2017年01月07日

ジャーナリスト・池上彰さん 〜我が尊敬すべき「Mr.わかりやすい」〜

昨日のNHK「あさイチ」のゲストは、元NHK記者、今や言わずと知れたフリージャーナリストの池上彰さんだった。

私が池上さんを初めて観たのは、確かNHKの15分間のニュース番組のアナウンサーとしての彼だった。この時は「なんか地味なおっさんだな〜」としか思わなかったのだが、そのイメージが劇的に変わったのが「週刊こどもニュース」のお父さん役だった。さまざまな出来事を子供向けに噛み砕いた説明がとてもわかりやすく、大人が観ても十分に楽しめた(というより、私は大人向けのニュース番組よりこっちの方が面白かった)。この後池上さんはフリージャーナリストに転身し、民放の番組でその「わかりやすさ」にさらに磨きをかけ、今や知名度・人気とも抜群に高い、「わかりやすさNo.1」ジャーナリストである。


その池上さん、「あさイチ」でいろいろなためになる話を聞かせてくれた。録画したので何度でも観返せるが、内容を自分に染み込ませるために、ここにそのポイントをまとめておこう。


◎司会のイノッチ(井ノ原快彦)の「聞き上手」を褒めちぎる
⇒ 相手の話を「そうだったんですか」「それは知らなかった」と、身振り手振りを交えながら、身を乗り出して目を輝かせて聞いてくる。だから相手も自然と気持ちよく話せる


◎新聞の読み方:新聞の良い点は「一覧性」⇒開いてざっと読める
@ 朝、一通りざっと目を通す:見出しだけでもある程度内容はわかる
A 夜、気になった記事のページを切り取り、クリアファイルに入れる
B ファイルに入れた記事を読み込む
⇒ 切り取ったページを積んでおき、1〜2か月経ってから目を通すと、自分が興味を持っているジャンルがわかる:「自分探し」が新聞でできる


(筆者注)私も新聞のスクラップをやっているので、これはわかる。私の場合読んでいるのは日刊紙1紙と週刊の英字紙1紙なので、朝は日刊紙の各ページをざっと読み、気になった記事を切り取っておき、帰宅後にじっくり読んでいる(ただ池上さんほどシステマチックかつ生産的ではないが)。この一覧性を生かした「ざっと目を通す」読み方の効果は私も実感しているし、たまにスクラップブックを見返すと、自分の関心の高いジャンルがわかるのだ。


※ 新聞のコラムを原稿に書き写してみると、読んだだけではわからない「文章表現の工夫」がわかる:試験の小論文対策に役立つ


◎問題の本質について考え抜いて行き詰った時、リラックスタイム(入浴、散歩など)に入って緊張がほぐれると、思わぬ発想やアイデアが浮かぶことがある
(「週刊こどもニュース」のころ、子供たちにわかりやすく説明するためには、基礎に立ち戻らないといけなかった)
⇒ この後、原稿などを書いている時に、自分の中の「小学生の池上君」が「そんなのわかんないよ!」とツッコミを入れてくるようになった:頭の中で彼と対話をしながら、わかりやすくするにはどうしたらいいかを考えている


(筆者注)この「自分の中の『小学生の池上君』がツッコミを入れてくる」というのはすばらしいと思う。これが池上さんの「わかりやすさNo.1」の秘訣だったのだ。確かに「週刊こどもニュース」での説明は、大人が聞いても「なるほど〜」と膝を打ちたくなるようなものが多かった。あの頃に身についた「噛み砕く手法」を、その後も今も続けているというわけだ。すばらしい!


◎「話し上手になるには」
@ つかみが肝心:聞き手の関心を引く
A メリハリをつける:大声で言ったり、突然話をやめて間を置いたり
B 空気を読む:大勢の人に話す時は重要

※ 何事も「3つ」に絞るのが大事:そらで覚えられるし、自分の中で整理がつく



(筆者注)これもいい。まず「何事も『3つ』に絞るのが大事」は「我が意を得たり」だ。このブログの直近の記事で、私は「2016年の総括」を3つの項目に分け、それぞれを「現状」3項目と「課題」3項目にまとめた。さらに2017年の目標も3つ定めた。別に特別な意識はしていなかったのだが、3つなら頭に収まりやすいし、多からず少なからずでバランスがいいかな、と思ったのだ。池上さんのこのコメントで、大きく背中を押していただいた気分だ。


「話し上手の3つのコツ」もすごく勉強になる。私の秘かな願望の1つに「講演活動を生業の1つとする」があるのだが、それを実現し、継続する(講演依頼を次々に受ける)ための必須要件だろう。これは今から心しておこう。


さすが池上さん、ポイントをしっかり押さえ、話が簡潔でわかりやすい。ここでも3つが出るが、この「ポイントを押さえる」「簡潔」「わかりやすい」の3点が、聞き手を惹きつけるコツなのだろう。いや、すばらしい。池上さんの一言一言が勉強になるし、心にしみてくる。この番組を録画しておいてよかった。これからも事あるごとに観返してみよう。

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2015年12月30日

羽生善治と羽生結弦:「二人の羽生」の、意外かつすばらしき共通点

シーズンになるとその関連の記事を連発してここに載せるほど、私はかなりディープなフィギュアスケートファンである(その割には一度も現場で観戦できていないのが残念だが)。と同時に、私は永年の将棋ファンでもある。そのフィギュアスケートの世界で男子シングルの「絶対王者」として君臨しているのが羽生結弦。そして将棋界でかつて7つのタイトルを独占し、今もなお4冠王(名人・王位・王座・棋聖)として確固たる地位を築く第一人者が羽生善治である。

羽生(ハブ)善治と羽生(ハニュウ)結弦。読み方は違えど同じ苗字のこの2人が、ともにそれぞれの世界でトップを極めているのは偶然だけど面白いな、なんてくだらないことを考えていた私だったが、先日この2人に「意外だがすばらしい共通点」があることを知った。


スポーツ専門誌「Number」892号はフィギュアスケート特集。その記事の中心は、NHK杯とGPファイナルで異次元の世界最高得点を連発した羽生結弦である。ここに掲載された羽生関連の3つの記事は、さすがNumber、どれもすばらしい内容だったが、とりわけ目を引いたのが松岡修造氏の記事だった。

松岡氏はGPシリーズとファイナルで総合司会的な役割を務め、解説の織田信成氏とともに「情熱の司会」を続けてきたが(最近はこの「アツさ」があまり気にならなくなってきた。同じようにアツい佐野稔氏の実況解説(私は彼の解説が大好きだ!)に影響されたようだ)このNumberで連載している「熱血修造一直線」は、アツさに元アスリートらしい冷静なまなざしと分析が加味され、かなり読ませる内容になっている。

今回はこの「熱血修造一直線」の特別編として、「羽生結弦だけに見える、パーフェクトの向こう側」と題したインタビュー記事である。NHK杯でのパーフェクト演技に至る経緯について羽生結弦が語るのだが、記事の最後に非常に興味深いエピソードが語られていた。


NHK杯のSPで自分の前にボーヤン・ジン(中国)が95.64をマークした時のこと。「95点って点数を見た瞬間、『おお、ノーミスだったんだ! 彼の完全なる実力が出たんだ。よっしゃー』と思って」


「よっしゃー? やばいじゃなくって?」といぶかる松岡氏に、羽生がコメントを続ける。

昔からそうなんですけど、誰かが悪い演技をしたときに勝つのってすごい嫌なんですよ。相手が実力を全部出した上でそれでも俺が1位なんだ、っていう。そこまで追い詰めたいんだと思うんですよね。自分を」

「相手が悪い演技をした時に勝つのは嫌」これを目にした時、「あれ、これどこかで見たな」と思った。そこで思い出したのが、将棋界のスーパースター・羽生善治四冠王のエピソードである。


このブログの「書評」にしたためた「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」の記事(http://keep-alive.seesaa.net/article/273822341.html?1451430331)。2009年の第57期王座戦、羽生王座と山崎隆之七段(当時)の一戦でのこと。終盤まで息詰まる攻防が続いたが、最終盤で山崎七段が失着を指し、羽生王座の勝ちとなった。その時、羽生王座が喜びではなく怒りの表情を浮かべたのだ。

「あれ、むかつきますよ、勝ってんのに」とこぼす山崎七段。勝ったのに怒るとはどういうことか。それは、羽生さんは勝負師であるとともに「すばらしい、美しい将棋を指したい」というアーティストの側面も持った人だからだ。将棋は自分と対戦相手との共同作業で1局の将棋が出来上がるわけだが、双方が最後まですばらしい手を続けた時、羽生さんの目指す「美しい将棋」が完成する。しかしこの時は、終盤まですばらしい熱戦が続いていたのに、最後の最後で山崎七段が失着を指したため、それまで2人で築き上げてきた「美しい将棋」が壊れてしまったのだ。羽生さんの怒りは、その「美の崩壊」に対する怒りだったのだ。

谷川浩司・日本将棋連盟会長がかつて「羽生さんには、他の棋士には見えないものが見えている」と語っていたが、それはこういう境地を言っているのではないだろうか。勝ち負けを超えた、深淵かつ崇高な地に羽生さんは立っているのだ。


この「二人の羽生」は、同じ境地に立っているのではないか。「究極の美しい将棋」を目指す羽生善治、「自分がスケートをしている目的は、どれだけ自分の演技を極められるか」と語る羽生結弦。ともに己を厳しく見つめ、決して現状に満足せず、常により高みを目指す。これからもこの二人の活躍、これから残していく足跡に目が離せない。


(いつかどこかのメディアでこの「二人の羽生」の対談をやってくれないかな。かなり面白くて興味津々の内容になると思うんだけど)

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2012年10月06日

やる気を出すには体を動かすのが一番! 〜79歳の現役冒険家・三浦雄一郎氏の金言〜

NHK「仕事学のすすめ」で4回シリーズで放送された、冒険家・プロスキーヤーの三浦雄一郎さんの話が面白かった。

三浦さんといえば、富士山やエベレストをパラシュートをつけてスキー滑降したり、世界で初めて7大陸最高峰のスキー滑降をしたり、ついには世界初の70代でのエベレスト登頂に成功したりと、前人未到の偉業を成し遂げたスキーヤー・冒険家として有名だ。今回は、高齢でも8000m級の登山ができる健康法の秘訣や、衰えを知らない好奇心の源泉を探るという、興味津々の番組だった。

三浦さんは冒険家としての目標を見失った50代から60代にかけて、体脂肪率が40%を超え、狭心症・糖尿病・腎臓病などの生活習慣病を患った。これに危機感を感じた三浦さんは、「70代でもう一度エベレスト登頂を果たす」という新たな目標を掲げ、トレーニングを始める。それは今も続けている「重りウオーキング」。両足に4.5キロずつ、背中に20キロの重りを入れたバッグを背負い(計29キロ!)、週3回、3〜6時間(!)のウオーキングをやる。これで体重も減り、体年齢は今も40代を保っている。そして2003年、目標にしていた「70歳でのエベレスト登頂」に成功する。

そんな三浦さんの今の目標は、「来年(2013年)、80代でのチョモランマ(エベレストの中国名)ルートでの登頂を果たすこと」。そのために重りウオーキングを続け、世界で個人所有しているのは三浦さんだけという低酸素トレーニング室で毎日数時間を過ごし、来年のチョモランマ挑戦に備えている。

三浦さんがトレーニングを続け、常に新しい目標を掲げるのは、99歳でモンブランでのスキー滑降を果たした亡き父・敬三さんの「教え」があるからだ。敬三さんは「トレーニングするだけじゃボケる」と言い、「これは!」という目標を持って向かっていくと心の燃え方が違う、と教えた。三浦さんはそんな父の背中を見ながら挑戦を続けてきたのだ。

番組の最後、「悩めるビジネスパーソンにメッセージを」とのリクエストに、三浦さんはこう答える。

「一番いいのは運動をしてみることです。人間で一番大事なのはやる気。頭の能力はそんなに伸びないけど、体力はいくらでも伸ばせる。それに比例してやる気も上がるんです」


「人間は頭と体をバランスよく使わなければいけない」これはずっと思っていたことだが、この三浦さんの人生経験や言葉の数々で、ますますその意を強くした。

しかし「体力に比例してやる気が上がる」とは、今まで考えもしなかったことだ。だが、わかる気がする。体がキリッと締まっていた方が行動も活発になるだろうし、そうなれば頭もより働くだろう。

「アンチエイジングのトップランナー」三浦雄一郎氏。彼の冒険心、好奇心、そして挑戦する姿勢に学ぶべきことは多い。まずは「重りウオーキング」から始めてみようか!


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2011年02月03日

喜味こいしさん逝く 〜「いとし・こいし」:ゆったり、ほのぼのとした名人芸〜

「しゃべくり漫才」でお茶の間に笑いをふりまいた「いとし・こいし」の喜味こいしさんが亡くなりました。享年83歳でした。

こいしさんは、兄の夢路いとしさんとコンビを組み(このお二人、全然顔が似ていないので、兄弟だということをしばらく知りませんでした 笑)、以来上方のしゃべくり漫才の第一人者として大人気を博しました。いとしさんのひょうひょうとした表情と語りのボケ、こいしさんのガラガラ声なのに穏やかな、それでいて鋭いツッコミ。お二人のやりとりは間とタイミングが絶妙で、まさに名人芸でしたね。

漫才というと、かつて一世を風靡した「漫才ブーム」の時代がありました。若手の漫才コンビが機関銃のような速さでしゃべりまくり、パフォーマンスを見せる。「コマネチ!」とか「そうなんですよ、川崎さん」といったネタは、この時代に生まれました。

でもこのブームは、瞬間風速的には大爆笑を呼びましたが、長続きはしませんでした。いわゆる「若さの勢いに任せた」芸だったので、演じる方も若いうちにしかできないし、観る方も若い時にしか楽しめないものだったのです。

さらに、私が彼らを見ていて気になったのは、しゃべりやパフォーマンスのバランスの悪いコンビが多かったことです。片方がしゃべりまくり、動きまくる一方、もう片方はただうなずいたり、ちょっと合いの手を入れるだけ(「うなずきトリオ」なんていう、笑えない組み合わせも作られていましたね)。結局こういうコンビの多くは解散し、しゃべりまくった方はピン芸人として生き残っていますが、もう一方は・・・どうしているのかわかりません。

(ちなみに、バランスのいい漫才コンビは息長く活躍できるケースが多いようです。やすし・きよし、オール阪神・巨人、宮川大助・花子、ダウンタウン、とんねるず、など。爆笑問題は、太田光のカラーがちょっと強すぎるのが気になりますが)

「いとし・こいし」の芸は、この若手漫才コンビたちの2つの欠点を完全にクリアしていました。しゃべりはいつもゆったりと落ち着いていて穏やか。年配の方々だけでなく、若者が聞いても心に沁みるやりとりでした。お互いのバランスも、2人のしゃべりの間とタイミングが絶妙で、抜群のコンビネーションでした。また二人とも自分を「僕」と言い、相手を「君」と呼んでいたのも品のよさを感じさせましたね。

そしてネタも、世間話のように自然体でほのぼのとしゃべりを進め、その中に時事ネタを巧妙に織り交ぜて、聞く者をうならせました。

たとえば、私がいまだに覚えているこんなネタがあります。サッカーのJリーグが発足し、ジーコ・アルシンドらの活躍で鹿島アントラーズが人気を博していたころ、NHKの「生活笑百科」で披露したネタ:

いとし「先日、僕の友人がアルシンドに遭いましてな」

こいし「なんや、その『アルシンドに遭った』ちゅうのは」

いとし「ん? アルシンド、サントス、ジーコ、あ、事故に遭いましてな」


当時は、すでにお二人とも60歳を超えていたと思います。私はこのネタに大笑いしながら、還暦を過ぎてもこういう若くて新鮮なネタを芸に取り入れる貪欲さ、世の中を見つめる目の鋭さに感服しました。

最近、戦場カメラマンの渡部陽一さんの「スローな語り口」が話題になっていますが、私が思うに、これは彼の語りがゆっくりしているのではなくて、世の人たちのしゃべりが速すぎるんですよ。先日も人気番組「池上彰の学べるニュース」に渡部さんが出演していましたが、そのゆったりと落ち着いた語りに、聞いている方も心が落ち着きました。その一方、レギュラー出演しているあるタレント(あれはお笑い芸人なんですか? よくは知りませんが)の、何をしゃべっているのかようわからん早口のセリフを聞かされ、そのギャップの大きさに「何でおまえ、そんな早口でしゃべらなきゃいかんの? 別に誰もせかしてないだろう?」と、かなりの不快感を覚えました。

「今の世の中、何かとやかましくて気ぜわしい」。このブログのヘッドコピーです。世に生きる人たちが、いとし・こいしさんのようにゆったりと構えて、いつも穏やかな微笑を浮かべている、そんなふうに生きることができれば、イライラ、ギスギスすることもなく、楽しく日々を暮らしていけるんでしょうけどね・・・。

posted by デュークNave at 05:20| Comment(0) | ステキな人たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月11日

「べらんめえ」大沢親分、逝く 〜野球を、スポーツをこよなく愛したその生き様に「あっぱれ!」〜

TBS「関口宏のサンデーモーニング」のスポーツコーナーで、いつも歯切れのいい「喝!」と「あっぱれ!」で楽しませてくれた大沢啓二・元日本ハム監督が亡くなりました。享年78歳でした。

私が大沢さんを初めて知ったのは、1976年、水島新司さんの人気漫画「あぶさん」に登場した時です。タイトルはずばり「べらんめえ」。南海とのオープン戦で、バッティング練習をするあぶさんをゲージの後ろから見て「ひでえへっぴり腰だぜ」と笑う大沢監督。そのくせ「この男よォ、うちにくれんかい」と野村監督に持ちかけます。試合後に相談することで話が決まると、大沢監督は日ハムの投手陣に「景浦だけは全力で抑えろ!」と厳命します。ところが、移籍してきたばかりの江夏と朝まで飲み明かして絶好調?のあぶさんは、2打席連続ホームランをかっ飛ばします。試合後、大沢監督は(こりゃあダメだろうな)と観念しながら、野村監督に「どうでえ、あぶの件は」と持ちかけます。すると意外なことに野村監督は「出してもええで」。ところがその交換条件が、「そっちの一塁(4番打者の小田:首位打者を毛差で争った、前年のチーム三冠王)をくれたら」。大沢監督は言い放ちます。「ものが違うぜ・・・つまりよ、俺に言わせんなりゃよォ、べらんめえよ!!」

もちろんこの話はフィクションですが、べらんめえ調でまくしたてる大沢さんの豪快で人間くさい人柄がよく描かれていて、私はいっぺんに大沢さんのファンになりました。

その後も大沢さんは何度も「あぶさん」に登場し、その「濃いキャラ」で存在感を示していました。また実物の大沢さんも、日ハムの監督として1981年にリーグ優勝するなど、「万年Bクラス」だったファイターズを力のあるチームに育て上げました。

現場を離れたあとも、日ハム球団の常務に就任し、野球界をフロントから支えてきました。また野球の普及にも力をいれ、少年野球教室なども積極的に開催されました。

その大沢さんが、「サンデーモーニング」のスポーツコーナーに登場した時はうれしかったですね。「サンデーモーニング」は、テレビをめっきり観なくなった私にとって数少ない「長寿番組」なのですが、大沢親分と張本勲さんがスポーツコーナーを担当して以来、このコーナーが一番の楽しみになりました。「球界ご意見番」のお二人の「喝!」と「あっぱれ!」が炸裂・乱舞するさまは、とにかく痛快でしたね。

また大沢さんはこの間、リタイアした元プロ野球選手たちでチームを組んだ「マスターズリーグ」を創設し、このコーナーでその試合の模様が紹介されましたが、それを語る時の大沢さんはとても楽しそうでした。本当に野球が大好きで仕方がない人だったんですね。

大沢親分の、あのべらんめえ調の「喝だこりゃあ!」「これは『あっぱれ』やってくれよ!」を二度と見ることができなくなったのは、本当に淋しいです。正直、まだちょっと信じられません。

大沢さんの、野球をこよなく愛し、スポーツにあふれんばかりの愛情を注いだその生き様に、「大あっぱれ!」

posted by デュークNave at 08:51| Comment(0) | ステキな人たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする