連ドラ「エール」の主人公のモデルは、作曲家の故・古関裕而さんだった。この人が手掛けた曲には多彩なジャンルにたくさんの名曲があるが、スポーツファンとして耳に強く残っているのは、NHKのスポーツ番組のテーマ曲「スポーツショー行進曲」だ。あの心が浮き立つ軽快なメロディ、とりわけピッコロの弾ける音色は、スポーツ番組のテーマ曲にふさわしい躍動感にあふれている。
特に私にとっては、この「スポーツショー行進曲」は、ほぼイコール「高校野球」、ほぼイコール「甲子園」だ。子供の頃は、春休みにはセンバツ、夏休みには夏の選手権のテレビ中継を心待ちにし、この曲が流れると胸が躍った。そしてテレビで観られるほとんどすべての試合を、画面に食い入るように見つめていた(Eテレの「らららクラシック」で古関裕而さんを特集し、番組の最後に「スポーツショー行進曲」の演奏が流れた時、高校野球に熱狂していたあの頃の思い出が鮮明に蘇り、思わず涙がこぼれてしまった)。
小学校高学年になると、ただ観るだけにとどまらず、試合のスコアとトーナメント表をまとめたノート(B5判)を作り始めた。表紙に「第〇〇回 全国高校野球選手権大会(センバツの時は「全国選抜高校野球大会」)」、その下に「スコア・ノート」(高校生になると”SCORE NOTE”)、さらにその下に「優勝 〇〇高校 準優勝 △△高校」と大書した。表紙の下段には、その大会でダークホース的に活躍した学校を自分で選び、「敢闘賞校」として校名を書いた。私は子供の頃からレタリングが得意で(絵はメチャヘタだったが、レタリングだけは美術の先生にほめられた)、この時もさまざまな色のサインペンを使い、明朝体でスラスラと書き記していった。トーナメント表も定規を使って丁寧に書き、試合のスコアも1回戦はオレンジ、2回戦は水色、3回戦は赤、準々決勝は緑、準決勝はピンク、決勝は紺と色分けし、最後に「〇〇は△年ぶり◇回目の優勝」というふうに、明朝体の大きな字で記した。
こうして春休みと夏休みごとに大会のスコアをノートにまとめ、1冊のノートに3大会分が書けたので、1年半ごとに1冊”SCORE NOTE”が増えていった。これがいつまで続いたかははっきり覚えていないが、大学の途中までは書いていたような気がする。ということは、始めたのは小学校高学年だから、6冊ほど作っていたことになる。よくもマメにこんなことをやっていたなと思うが、こういう緻密なことは子供の頃からけっこう好きだったようだ。このノートは今は全く残っていないが、まだ手元にあった頃は時々見返して、懐かしさに浸ったものだった。
高校野球関連の本や雑誌、DVDも買い集めた。仙台で大学受験浪人していた頃に読んだ、夏の甲子園の歴史を特集したアサヒグラフ。これにはのめり込んだ。その後も雑誌やDVDを買い込み、今も100年の歴史やヒーロー列伝を特集した雑誌や、名勝負をまとめたDVDシリーズ(全12枚)を持っている。
なぜ私は高校野球にこれほどまで魅せられたのか。それを言葉にすると陳腐になってしまう気がするので、ここではやめておく(というより、高校野球の魅力と我が記憶を文章にして書こうものなら、いったい何10ページになるのか見当もつかない。とてもエナジーがもたないからやめておくのだ)。とにかくたくさんの試合を見、たくさんのチームと選手を見、たくさんのドラマと感動を味わった。
1969年夏決勝・松山商VS三沢、延長18回引き分け再試合。1979年夏3回戦・箕島VS星稜、延長18回。1998年夏準々決勝・横浜VS PL学園、延長17回。これが私がリアルタイムで見た中での夏の甲子園・伝説の名勝負ベスト3だが、ファンによっては異論もあるだろう。ファンそれぞれがそれぞれの思い入れで見つめる、それが甲子園なのだ。
(戦前の中等学校野球時代も含めれば、やはり1933年夏準決勝・中京商VS明石中の延長25回がベストマッチになるだろうな)
2018年、夏の甲子園は100回記念大会を迎えた。金足農(準優勝)が旋風を巻き起こしたことが記憶に新しいが、私も居てもたまらず、3日間だけだが甲子園に観に行った。初日は優勝候補筆頭の大阪桐蔭が登場するということで外野席も満員で入れなかったが、さればと、ぜひ一度訪れたかった甲子園歴史館に行った。これは私のような長年の高校野球ファンには垂涎の展示品のオンパレードで、携帯で写真をたくさん撮ってきた。そして翌日、20年余ぶりに訪れた甲子園。久々に味わった臨場感、熱気はやはり心地よかった。
かつてNumberで甲子園を特集した時、桑田真澄との対談で、江川卓がこう語っている。
「僕、甲子園と阪神甲子園球場は違うと思ってるんです。甲子園っていうのは春と夏、どこからかやってきます。神様が甲子園を置いておく場所があって、そこからピューッとやってくる。で、高校野球が終わると、またフッといなくなる。そこには阪神が本拠地としている阪神甲子園球場が元通り。春と夏だけ、神様が高校生のために甲子園という聖地を届けてくださると・・・僕は今でもずっとそう思ってます」
「春と夏だけ、神様が高校生のために甲子園という聖地を届けてくださる」これは名言だ。なぜ私は長年高校野球に魅せられてきたのか。それは、毎年春と夏に舞い降りる「甲子園」という名の聖地の「神聖なる魅力」に惹かれ続けてきたというわけだ。納得!
甲子園ではこれからも、数々の名勝負とドラマが繰り広げられるだろう。私はファンの1人として、生ある限りそれを見つめ、楽しみ、味わい続けたい。
2015年04月01日
「思いの強さ」でリベンジを果たした両校が初の決勝進出 〜第87回選抜高校野球・準決勝〜
大会初の休養日を経て行われた第87回選抜高校野球・準決勝は、2試合とも「歴史的」と呼ぶべき結果となった。
(私事だが、昨日は急に仕事が休みになり、日曜日の準々決勝に続いて準決勝をじっくりと観ることができた。そこで目の当たりにしたこの「歴史的事件」。これは子供のころからの高校野球大好き人間の私への、野球の神様の御計らいとしか思えない。この幸運に心から感謝、だ)
【 第1試合 : 敦賀気比 11−0 大阪桐蔭 】
昨夏の甲子園でも準決勝で激突した両校。この時は敦賀気比が初回に5点を奪いながら、エース平沼が大阪桐蔭打線の猛打を浴び、9−15で逆転負けを喫している。敦賀気比としてはこの時の雪辱を期しての一戦だった。
試合は思いもよらぬ展開になった。初回、2死満塁で背番号17の6番・松本が満塁弾を左中間スタンドに叩き込む。続く2回、3本の長打で2点を追加し、なおも2死満塁として、打席はまたも松本。「2打席連続満塁ホームランなんかになったら、史上初じゃないか」と私が心でふっとつぶやいたら、本当にその通りになった。内角のストレートをうまく腕をたたんでとらえ、打球はレフトスタンドへ。1試合で2本の満塁弾は大会タイ記録だが、それを同じ選手が、2打席連続で、しかも2イニング連続で達成したのは、春夏通じて初めてのことだ。こんな歴史的瞬間を目の当たりにできた幸運に、私は野球の神様に素直に感謝した。
この松本の二振りで昨夏のリベンジを果たした敦賀気比だが、エース平沼の好投も見逃してはいけない。「1回表に満塁弾で大量リード」これは昨夏の準決勝も同じだった。この時は5点を先制したが、1・2回で5点を奪われて同点に追いつかれた。その後も猛打を浴び、平沼は12失点で6回途中で降板し、大逆転負けを喫した。
しかしこの試合の平沼は、4点リードの初回、10点リードの2回をともに冷静に抑えた。野球、特に高校野球は、点を取ったそのあとの守りでしっかり抑えることが大切だが、大量リードに浮つくことなく抑えることができたのは、昨夏の苦い経験を教訓にして心身にしみこませていたからだろう。力任せではない、緩急を使い、内外角に投げ分け、コンビネーションのいい投球で強打の大阪桐蔭打線を翻弄し、散発4安打の見事な完封勝ちを収めた。
【 第2試合 : 東海大四 3−1 浦和学院 】
戦前の予想では、投打ともに上回る浦和学院が有利と目されていた。昨秋の明治神宮大会では、10−0の6回コールドで浦和学院が圧勝している。しかし東海大四は、この時のリベンジを期してこの冬、雌伏の時を過ごしていた。
2回、浦和学院は連打で1死1・3塁のチャンスをつかみ、エース江口が自らライト線へタイムリー2塁打を放って先制。しかし、続く1死2・3塁を東海大四のエース大澤がしのぎ(2死後の1・3塁で、2番・台の三遊間へのゴロを、サード立花が好捕して1塁に刺したのが大きかった)、最少失点で抑えた。
その裏、東海大四は先頭の4番小川が死球で出塁し、送りバントで2進。内野ゴロで3進後、7番大澤が高目のスライダーにうまくバットを合わせてセンター前にタイムリー。こちらもエースが自ら殊勲打を放った。このあと死四球で満塁とし、1番富田の放った1・2塁間へのゴロをセカンド台が弾き、大澤が生還(これはエラーというには気の毒なむずかしいゴロだった)。先制されてすぐに追いつき、さらに逆転に成功。試合の流れを引き戻す、東海大四のすばらしい反発力だった。
3回表、浦和学院は先頭の津田が左中間に2塁打を放つ(これは低目の速球を上から叩いた見事な一打。浦和打線のすごさが垣間見えたすばらしいバッティングだ)。しかし1死後、5番幸喜の放った痛烈なピッチャーライナーを大澤が弾き、これをショート富田がダイレクトキャッチ。目の前に2塁ランナーの津田がいて、タッチして一瞬でダブルプレー。「こんなことがあるのか」というプレーだが、球運が東海大四に傾きつつあることを示したシーンといえた。
この後も再三のピンチを粘り強く防ぎ、1点リードのままで迎えた6回裏、東海大四は1死1・3塁から大澤が初球セーフティースクイズを鮮やかに決め、貴重な追加点を挙げる。この前に6番塩田が振り逃げで生き、2塁走者が3進している。この3進があったからのスクイズであり、このあたりにも東海大四の球運を感じた。
2点差で迎えた9回表、浦和学院は1死から連打で1・2塁とし、同点のランナーを出す。しかしここでも大澤がふんばり、後続を連続のフライに打ち取ってゲームセット。東海大四は目標だった「打倒・浦和学院」をついに果たし、初の決勝進出。北海道勢としても、第35回大会(1963年)の北海以来、52年ぶり2度目の決勝進出となった。これもまた歴史的な快挙である。
(ちなみに52年前の北海の決勝進出では、準決勝で優勝候補の早実と対戦し、9回裏にエース吉沢の逆転サヨナラランニングホームランで劇的な勝利を挙げている。北海道勢の活躍は常にドラマを生むようだ)
東海大四の勝因:すぐに同点・逆転した反発の強さもあったが、大澤投手をはじめとする粘り強い守りが第一だと思う。9安打を浴び、再三のピンチを迎えながら、冷静で丁寧な投球を続けた大澤と、それを支えたバックの好守。そしてそれぞれの胸中にあったのはただ一つ、「打倒・浦和学院」だっただろう。
第2試合でTV解説の鬼嶋一司氏が「今日勝った2チームは、ともに『思いの勝利』でしたね」と語った。浦和学院の森監督も試合後「相手の方が勝つ執念が上でした」とコメントした。ともに昨年の屈辱を胸に、見事にリベンジを果たした両チーム。どちらが勝っても初優勝である。今は決戦の時をじっと待つのみだ。
(私事だが、昨日は急に仕事が休みになり、日曜日の準々決勝に続いて準決勝をじっくりと観ることができた。そこで目の当たりにしたこの「歴史的事件」。これは子供のころからの高校野球大好き人間の私への、野球の神様の御計らいとしか思えない。この幸運に心から感謝、だ)
【 第1試合 : 敦賀気比 11−0 大阪桐蔭 】
昨夏の甲子園でも準決勝で激突した両校。この時は敦賀気比が初回に5点を奪いながら、エース平沼が大阪桐蔭打線の猛打を浴び、9−15で逆転負けを喫している。敦賀気比としてはこの時の雪辱を期しての一戦だった。
試合は思いもよらぬ展開になった。初回、2死満塁で背番号17の6番・松本が満塁弾を左中間スタンドに叩き込む。続く2回、3本の長打で2点を追加し、なおも2死満塁として、打席はまたも松本。「2打席連続満塁ホームランなんかになったら、史上初じゃないか」と私が心でふっとつぶやいたら、本当にその通りになった。内角のストレートをうまく腕をたたんでとらえ、打球はレフトスタンドへ。1試合で2本の満塁弾は大会タイ記録だが、それを同じ選手が、2打席連続で、しかも2イニング連続で達成したのは、春夏通じて初めてのことだ。こんな歴史的瞬間を目の当たりにできた幸運に、私は野球の神様に素直に感謝した。
この松本の二振りで昨夏のリベンジを果たした敦賀気比だが、エース平沼の好投も見逃してはいけない。「1回表に満塁弾で大量リード」これは昨夏の準決勝も同じだった。この時は5点を先制したが、1・2回で5点を奪われて同点に追いつかれた。その後も猛打を浴び、平沼は12失点で6回途中で降板し、大逆転負けを喫した。
しかしこの試合の平沼は、4点リードの初回、10点リードの2回をともに冷静に抑えた。野球、特に高校野球は、点を取ったそのあとの守りでしっかり抑えることが大切だが、大量リードに浮つくことなく抑えることができたのは、昨夏の苦い経験を教訓にして心身にしみこませていたからだろう。力任せではない、緩急を使い、内外角に投げ分け、コンビネーションのいい投球で強打の大阪桐蔭打線を翻弄し、散発4安打の見事な完封勝ちを収めた。
【 第2試合 : 東海大四 3−1 浦和学院 】
戦前の予想では、投打ともに上回る浦和学院が有利と目されていた。昨秋の明治神宮大会では、10−0の6回コールドで浦和学院が圧勝している。しかし東海大四は、この時のリベンジを期してこの冬、雌伏の時を過ごしていた。
2回、浦和学院は連打で1死1・3塁のチャンスをつかみ、エース江口が自らライト線へタイムリー2塁打を放って先制。しかし、続く1死2・3塁を東海大四のエース大澤がしのぎ(2死後の1・3塁で、2番・台の三遊間へのゴロを、サード立花が好捕して1塁に刺したのが大きかった)、最少失点で抑えた。
その裏、東海大四は先頭の4番小川が死球で出塁し、送りバントで2進。内野ゴロで3進後、7番大澤が高目のスライダーにうまくバットを合わせてセンター前にタイムリー。こちらもエースが自ら殊勲打を放った。このあと死四球で満塁とし、1番富田の放った1・2塁間へのゴロをセカンド台が弾き、大澤が生還(これはエラーというには気の毒なむずかしいゴロだった)。先制されてすぐに追いつき、さらに逆転に成功。試合の流れを引き戻す、東海大四のすばらしい反発力だった。
3回表、浦和学院は先頭の津田が左中間に2塁打を放つ(これは低目の速球を上から叩いた見事な一打。浦和打線のすごさが垣間見えたすばらしいバッティングだ)。しかし1死後、5番幸喜の放った痛烈なピッチャーライナーを大澤が弾き、これをショート富田がダイレクトキャッチ。目の前に2塁ランナーの津田がいて、タッチして一瞬でダブルプレー。「こんなことがあるのか」というプレーだが、球運が東海大四に傾きつつあることを示したシーンといえた。
この後も再三のピンチを粘り強く防ぎ、1点リードのままで迎えた6回裏、東海大四は1死1・3塁から大澤が初球セーフティースクイズを鮮やかに決め、貴重な追加点を挙げる。この前に6番塩田が振り逃げで生き、2塁走者が3進している。この3進があったからのスクイズであり、このあたりにも東海大四の球運を感じた。
2点差で迎えた9回表、浦和学院は1死から連打で1・2塁とし、同点のランナーを出す。しかしここでも大澤がふんばり、後続を連続のフライに打ち取ってゲームセット。東海大四は目標だった「打倒・浦和学院」をついに果たし、初の決勝進出。北海道勢としても、第35回大会(1963年)の北海以来、52年ぶり2度目の決勝進出となった。これもまた歴史的な快挙である。
(ちなみに52年前の北海の決勝進出では、準決勝で優勝候補の早実と対戦し、9回裏にエース吉沢の逆転サヨナラランニングホームランで劇的な勝利を挙げている。北海道勢の活躍は常にドラマを生むようだ)
東海大四の勝因:すぐに同点・逆転した反発の強さもあったが、大澤投手をはじめとする粘り強い守りが第一だと思う。9安打を浴び、再三のピンチを迎えながら、冷静で丁寧な投球を続けた大澤と、それを支えたバックの好守。そしてそれぞれの胸中にあったのはただ一つ、「打倒・浦和学院」だっただろう。
第2試合でTV解説の鬼嶋一司氏が「今日勝った2チームは、ともに『思いの勝利』でしたね」と語った。浦和学院の森監督も試合後「相手の方が勝つ執念が上でした」とコメントした。ともに昨年の屈辱を胸に、見事にリベンジを果たした両チーム。どちらが勝っても初優勝である。今は決戦の時をじっと待つのみだ。
2011年08月21日
毎年春と夏に舞い降りる、「甲子園」という名の聖地
スポーツ専門誌「Number」の最新号は、「甲子園最強高校伝説 覇者たちの夏」と題する甲子園特集。
(当初の発売予定は2週間前だったが、なでしこジャパンの快挙で急遽予定を変更した。この臨機応変さはさすがNumberである)
(主な内容)
・[巻頭スペシャル対談] 江川卓×桑田真澄 「甲子園の神に魅入られて」
・PL学園 「KKの背中を追え」 〜春夏連覇組の85年と87年〜
・池田 「怪童たちが見た天国と地獄」 〜82年早実戦と83年PL戦〜
・早稲田実業 「早実三代」 〜王貞治、荒木大輔が語る〜
・駒大苫小牧 「尽きせぬ闘志がこじ開けた扉」 〜2004年決勝 vs済美〜
・佐賀北&佐賀商業 「重なり合う旋風の轍」 〜二つの奇跡を辿る〜
・熊本工業 「無冠の古豪が貫く流儀」 〜44勝で優勝ゼロの謎に迫る〜
・常総学院 「木内幸男、名将最後の哄笑」 〜常識を超え続けた60年〜
私のような永年の高校野球ファンにはたまらない記事の連発で、夕食の時間も忘れて読みふけった。
そして読みふけるうち、思わず赤ペンを取り出してあちこちに線を引き始めた。ハードカバーや文庫本を読む時にはいつも赤ペンを用意する私だが、雑誌を読みながら赤ペンを手にすることはめったにない。しかし今回のNumberには、思わずそうしたくなるような「名言」が散りばめられていたのだ。
その名言をここに抜粋する。
【江川・桑田の対談より】
江川「僕、甲子園と阪神甲子園球場は違うと思ってるんです。甲子園っていうのは春と夏、どこからかやってきます。神様が甲子園を置いておく場所があって、そこからピューッとやってくる。で、高校野球が終わると、またフッといなくなる。そこには阪神が本拠地としている阪神甲子園球場が元通り。春と夏だけ、神様が高校生のために甲子園という聖地を届けてくださると・・・僕は今でもずっとそう思ってます」
この言葉には、安易にコメントできない、というより許されないだろう。その魅力を味わった人たちだけに語ることが許される、アンタッチャブルな世界だ。
【早稲田実業「早実三代」より】
王「(甲子園大会が)東京でないところでやっているというのが魅力というか、独特の色になっている。なんでも東京で日本一が決まる中で、高校野球の日本一だけは西の甲子園で決まる。西の人にとっては甲子園大会は誇らしい勲章みたいなものなんじゃないだろうか」
こんな切り口で甲子園大会を見たことはなかった。巨人(東京)での栄光を打ち捨てて西のダイエー(福岡)に飛び込み、苦闘の末にここでも栄冠を勝ち得た王さんならではの「外からの視線」だ。
【佐賀北&佐賀商業 「重なり合う旋風の轍」より】
1994年決勝、9回表に決勝の満塁ホームランを放った佐賀商・西原:
「打席に入る前から、周り全体がスローモーションのようになっていた。ボールが糸を引くように見えて。すごくいい集中力というか。僕は滅多に初球を打たないんですけど、気がついたら身体が勝手に反応していた」
2007年決勝、8回裏に逆転満塁ホームランを放った佐賀北・副島についての記述:
「(2球目から)先の記憶は断片的だ。バットを振る。ボールを捕らえる。一塁へ走り出す。レフトが見送っている・・・記憶が戻るのは、ベンチに座ってからである。『頭が真っ白になって、気がついたらベンチでみんなと抱き合ってました』」
これはともに、「ZONE」に入っていた典型的な例だ。同じ佐賀県の同じ公立校が、同じように決勝戦での満塁ホームランで優勝する。これも「勝利の女神の見えざる手」の計らいなのか。
【常総学院 「木内幸男、名将最後の哄笑」より】
木内「嬉しそうな顔をしてマウンドに上がったピッチャーは、みんないいピッチングをするんだよ」
常総学院とライバル関係にある水城・橋本監督:
「普通、練習試合っていうと、選手の練習だと思うでしょう。でも、木内さんは違うんです。練習試合を通して、ありとあらゆる戦術を監督が練習してるんですよ。そうやって持ち駒を掌握しているからこそ、公式戦になったときに意のままに選手を使うことができるんです」
木内「勝って不幸になる人間はいないのよ。それに、勝って喜びを知れば、人間は我慢ができるようになる。つまり、修養を積ませるには勝つチームにするのが一番カンタン。それに気づいちゃったのよ!」
「木内マジック」と呼ばれた奇策の内実は、選手の能力や性格を把握していたからこその起用、采配だった。本人にとってはマジックでも奇策でも何でもなく、常に根拠のあることだったのだ。
「甲子園」は、そこを目指す者にとっても、そこでの熱戦の数々、幾多のドラマを見つめる者にとっても、汲めども尽きぬ魅力にあふれている。私は来年もまた、新たに刻まれるドラマを求めて、春と夏に阪神甲子園球場に舞い降りる「甲子園」という名の聖地を見つめるだろう。
(当初の発売予定は2週間前だったが、なでしこジャパンの快挙で急遽予定を変更した。この臨機応変さはさすがNumberである)
(主な内容)
・[巻頭スペシャル対談] 江川卓×桑田真澄 「甲子園の神に魅入られて」
・PL学園 「KKの背中を追え」 〜春夏連覇組の85年と87年〜
・池田 「怪童たちが見た天国と地獄」 〜82年早実戦と83年PL戦〜
・早稲田実業 「早実三代」 〜王貞治、荒木大輔が語る〜
・駒大苫小牧 「尽きせぬ闘志がこじ開けた扉」 〜2004年決勝 vs済美〜
・佐賀北&佐賀商業 「重なり合う旋風の轍」 〜二つの奇跡を辿る〜
・熊本工業 「無冠の古豪が貫く流儀」 〜44勝で優勝ゼロの謎に迫る〜
・常総学院 「木内幸男、名将最後の哄笑」 〜常識を超え続けた60年〜
私のような永年の高校野球ファンにはたまらない記事の連発で、夕食の時間も忘れて読みふけった。
そして読みふけるうち、思わず赤ペンを取り出してあちこちに線を引き始めた。ハードカバーや文庫本を読む時にはいつも赤ペンを用意する私だが、雑誌を読みながら赤ペンを手にすることはめったにない。しかし今回のNumberには、思わずそうしたくなるような「名言」が散りばめられていたのだ。
その名言をここに抜粋する。
【江川・桑田の対談より】
江川「僕、甲子園と阪神甲子園球場は違うと思ってるんです。甲子園っていうのは春と夏、どこからかやってきます。神様が甲子園を置いておく場所があって、そこからピューッとやってくる。で、高校野球が終わると、またフッといなくなる。そこには阪神が本拠地としている阪神甲子園球場が元通り。春と夏だけ、神様が高校生のために甲子園という聖地を届けてくださると・・・僕は今でもずっとそう思ってます」
この言葉には、安易にコメントできない、というより許されないだろう。その魅力を味わった人たちだけに語ることが許される、アンタッチャブルな世界だ。
【早稲田実業「早実三代」より】
王「(甲子園大会が)東京でないところでやっているというのが魅力というか、独特の色になっている。なんでも東京で日本一が決まる中で、高校野球の日本一だけは西の甲子園で決まる。西の人にとっては甲子園大会は誇らしい勲章みたいなものなんじゃないだろうか」
こんな切り口で甲子園大会を見たことはなかった。巨人(東京)での栄光を打ち捨てて西のダイエー(福岡)に飛び込み、苦闘の末にここでも栄冠を勝ち得た王さんならではの「外からの視線」だ。
【佐賀北&佐賀商業 「重なり合う旋風の轍」より】
1994年決勝、9回表に決勝の満塁ホームランを放った佐賀商・西原:
「打席に入る前から、周り全体がスローモーションのようになっていた。ボールが糸を引くように見えて。すごくいい集中力というか。僕は滅多に初球を打たないんですけど、気がついたら身体が勝手に反応していた」
2007年決勝、8回裏に逆転満塁ホームランを放った佐賀北・副島についての記述:
「(2球目から)先の記憶は断片的だ。バットを振る。ボールを捕らえる。一塁へ走り出す。レフトが見送っている・・・記憶が戻るのは、ベンチに座ってからである。『頭が真っ白になって、気がついたらベンチでみんなと抱き合ってました』」
これはともに、「ZONE」に入っていた典型的な例だ。同じ佐賀県の同じ公立校が、同じように決勝戦での満塁ホームランで優勝する。これも「勝利の女神の見えざる手」の計らいなのか。
【常総学院 「木内幸男、名将最後の哄笑」より】
木内「嬉しそうな顔をしてマウンドに上がったピッチャーは、みんないいピッチングをするんだよ」
常総学院とライバル関係にある水城・橋本監督:
「普通、練習試合っていうと、選手の練習だと思うでしょう。でも、木内さんは違うんです。練習試合を通して、ありとあらゆる戦術を監督が練習してるんですよ。そうやって持ち駒を掌握しているからこそ、公式戦になったときに意のままに選手を使うことができるんです」
木内「勝って不幸になる人間はいないのよ。それに、勝って喜びを知れば、人間は我慢ができるようになる。つまり、修養を積ませるには勝つチームにするのが一番カンタン。それに気づいちゃったのよ!」
「木内マジック」と呼ばれた奇策の内実は、選手の能力や性格を把握していたからこその起用、采配だった。本人にとってはマジックでも奇策でも何でもなく、常に根拠のあることだったのだ。
「甲子園」は、そこを目指す者にとっても、そこでの熱戦の数々、幾多のドラマを見つめる者にとっても、汲めども尽きぬ魅力にあふれている。私は来年もまた、新たに刻まれるドラマを求めて、春と夏に阪神甲子園球場に舞い降りる「甲子園」という名の聖地を見つめるだろう。