2023年10月21日

アリス、昴、そして「天才・秀才・ばかシリーズ」〜私にとっての谷村新司さん〜

谷村新司さんが亡くなったことを新聞で目にした時、にわかには信じられなかった。つい何か月か前にNHKの「SONGS」でアリスの特番を観て、その健在ぶりを目の当たりにしていたからだ(堀内孝雄さんが立って歌っていたのに対し、谷村さんは椅子に座っていたのがちょっと気になったが)。その日はほぼ一日中、アリス時代やソロの名曲の数々が頭の中を駆け巡った。青春時代、二十歳の頃、今はもう誰も、遠くで汽笛を聞きながら、冬の稲妻、涙の誓い、チャンピオン、秋止符、ジョニーの子守唄、夢去りし街角、いい日旅立ち、群青、三都物語、そして昴…。

私が谷村さんを知ったのは中学時代、歌ではなくラジオの深夜放送だった。文化放送の「セイ・ヤング」という深夜番組の、確か水曜日のパーソナリティーを谷村さんが務めていたのだ。特にその中で、谷村さんとバンバン(歌手のばんばひろふみさん:「いちご白書をもう一度」が大ヒット)「天才・秀才・ばかシリーズ」というコーナーが爆笑の嵐で、高校生になってからは、聞いた時は必ずカセットテープに録音して、何度も繰り返して聞いていた(おかげで特に面白かったネタは今でもほぼソラで言える)

そのうちただ聴くだけでは物足りなくなり、自分でもこのコーナーに投稿した。実際にコーナーの中で読まれたかはわからなかったのだが(夜中の番組なので、毎週必ず聞いていたわけではなかった)、のちにこのコーナーのネタをまとめた「ワニの豆本」が発刊された時、私が投稿したネタが2つ載っていた。本に載ったということはコーナーで谷村さんが読んでくれたはずだが、私はその肝心の時を2回とも聞き逃してしまった。これは今でも悔しい!

では、その掲載ネタをここにご披露しよう。

【1】先生「君たちはどんな女性が好きかね」
   天才「そうですね、仁科明子さんが好きですね」
   秀才「僕は木之内みどりさんがいいです」
   ばか「髪型は山口百恵、顔は桜田淳子、スタイルはアグネス・
      ラム。ただし目つきと歯ぐきは現代国語の佐藤進先生」

※ 当時こういう内輪ネタがコーナーで流行っていた。その走りは「生徒のスキを突いて授業する数学の山口先生」というネタで、ここから谷村さんやバンバンが「わからん」とうめきながらの爆笑ネタが連発した。…それにしてもこの女優や歌手の懐かしい名前、そしてアグネス・ラム。当時一世を風靡してたなあ。

【2】先生「君たち、今大人気のベイ・シティ・ローラーズの
     『イエスタデイズ・ヒーロー』という歌を知って
      いるかね」
   天才「はい、知っています。なかなかいい歌ですね」
   先生「よし。では秀才君、この歌の日本語の歌詞で知っている
      ところを言ってみたまえ」
   秀才「街を歩いていると愚かな人たちが僕たちを見てこう言う
     『あの顔どこかで見たことなかったかなあ。遠い昔に』
      僕たちは過去のヒーローになんかなりたくない。
      いつかはそう呼ばれる時が来るんだろうけど」
   先生「よし。では、この歌を日本の歌手に歌わせるなら誰が
      いいかね」
   ばか「もちろん、アリスとバンバンです。もう、差し迫ってる
      もの」
  
※ ベイ・シティ・ローラーズ。懐かしい…「サタデー・ナイト」が大ヒットし、一時はビートルズを凌ぐかとも言われた。私もアルバムを買ってよく聴いていた。こういうアリスとバンバンをコケにしたネタもたくさん出ていたなあ。


谷村さんは本業の歌の方でも、私の中学時代は「今はもう誰も」「遠くで汽笛を聞きながら」が軽いヒットにとどまっていたが、高校時代にリリースされた「冬の稲妻」が大ヒットし、ここから一気にブレークした(歌詞の中の"You're rolling thunder."を、コンサートで谷村さんが「ここを『養老院のサンバ』と言う人もいまして」と語って会場を爆笑させていた)。続いて「涙の誓い」、「ジョニーの子守唄」とヒットが続き、ついに「チャンピオン」で初めてオリコンチャートNo.1に輝いた(私はこの歌を聞いた時、「恋だの愛だのが全然ない、こういう歌が聴きたかったんだ!」と心の中で快哉を挙げたのを今でも覚えている)。

その後もアリスとして、そして解散後はソロとして活躍し、「昴」を筆頭に数々の名曲を世に送り出した。この頃で私が一番覚えているのは、谷村さんが日テレの「いつ見ても波瀾万丈」という、ご自身の人生を回顧する番組に出演した時。私はこういう人物ドキュメンタリー的な番組は大好きなのだが、この谷村さんの時は爆笑エピソード満載で、これも「天才・秀才・ばかシリーズ」同様、録画して何度も観た。では、その一部をご紹介しよう。

番組冒頭:司会の福留功男さん「谷村さんは『女の子にモテたい!』
      それだけでこの世界に入ってきたんですよ」
     野際陽子さん「いますよね、そういう不純な動機で
      ビッグになっちゃう人って」
     福留さん「怖いですね〜」(笑)

谷村さんが白地に淡いブルーの縦縞のスーツで登場。

野際さん(そのスーツを眺めながら)「ああ、縞で」
福留さん「何ですか、『府中刑務所からいらっしゃったんですか』
     って言ってませんでした?」(笑)
野際さん「パジャマって言ってたじゃないですか〜」(笑)

福留さん「本当なんですか、『女の子にモテたい!』だけで
     歌の世界に入ってきたって」
谷村さん「もう、それ以外は何にも考えなかったですね。女の子に
     ついては、天国と地獄の両方を味わいましたね」
野際さん「この番組にふさわしい方をお呼びできましたね」(笑)

<極楽の3年間:小学1〜3年>

音楽の授業で、新司少年は都々逸を朗々と謳い上げた(幼いころから父に連れられて京都の祇園通いをしていたので、都々逸はお手のものだったのだ)。これでクラスの女の子たちにモテモテになった。

<地獄の6年間:小学4年〜中学3年>

夜、新司少年は吉本新喜劇の番組を楽しみながら、毎晩のようにうどんを食べていた。おかげで見る見るうちに太り、運動会の障害物競走で梯子をくぐれなくなってしまった。体育の授業で「飛び込み開脚前転」をやった時、脚を開いた瞬間「パーン!」という音とともにトレーニングパンツが破れ、真っ二つに裂けてしまった。このころも、女の子たちは彼に寄って来たが、それはグニュグニュの彼のお腹の感触を楽しむためで、ひとしきりそれを楽しむと、他の男の子の方に行ってしまった。


そんな地獄のさなか、「女の子にモテたい!」と願う新司少年に天上から舞い降りてきたのが「ギター」だった。モテたい男の執念でギターの腕前はめきめき上達し、それに伴って歌も上手になった。高校時代、クラスの女の子に自作の歌を披露すると、「すごくいい歌やね」と言って涙を流した。「これだ!」と手ごたえを感じた新司青年はますます音楽にのめり込み、仲間との演奏に精力を注いだ。

大学時代は、これと並行してなぜかゴルフ部に入部した。その動機:「これからモテるのは、ゴルフやろ。」1回生の時に新人大会に出たが、1番ホールのティーショットでアドレスした時、よく殴られた先輩と目が合った。「わかってんなお前」とばかりににらまれた谷村選手、思い切りドライバーを振り抜いたが、ボールはティーグラウンドをコロコロ転がり、フェアウェイに向かう途中のスロープで止まった。他の大学の選手たちと同様、「ナイスショット!」と叫ぼうとして後方で構えていた先輩たちは、ただ絶句するのみ。そして谷村選手は、スイング後のポーズのままフリーズ、恐ろしくて後ろを振り向くこともできなかった。

一方「本業」の音楽活動の方は、バンドを組んで念願のデビューを果たしたが、最初は失敗だらけ。かなりの借金を抱えてしまったため、その返済大作戦にとりかかった。

<借金返済大作戦・その1>

メンバーの1人の思いつきで「外タレ」を呼ぶことにした。コネからコネをたどって、呼んだのがジェームス・ブラウン(JB)。ソウル歌手としてアメリカでは有名だったが、日本ではそれほど知名度は高くなかった。数千人入る大阪のコンサートホールに集まった客は、たったの300人。ノリの悪いJBは舞台の袖からダメ出しをした。これでさらに借金が膨らんだ。

<借金返済大作戦・その2>

メンバーの1人が「もっと本能に根ざしたイベントをせなあかん。こりゃストリップやで!」と言い出した。谷村さんが「お前何でストリップやねん?」と聞くと、「嫌いか?」と聞き返され、「いや、嫌いじゃないよ」と答えると、「ほら〜、男はみんな好きやねん!」と、フランスから「カフェ・ド・パリ」というストリップダンサーたちを呼んだ。ところが彼女たち、きれいなバストを見せるのはいいが、全然脱がずにただ踊るだけ。これには大阪のおっちゃんたちが怒った。「お前ら帰れー! 金髪やったらええってもんやないぞー!」ということでまったく仕事がもらえず、さらに苦境に陥った。

<借金返済大作戦・その3>

メンバーの1人がポツリと漏らした。「俺たちもたまには休んで、外国にでも行きたいやん」。そうしたらその彼が突然「船借りた」。谷村さんが「船って何」と聞くと、「いや、でかいヤツ。そこでおまえら歌って、外国にも行って、借金も返せる。どや!」こう言われて全員が「バッチリやな」。しかし実際に乗ってみると、客は数百人しか入らず、さらに借金は増大。しかも悪いことに、向かったグアム島でコレラが発生し、感染を疑われた谷村さんが船底に隔離された。

こうして借金返済大作戦はことごとく失敗、負債総額はワースト3億円にまで膨らんでしまった。

この頃、谷村さんは上記のラジオのパーソナリティーを務め、人気も出てきたのだが、膨大な借金のため収入はほとんど借金の返済に消えていった。ある人に「月にどのぐらい収入がありますか」と聞かれ、指を三本立てたら、「ああ、300(万)か」と言われたが、実際は3万円だった。

この苦境を救ってくれたのが女性たちだった。お金がなくて時に事務所に寝泊まりもしていた谷村さんは、交際していた4人の女性たちの部屋を渡り歩いていた(本人曰く「結婚前は、いささか暴れておりました」。「暴れん坊将軍」ならぬ「暴れん坊新司」か)。彼女らは谷村さんが他の女性たちともつき合っているのを知っていて、都合の悪い時は「今日は向こう泊まって」と気遣ってくれた。谷村さんはこう述懐する。「自分がすさんだりせずにすんだのは彼女たちのおかげです。」経済的な苦境にあっても、才能のある人には助け、手を差し伸べる人が現れる。世の常だろう。

この後本業の歌・アリスでもヒット曲を出すようになった谷村さんは、一気にスーパーバンドのリーダーになった。ライブ活動を重視してファンとの接点を大切にしたアリスの3人は、ピーク時には年間300を超えるステージをこなした。その後の大活躍は周知の通り、ここに記すまでもあるまい。

谷村さんの作品には、深遠さを感じさせるものが多い。その典型が「昴」だが、「群青」や「さらば青春の時」「美しき絆」などにも深遠かつ広大な精神世界を感じる。これは谷村新司その人の心の広さ、人への思いやりの温かさ、愛情の深さを表しているのだろう。


関西人特有の根っからの滑稽さで多くの人を笑わせ、楽しませ、その温かさで多くの人を癒し、微笑ませてくれた谷村新司さん。その大いなる愛情に感謝、そして合掌。
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2017年01月07日

ジャーナリスト・池上彰さん 〜我が尊敬すべき「Mr.わかりやすい」〜

昨日のNHK「あさイチ」のゲストは、元NHK記者、今や言わずと知れたフリージャーナリストの池上彰さんだった。

私が池上さんを初めて観たのは、確かNHKの15分間のニュース番組のアナウンサーとしての彼だった。この時は「なんか地味なおっさんだな〜」としか思わなかったのだが、そのイメージが劇的に変わったのが「週刊こどもニュース」のお父さん役だった。さまざまな出来事を子供向けに噛み砕いた説明がとてもわかりやすく、大人が観ても十分に楽しめた(というより、私は大人向けのニュース番組よりこっちの方が面白かった)。この後池上さんはフリージャーナリストに転身し、民放の番組でその「わかりやすさ」にさらに磨きをかけ、今や知名度・人気とも抜群に高い、「わかりやすさNo.1」ジャーナリストである。


その池上さん、「あさイチ」でいろいろなためになる話を聞かせてくれた。録画したので何度でも観返せるが、内容を自分に染み込ませるために、ここにそのポイントをまとめておこう。


◎司会のイノッチ(井ノ原快彦)の「聞き上手」を褒めちぎる
⇒ 相手の話を「そうだったんですか」「それは知らなかった」と、身振り手振りを交えながら、身を乗り出して目を輝かせて聞いてくる。だから相手も自然と気持ちよく話せる


◎新聞の読み方:新聞の良い点は「一覧性」⇒開いてざっと読める
@ 朝、一通りざっと目を通す:見出しだけでもある程度内容はわかる
A 夜、気になった記事のページを切り取り、クリアファイルに入れる
B ファイルに入れた記事を読み込む
⇒ 切り取ったページを積んでおき、1〜2か月経ってから目を通すと、自分が興味を持っているジャンルがわかる:「自分探し」が新聞でできる


(筆者注)私も新聞のスクラップをやっているので、これはわかる。私の場合読んでいるのは日刊紙1紙と週刊の英字紙1紙なので、朝は日刊紙の各ページをざっと読み、気になった記事を切り取っておき、帰宅後にじっくり読んでいる(ただ池上さんほどシステマチックかつ生産的ではないが)。この一覧性を生かした「ざっと目を通す」読み方の効果は私も実感しているし、たまにスクラップブックを見返すと、自分の関心の高いジャンルがわかるのだ。


※ 新聞のコラムを原稿に書き写してみると、読んだだけではわからない「文章表現の工夫」がわかる:試験の小論文対策に役立つ


◎問題の本質について考え抜いて行き詰った時、リラックスタイム(入浴、散歩など)に入って緊張がほぐれると、思わぬ発想やアイデアが浮かぶことがある
(「週刊こどもニュース」のころ、子供たちにわかりやすく説明するためには、基礎に立ち戻らないといけなかった)
⇒ この後、原稿などを書いている時に、自分の中の「小学生の池上君」が「そんなのわかんないよ!」とツッコミを入れてくるようになった:頭の中で彼と対話をしながら、わかりやすくするにはどうしたらいいかを考えている


(筆者注)この「自分の中の『小学生の池上君』がツッコミを入れてくる」というのはすばらしいと思う。これが池上さんの「わかりやすさNo.1」の秘訣だったのだ。確かに「週刊こどもニュース」での説明は、大人が聞いても「なるほど〜」と膝を打ちたくなるようなものが多かった。あの頃に身についた「噛み砕く手法」を、その後も今も続けているというわけだ。すばらしい!


◎「話し上手になるには」
@ つかみが肝心:聞き手の関心を引く
A メリハリをつける:大声で言ったり、突然話をやめて間を置いたり
B 空気を読む:大勢の人に話す時は重要

※ 何事も「3つ」に絞るのが大事:そらで覚えられるし、自分の中で整理がつく



(筆者注)これもいい。まず「何事も『3つ』に絞るのが大事」は「我が意を得たり」だ。このブログの直近の記事で、私は「2016年の総括」を3つの項目に分け、それぞれを「現状」3項目と「課題」3項目にまとめた。さらに2017年の目標も3つ定めた。別に特別な意識はしていなかったのだが、3つなら頭に収まりやすいし、多からず少なからずでバランスがいいかな、と思ったのだ。池上さんのこのコメントで、大きく背中を押していただいた気分だ。


「話し上手の3つのコツ」もすごく勉強になる。私の秘かな願望の1つに「講演活動を生業の1つとする」があるのだが、それを実現し、継続する(講演依頼を次々に受ける)ための必須要件だろう。これは今から心しておこう。


さすが池上さん、ポイントをしっかり押さえ、話が簡潔でわかりやすい。ここでも3つが出るが、この「ポイントを押さえる」「簡潔」「わかりやすい」の3点が、聞き手を惹きつけるコツなのだろう。いや、すばらしい。池上さんの一言一言が勉強になるし、心にしみてくる。この番組を録画しておいてよかった。これからも事あるごとに観返してみよう。

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2015年12月30日

羽生善治と羽生結弦:「二人の羽生」の、意外かつすばらしき共通点

シーズンになるとその関連の記事を連発してここに載せるほど、私はかなりディープなフィギュアスケートファンである(その割には一度も現場で観戦できていないのが残念だが)。と同時に、私は永年の将棋ファンでもある。そのフィギュアスケートの世界で男子シングルの「絶対王者」として君臨しているのが羽生結弦。そして将棋界でかつて7つのタイトルを独占し、今もなお4冠王(名人・王位・王座・棋聖)として確固たる地位を築く第一人者が羽生善治である。

羽生(ハブ)善治と羽生(ハニュウ)結弦。読み方は違えど同じ苗字のこの2人が、ともにそれぞれの世界でトップを極めているのは偶然だけど面白いな、なんてくだらないことを考えていた私だったが、先日この2人に「意外だがすばらしい共通点」があることを知った。


スポーツ専門誌「Number」892号はフィギュアスケート特集。その記事の中心は、NHK杯とGPファイナルで異次元の世界最高得点を連発した羽生結弦である。ここに掲載された羽生関連の3つの記事は、さすがNumber、どれもすばらしい内容だったが、とりわけ目を引いたのが松岡修造氏の記事だった。

松岡氏はGPシリーズとファイナルで総合司会的な役割を務め、解説の織田信成氏とともに「情熱の司会」を続けてきたが(最近はこの「アツさ」があまり気にならなくなってきた。同じようにアツい佐野稔氏の実況解説(私は彼の解説が大好きだ!)に影響されたようだ)このNumberで連載している「熱血修造一直線」は、アツさに元アスリートらしい冷静なまなざしと分析が加味され、かなり読ませる内容になっている。

今回はこの「熱血修造一直線」の特別編として、「羽生結弦だけに見える、パーフェクトの向こう側」と題したインタビュー記事である。NHK杯でのパーフェクト演技に至る経緯について羽生結弦が語るのだが、記事の最後に非常に興味深いエピソードが語られていた。


NHK杯のSPで自分の前にボーヤン・ジン(中国)が95.64をマークした時のこと。「95点って点数を見た瞬間、『おお、ノーミスだったんだ! 彼の完全なる実力が出たんだ。よっしゃー』と思って」


「よっしゃー? やばいじゃなくって?」といぶかる松岡氏に、羽生がコメントを続ける。

昔からそうなんですけど、誰かが悪い演技をしたときに勝つのってすごい嫌なんですよ。相手が実力を全部出した上でそれでも俺が1位なんだ、っていう。そこまで追い詰めたいんだと思うんですよね。自分を」

「相手が悪い演技をした時に勝つのは嫌」これを目にした時、「あれ、これどこかで見たな」と思った。そこで思い出したのが、将棋界のスーパースター・羽生善治四冠王のエピソードである。


このブログの「書評」にしたためた「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」の記事(http://keep-alive.seesaa.net/article/273822341.html?1451430331)。2009年の第57期王座戦、羽生王座と山崎隆之七段(当時)の一戦でのこと。終盤まで息詰まる攻防が続いたが、最終盤で山崎七段が失着を指し、羽生王座の勝ちとなった。その時、羽生王座が喜びではなく怒りの表情を浮かべたのだ。

「あれ、むかつきますよ、勝ってんのに」とこぼす山崎七段。勝ったのに怒るとはどういうことか。それは、羽生さんは勝負師であるとともに「すばらしい、美しい将棋を指したい」というアーティストの側面も持った人だからだ。将棋は自分と対戦相手との共同作業で1局の将棋が出来上がるわけだが、双方が最後まですばらしい手を続けた時、羽生さんの目指す「美しい将棋」が完成する。しかしこの時は、終盤まですばらしい熱戦が続いていたのに、最後の最後で山崎七段が失着を指したため、それまで2人で築き上げてきた「美しい将棋」が壊れてしまったのだ。羽生さんの怒りは、その「美の崩壊」に対する怒りだったのだ。

谷川浩司・日本将棋連盟会長がかつて「羽生さんには、他の棋士には見えないものが見えている」と語っていたが、それはこういう境地を言っているのではないだろうか。勝ち負けを超えた、深淵かつ崇高な地に羽生さんは立っているのだ。


この「二人の羽生」は、同じ境地に立っているのではないか。「究極の美しい将棋」を目指す羽生善治、「自分がスケートをしている目的は、どれだけ自分の演技を極められるか」と語る羽生結弦。ともに己を厳しく見つめ、決して現状に満足せず、常により高みを目指す。これからもこの二人の活躍、これから残していく足跡に目が離せない。


(いつかどこかのメディアでこの「二人の羽生」の対談をやってくれないかな。かなり面白くて興味津々の内容になると思うんだけど)

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2012年10月06日

やる気を出すには体を動かすのが一番! 〜79歳の現役冒険家・三浦雄一郎氏の金言〜

NHK「仕事学のすすめ」で4回シリーズで放送された、冒険家・プロスキーヤーの三浦雄一郎さんの話が面白かった。

三浦さんといえば、富士山やエベレストをパラシュートをつけてスキー滑降したり、世界で初めて7大陸最高峰のスキー滑降をしたり、ついには世界初の70代でのエベレスト登頂に成功したりと、前人未到の偉業を成し遂げたスキーヤー・冒険家として有名だ。今回は、高齢でも8000m級の登山ができる健康法の秘訣や、衰えを知らない好奇心の源泉を探るという、興味津々の番組だった。

三浦さんは冒険家としての目標を見失った50代から60代にかけて、体脂肪率が40%を超え、狭心症・糖尿病・腎臓病などの生活習慣病を患った。これに危機感を感じた三浦さんは、「70代でもう一度エベレスト登頂を果たす」という新たな目標を掲げ、トレーニングを始める。それは今も続けている「重りウオーキング」。両足に4.5キロずつ、背中に20キロの重りを入れたバッグを背負い(計29キロ!)、週3回、3〜6時間(!)のウオーキングをやる。これで体重も減り、体年齢は今も40代を保っている。そして2003年、目標にしていた「70歳でのエベレスト登頂」に成功する。

そんな三浦さんの今の目標は、「来年(2013年)、80代でのチョモランマ(エベレストの中国名)ルートでの登頂を果たすこと」。そのために重りウオーキングを続け、世界で個人所有しているのは三浦さんだけという低酸素トレーニング室で毎日数時間を過ごし、来年のチョモランマ挑戦に備えている。

三浦さんがトレーニングを続け、常に新しい目標を掲げるのは、99歳でモンブランでのスキー滑降を果たした亡き父・敬三さんの「教え」があるからだ。敬三さんは「トレーニングするだけじゃボケる」と言い、「これは!」という目標を持って向かっていくと心の燃え方が違う、と教えた。三浦さんはそんな父の背中を見ながら挑戦を続けてきたのだ。

番組の最後、「悩めるビジネスパーソンにメッセージを」とのリクエストに、三浦さんはこう答える。

「一番いいのは運動をしてみることです。人間で一番大事なのはやる気。頭の能力はそんなに伸びないけど、体力はいくらでも伸ばせる。それに比例してやる気も上がるんです」


「人間は頭と体をバランスよく使わなければいけない」これはずっと思っていたことだが、この三浦さんの人生経験や言葉の数々で、ますますその意を強くした。

しかし「体力に比例してやる気が上がる」とは、今まで考えもしなかったことだ。だが、わかる気がする。体がキリッと締まっていた方が行動も活発になるだろうし、そうなれば頭もより働くだろう。

「アンチエイジングのトップランナー」三浦雄一郎氏。彼の冒険心、好奇心、そして挑戦する姿勢に学ぶべきことは多い。まずは「重りウオーキング」から始めてみようか!


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2011年02月03日

喜味こいしさん逝く 〜「いとし・こいし」:ゆったり、ほのぼのとした名人芸〜

「しゃべくり漫才」でお茶の間に笑いをふりまいた「いとし・こいし」の喜味こいしさんが亡くなりました。享年83歳でした。

こいしさんは、兄の夢路いとしさんとコンビを組み(このお二人、全然顔が似ていないので、兄弟だということをしばらく知りませんでした 笑)、以来上方のしゃべくり漫才の第一人者として大人気を博しました。いとしさんのひょうひょうとした表情と語りのボケ、こいしさんのガラガラ声なのに穏やかな、それでいて鋭いツッコミ。お二人のやりとりは間とタイミングが絶妙で、まさに名人芸でしたね。

漫才というと、かつて一世を風靡した「漫才ブーム」の時代がありました。若手の漫才コンビが機関銃のような速さでしゃべりまくり、パフォーマンスを見せる。「コマネチ!」とか「そうなんですよ、川崎さん」といったネタは、この時代に生まれました。

でもこのブームは、瞬間風速的には大爆笑を呼びましたが、長続きはしませんでした。いわゆる「若さの勢いに任せた」芸だったので、演じる方も若いうちにしかできないし、観る方も若い時にしか楽しめないものだったのです。

さらに、私が彼らを見ていて気になったのは、しゃべりやパフォーマンスのバランスの悪いコンビが多かったことです。片方がしゃべりまくり、動きまくる一方、もう片方はただうなずいたり、ちょっと合いの手を入れるだけ(「うなずきトリオ」なんていう、笑えない組み合わせも作られていましたね)。結局こういうコンビの多くは解散し、しゃべりまくった方はピン芸人として生き残っていますが、もう一方は・・・どうしているのかわかりません。

(ちなみに、バランスのいい漫才コンビは息長く活躍できるケースが多いようです。やすし・きよし、オール阪神・巨人、宮川大助・花子、ダウンタウン、とんねるず、など。爆笑問題は、太田光のカラーがちょっと強すぎるのが気になりますが)

「いとし・こいし」の芸は、この若手漫才コンビたちの2つの欠点を完全にクリアしていました。しゃべりはいつもゆったりと落ち着いていて穏やか。年配の方々だけでなく、若者が聞いても心に沁みるやりとりでした。お互いのバランスも、2人のしゃべりの間とタイミングが絶妙で、抜群のコンビネーションでした。また二人とも自分を「僕」と言い、相手を「君」と呼んでいたのも品のよさを感じさせましたね。

そしてネタも、世間話のように自然体でほのぼのとしゃべりを進め、その中に時事ネタを巧妙に織り交ぜて、聞く者をうならせました。

たとえば、私がいまだに覚えているこんなネタがあります。サッカーのJリーグが発足し、ジーコ・アルシンドらの活躍で鹿島アントラーズが人気を博していたころ、NHKの「生活笑百科」で披露したネタ:

いとし「先日、僕の友人がアルシンドに遭いましてな」

こいし「なんや、その『アルシンドに遭った』ちゅうのは」

いとし「ん? アルシンド、サントス、ジーコ、あ、事故に遭いましてな」


当時は、すでにお二人とも60歳を超えていたと思います。私はこのネタに大笑いしながら、還暦を過ぎてもこういう若くて新鮮なネタを芸に取り入れる貪欲さ、世の中を見つめる目の鋭さに感服しました。

最近、戦場カメラマンの渡部陽一さんの「スローな語り口」が話題になっていますが、私が思うに、これは彼の語りがゆっくりしているのではなくて、世の人たちのしゃべりが速すぎるんですよ。先日も人気番組「池上彰の学べるニュース」に渡部さんが出演していましたが、そのゆったりと落ち着いた語りに、聞いている方も心が落ち着きました。その一方、レギュラー出演しているあるタレント(あれはお笑い芸人なんですか? よくは知りませんが)の、何をしゃべっているのかようわからん早口のセリフを聞かされ、そのギャップの大きさに「何でおまえ、そんな早口でしゃべらなきゃいかんの? 別に誰もせかしてないだろう?」と、かなりの不快感を覚えました。

「今の世の中、何かとやかましくて気ぜわしい」。このブログのヘッドコピーです。世に生きる人たちが、いとし・こいしさんのようにゆったりと構えて、いつも穏やかな微笑を浮かべている、そんなふうに生きることができれば、イライラ、ギスギスすることもなく、楽しく日々を暮らしていけるんでしょうけどね・・・。

posted by デュークNave at 05:20| Comment(0) | ステキな人たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする