2017年07月09日

勝って驕らず、負けて潔し 〜将棋界の超新星・藤井聡太四段〜

昨年12月のデビュー以来、破竹の29連勝で将棋界の連勝記録を30年ぶりに更新した14歳の中学3年生・藤井聡太四段彼の成し遂げたことがどれほどすごいことか、ここで改めて振り返ってみよう。


【1】14歳2か月:史上最年少のプロ棋士誕生

中学生でプロになった棋士は藤井四段で5人目。過去の4人は、加藤一二三九段、谷川浩司九段(十七世名人)、羽生善治三冠、渡辺明竜王・棋王という、いずれも一時代を築いた名棋士である。この中でも藤井四段は、最年少の14歳2か月。当然「この4人のような歴史に残る棋士になってほしい」という期待が寄せられてはいたのだが・・・。


【2】11連勝で、デビュー以来の連勝記録を塗り替える

デビュー戦で加藤一二三九段を破り(棋界最年少と最年長、「年齢差62歳の対戦」と話題を呼んだ)幸先いいスタートを切る。4月4日の王将戦予選で小林裕士七段を破って11連勝を達成し、それまでのデビュー以来の連勝記録を塗り替えた。このころから羽生三冠のデビュー時との比較が語られ始める。「羽生さんは序盤の劣勢を終盤力で逆転することが多かったが、藤井四段は序盤からスキがなく、終盤も寄せのスピードが速く、完成度が高い」。


【3】圧倒的な終盤力を支える詰将棋:詰将棋解答選手権で3連覇

連勝を続ける中、藤井四段は詰将棋解答選手権のチャンピオン戦に出場。これはA級棋士の行方尚史八段広瀬章人八段など、プロのトップ棋士も出場する最高難度の大会なのだが、何と藤井四段は奨励会員だった2年前(小学6年生)からこの大会を連覇していた。そして今回も優勝して3連覇を達成(しかもその解答スピードも他を圧倒していた)。先輩棋士たちが脅威を覚える終盤力は、詰将棋で培われたものだったのだ。


【4】そしてついに29連勝、30年ぶりの記録更新

6月26日、竜王戦決勝トーナメント1回戦。対戦相手は19歳の増田康宏四段棋界唯一の10代同士の対局を藤井四段が制し、神谷広志八段が1987年に達成した28連勝を30年ぶりに更新した。29連勝はとてつもない記録だが、それをデビューしたての新人棋士、しかもまだ中学生の14歳の少年が、デビュー以来無敗で達成してしまうとは! 小説や漫画にしたら荒唐無稽すぎて成り立たないようなドラマを現実に見せつけられた、世間の驚きは尋常ではなかった(毎日新聞は、28連勝と29連勝の記事をともに朝刊の1面トップに掲載した)


【5】周囲の喧騒に惑わされない、「14歳の『尋常ではない』落ち着き」

デビュー以来無敗で勝ち続けたことも驚きだったが、それと同じぐらいに驚き、かつ感銘を受けたのは、藤井四段の「尋常ではない落ち着き」だった。デビューそのものが「史上最年少棋士」として騒がれ、その初戦が「ひふみん」の愛称で親しまれる加藤九段との「最大年齢差」対戦。そこから連勝が続き、勝つごとに周囲の喧騒が大きくなる。しかし当の本人は、「ここまで連勝できたのは望外の結果でした」と、大人びた落ち着いたコメントを残した。それは29連勝達成の時も変わらず、「この連勝もいつかは終わる。記録のことは考えず、一局一局全力を尽くして指していきたい」と語った。驚異の連勝記録は、周囲の喧騒から超然としているようなこの落ち着きがもたらしたものなのかもしれない。


【6】ついに連勝ストップ:その瞬間に見せた潔さにまた感銘

しかし本人がコメントした通り、その連勝もついに止まる時が来た。7月2日、竜王戦決勝トーナメント2回戦、佐々木勇気五段戦。当日は東京都議会議員選挙の投票日で、私はNHKの開票速報番組に釘付けになっていたのだが、その最中にテレビ画面の上部にテロップが流れた。「藤井四段敗れる 連勝29でストップ」(確かこんな感じ)

私は彼が連勝を続けていたころ、思っていたことがあった。「この連勝もいつかは止まる。その時彼がどんな態度を見せるのか。そしてその後どうなるのか」。負けた瞬間に悔しさをあからさまに見せたりしないだろうか、さらにそのあと反動で連敗したりしないだろうか。神童とはいえまだ14歳、こういう懸念を消せなかったのだ。

しかし後日のニュースで彼の「プロ初投了」の映像を観た時、安堵とともに感銘した。藤井四段は勝った時と全く変わらない落ち着いた態度で、「負けました」と潔く頭を下げたのだ。この態度から察するに、「この時」への心の準備、覚悟はできていたのだろうが、それにしても潔い、見事な投了だった。「勝って驕らず、負けて潔し」。美しい光景を見た。将棋界のすばらしい伝統が、この新人離れしたニューカマーにもしっかりと受け継がれているのだ。

そしてその初黒星から4日後の順位戦・C級2組。藤井四段は中田功七段に勝ち、順位戦2連勝を飾った。大連勝が止まったあとの反動を心配していたのだが、そんな周囲の懸念をよそに、しっかり勝ち切った。負けを引きずらずに、すぐにいつもの自分に戻ることができる。このセルフコントロール力も、彼の強さの要因の一つなのだろう。


驚異の最年少棋士・藤井聡太四段。目下30勝1敗、今期の最優秀新人、そして最高勝率はほぼ確定だろう。今後各棋戦でどんな活躍を見せてくれるのか、そしてどんな奇手・妙手を披露してくれるのか。楽しみは尽きない。


posted by デュークNave at 13:08| Comment(0) | 将棋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月12日

将棋名人戦が開幕 〜3年連続同一カードの頂上決戦〜

第71期将棋名人戦が始まった。相見えるは、森内俊之名人と羽生善治三冠(王位・王座・棋聖)。奨励会時代からのライバル同士の、3年連続の顔合わせである。

過去2年の対戦は、一昨年(第69期)は森内挑戦者の3連勝のあと羽生名人が3連勝で逆王手をかけ、「名人戦史上初の3連敗・4連勝が成るか」と注目されたが、最終局で森内が切り返して名人位を奪取。昨年(第70期)は、互いに先手番を制して森内の3勝2敗で迎えた第6局、後手番の森内がこのシリーズ初の「ブレーク」に成功してタイトルを防衛した。

同年代の宿命のライバル同士だが、獲得タイトル数では羽生の83期(竜王6期・名人7期・王位14期・王座20期・棋王13期・棋聖11期・王将12期)に対し、森内は10期(竜王1期・名人7期・棋王1期・王将1期)と、大きく差がついている。しかしこの中にあって名人戦だけは、森内が羽生に先んじた。名人を5期以上保持したものに与えられる「○○世名人」の称号。木村義雄十四世・大山康晴十五世・中原誠十六世・谷川浩司十七世と続いてきたこの名人の系譜を継ぐ者・「十八世名人」は、当然羽生と誰もが思っていた。だがその十八世名人に羽生が王手をかけた第62期名人戦で、森内が羽生から名人位を奪取。その後3期連続で名人位を防衛し、第60期と併せて通算5期を達成した。大方の予想を覆し、十八世名人の資格を手にしたのは森内だった。

しかし羽生もすかさずその翌年、森内から名人位を奪取して通算5期を達成し、十九世名人の資格を手にした。その後2期連続で防衛したが、上記の通り第69期で森内が再び奪取、翌年も防衛して、名人位の通算でも森内は羽生に並んで7期を保持するに至ったのである。

名人の称号を持ち、ともに通算7期と全く互角の「名人史」を誇る者同士の頂上決戦。全国の将棋ファンが固唾を飲んで見つめているだろう。

一昨日、その第1局が終了し、後手番の森内名人がいきなりブレークに成功して先勝した。名人戦では5年ぶりの相がかり戦となった激しい攻め合いを制した。

この第1局の観戦記を、作家の貴志祐介氏が毎日新聞の朝刊に寄せている。将棋の最高峰の戦いを見事に描いた秀作なので、ここに一部を転載させていただく。

映像で見ただけでは、その迫力は絶対に伝わらないだろう。

その朝、対局室は、研ぎ澄まされた刃のような緊張感が支配していた。相次いで入室した両雄は前夜祭の柔和さとは別人の表情で、すでに集中のスイッチが入っている。

《1枚ずつ駒を並べるうちに、エネルギーが満ちていくのが感じられる。各20枚の駒が、敵方の王将を殺すために仮の生命が吹き込まれるのだ。


「各20枚の駒が、敵方の王将を殺すために仮の生命が吹き込まれる」これは名文である。傍目には静かだが、81升の中では激しい戦いが繰り広げられるのが将棋の世界だが、この「静かなる激しさ」を見事に描いている。

《両者の対局姿勢は、対照的だ。長身の森内名人は、緊張を鋼鉄のような抑制の殻に包み込んで、完璧な平静を保っている。
 一方の羽生王位は、動揺には逆らわず外へ逃がしているようだ。両手で頭を抱え、水を飲み、深い溜息をつく。思考に没入するのに、人間の肉体が邪魔だという風情に見える。》


「緊張を鋼鉄のような抑制の殻に包み込」む、「動揺には逆らわず外へ逃がしている」、「思考に没入するのに、人間の肉体が邪魔だ」この描写も面白い。

《控室では第一線の棋士らが検討するが、とにかく予想が当たらない。棋界のトップを取るには、他者と隔絶した異質な感性が必要なのだろうか。

「他者と隔絶した異質な感性」を有する者がその世界のトップに立てる。これはおそらく将棋界に限らず、どの世界にも共通する事実であり真理なのだろう。

《我々の胸を打つのは、単なる所作の美しさではない。冷酷なまでに明確な勝者と敗者が存在する世界だからこそ、勝者の深謀遠慮、敗者の潔さに深い感動を覚えるのだ。
 将棋は日本が世界に誇る伝統文化である。背筋がぴんと伸びるような、この張り詰めた空気の美しさは、なんとしても次の世代に伝えていかなければならないと思う。


将棋の魅力、すばらしさを簡潔な文章で綴っている。「勝者の深謀遠慮、敗者の潔さ」厳しい勝負に世界の中にあって、受け継がれているこの「美」。

「背筋がぴんと伸びるような、この張り詰めた空気の美しさ」。これが私が思う、将棋の最大の魅力である。私もこのブログで何度も将棋世界のすばらしさについて書いているが、ここで改めて、全世界に向けて胸を張って言いたい。

「将棋は日本が世界に誇る伝統文化である」!

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2012年09月30日

最新戦法と最新の対局を楽しみながら、自分の「日本人度」の高まり・深まりを実感する 〜再発見した将棋の魅力〜

私はさほどディープではないものの、永年の将棋ファンである。生まれが日本一の将棋駒の産地・天童のある山形県であることもあり、将棋には子供のころからごく自然に触れていた。学校の休み時間にクラスメートと将棋を指すのはしょっちゅうやっていたし、中学生になると自分で詰将棋の問題を作ったりもしていた。腕前はさほどではなかったが、将棋と接する機会は頻繁にあった。

また新聞やテレビを通して、プロ棋士の将棋にもよく触れていた。新聞の将棋欄(名人戦・王将戦)はよく読んでいたし、NHK教育テレビのNHK杯戦も時々観ていた。もちろんその指し手は十分には理解できなかったが、メディアによって将棋界の最新動向はいつもつかんでいた。

そして受験戦争を経て社会人になると、将棋を指す機会はほとんどなくなったが、メディアを通じて将棋や将棋界と触れることは続けていた。このころ思い始めていたことは、「将棋は日本が世界に誇れるすばらしい伝統文化だな」ということ。将棋というゲームそのものも面白いが、プロ棋士というすばらしく魅力的な人たち、そして彼ら彼女らによって作られている、将棋界というすばらしく魅力的な世界。厳しい勝負の世界でありながら、互いに礼節を守り、同じ勝負師である相手を尊重する。特に静かに潔く負けを宣言する「投了」は、日本人の礼儀礼節の美しさの象徴といえるだろう。

さらに最近、この将棋への自分の接し方に変化が現れた。NHKEテレのNHK杯戦は以前からよく観戦していたが、今までは1回戦やさほど有力ではない棋士同士の対局はほとんど見ることがなかった。

しかしここ数週間、2回戦の2つの対局を観て、将棋の面白さを改めて味わうことができた。観るきっかけは、対局者の一方が豊島将之七段・中村太地六段という新進気鋭の若手だったことだったが(さらに豊島七段の対局の解説は、これも気鋭の若手・稲葉陽六段だった)、久しぶりにじっくりと将棋を観て、「やっぱり将棋は面白い、すばらしい」と改めて実感したのだ。

プロ棋士によってリアルタイムで指されている将棋は、現代将棋の最先端であり、今どんな戦法が流行していてその定跡形はどのようなものなのかを、実戦を通して味わうことができる。また対局者を知ることにより、棋士たちの活躍ぶりや、期待の若手棋士など、将棋界の最新動向を得ることもできる。今までは棋士の名前だけで観ていたのが、「最先端の将棋を味わう・将棋界の『今』を知る」ことに自分の関心がシフトしてきたのだ。

それと改めて強く思ったのは、将棋を観戦している時は、すごく濃密で実りのある時間を過ごしている気がすることだ。これは実際に指している時も同じなのだが、パソコンゲームにいくらのめりこみ、どんなに上手になっても「自分が高まった」とは感じないが、将棋に触れ、将棋が上手くなると「自分が高まり、深まった」ことを実感できるのだ。

思うに、これが単なる「遊戯」と「文化」との違いなのだ。将棋という八一升の無限の宇宙に遊び、その深淵さを味わう。この楽しさが、ここにきてようやくわかるようになってきた。Ne寮にいた時に暇にあかせて将棋の本をたくさん読んだ効果が、今になって表れてきたようだ。

さらには、将棋という日本の伝統文化に触れ、その世界を味わうことは、自分の「日本人度」を高め、深めることにもつながる。これからはもっと積極的に将棋に触れ、この世界をもっと身近に味わいたい。こう改めて思わされたこの数週間、そしてこの2局だった。

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2011年03月28日

羽生名人、史上初の3連覇・通算9回目の優勝 〜NHK杯将棋トーナメント〜

起き抜けに海外からの「史上初の快挙」を目にした同じ日の昼近く、国内でも「史上初の快挙」が達成されました。第60期NHK杯将棋トーナメントの決勝戦が昨日TV放映され、ここまで通算8回の優勝と2連覇を続けていた羽生善治・NHK杯選手権者が、これも史上初となった2年連続同じ顔合わせの決勝で糸谷哲郎五段を破り、史上初のNHK杯3連覇と、史上単独トップの通算9回目の優勝を果たしたのです。

NHK杯はトーナメント戦であり、前年優勝者であっても2回戦シードになるだけで大きな特典はなく(NHK杯は前年度のベスト4、順位戦のA級棋士、タイトル保持者が2回戦シードになります)、トーナメントを1戦1戦勝ち上がっていかなければなりません。

こういうシステムのNHK杯で3連覇するのは、他のタイトルと比べても至難の業であり、それをやってのけた羽生名人は、やはり棋界の第一人者だなと改めて思わされましたね。

(同じ意味で、敗れたりとはいえ2年連続で決勝まで勝ち上がってきた糸谷五段も見事と言えるでしょう)

羽生名人の将棋を見ていて楽しいのは、時に「羽生マジック」と呼ばれるきらめきの鬼手・妙手を見せてくれることです。今回のNHK杯でも、準々決勝の佐藤康光九段戦の終盤で、観る者をあっと言わせる勝負手を見せてくれました(盤面を載せられなくてごめんなさい)。相穴熊戦になったこの一局の終盤、9八に上がった羽生玉の玉頭を、佐藤九段が9五に香車を進めて攻め立てます。これを防ぐには、8七にいる金の利きを生かしての9六歩の合駒が考えられますが、玉が狭くなる上に、香車の後ろから駒を補充されると相手の攻めが継続し、形勢は苦しくなります。

「さてここは羽生さん、どう指すんだろう」と見ていると、羽生名人はスッと8七の金をつまみ上げ、相手の香頭にピシリと打ちつけたのです! 玉の守りの要の金を相手に差し出す、驚愕の一手。しかしよく見ると、金が動いたことで玉の小ビンが空き、同香ならば8七玉とかわして上部に逃げ道ができます。「己が命を投げ出して主君を救う」。まるで大河ドラマの戦さ場のシーンを見るような、まさに起死回生、「羽生マジック」の切れ味を見せつけた一手でした。

(決勝戦の解説を勤めた森内俊之九段・十八世名人の言:「自分が対局者だったら飛び上がってますね」


そして決勝戦。後手の糸谷五段は「一手損角換わり」戦法に出ます(これがどういう戦法なのか詳しくは知りませんが)。対する羽生名人は角銀交換から敵陣左翼にと金を作り、居飛車の歩を伸ばして左右からの挟撃に出ます。この後、羽生名人は金と交換で手に入れた飛車を敵陣深く打ち込み、対する糸谷五段も角を敵陣に打ち下ろし、互いに攻めも守りも難しい対応を迫られるきわどい将棋になりました。

しかし羽生名人は的確な応接で糸谷五段の攻めをかわし、上部脱出を図る糸谷玉を今度は前後から挟撃し、鮮やかに収束してみせました。この一局では佐藤九段戦のような鬼手は出ませんでしたが、難解な局面で、秒読みに追われながらも冷静な指し回しを見せた羽生名人の強さを、改めて目の当たりにした一局でした。

史上最多の9回目のNHK杯優勝を果たした羽生名人。もし来期も優勝すると通算10回目となり、「永世NHK杯」の称号の資格を得ます。羽生名人はすでに、7つのタイトルのうち6つは永世または名誉の称号の有資格者になっていますが(残る竜王も、あと1期で永世の称号を得ます)、ここにさらに1つ称号が加わることになるのです(しかも連覇も4に伸びます)。これは楽しみですね。

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2010年03月28日

羽生名人、NHK杯史上最多タイの8度目の優勝

将棋のNHK杯トーナメントの決勝戦が22日に放映され、羽生善治名人・NHK杯選手権者が糸谷哲郎五段を破って優勝しました。羽生名人はこれが自身2度目の連覇であり、通算では大山康晴十五世名人に並ぶ、史上最多タイの8度目のNHK杯優勝となりました。

「羽生名人のNHK杯」というと忘れられないのが、1988年(第38回)の初優勝です。当時まだ18歳の高校生だった羽生五段は、3回戦で大山康晴十五世名人、準々決勝で加藤一二三元名人、準決勝で谷川浩司名人、決勝では中原誠前名人と、歴代の名人経験者を次々になぎ倒して初優勝を飾ったのです。これは「羽生善治」という名を全国の将棋ファンに知らしめ、「全国デビュー」を果たしたセンセーショナルな出来事でした。

「18歳の五段が名人経験者4人を破って優勝」も驚きですが、私がそれ以上に驚き、いまだに鮮烈に記憶に残っているのが、この中の1局で羽生五段が放った「ある一手」です。それは準々決勝の加藤九段戦の61手目に指された、伝説の「5二銀」です。加藤陣の空白地帯にポーンと放たれた銀。テレビで観戦していた私も思わず「えっ!」と声を上げました。しかし実はこれが絶妙手で、このわずか6手後(67手)に加藤九段は投了に追い込まれました。(譜面を載せられなくてごめんなさい!)

テレビでこの1戦の解説をしていたのは、これも将棋界のトップスター・米長邦雄九段(現日本将棋連盟会長)です。米長九段はユーモアを交えながら、軽妙な語りで解説をしてくれていましたが、この5二銀が放たれた瞬間、「オオーッ、やった!」と叫びました。(確かに叫びたくなるほどの、あまりにも意外な、驚愕の一手でした)のちに米長九段はNHKBSの将棋の特集番組で、「羽生さんのこの手そのものよりも、私の解説のこの一言の方が妙手だった」と語り、聞き手をしていた清水市代女流名人を爆笑させました。

羽生名人のこういう一手はどうやって生み出されるのでしょうか。以前ある番組で、将棋を指している時の羽生名人の脳波を測定したところ、普通の棋士は左脳が働くところを、羽生名人は右脳が働いているという測定結果が出ました。左脳は論理的思考、右脳は感覚的思考を司りますが、将棋は緻密な思考を必要としますから当然左脳を駆使していると思いきや、羽生名人は右脳を活発に働かせているのです。これを専門家は「禅の高僧が瞑想している時のような、はるかに高いところでパッと手が浮かんで舞い降りてくる、そんな感じではないでしょうか」と述べています。事実、羽生名人本人も、この5二銀は「ひらめいた」と語っているのです。これは我々常人はもちろん、他のプロ棋士にも理解しがたい、独自の感覚的な領域なのでしょう。

この「ひらめき」を駆使して、羽生名人は将棋界のスターダムを駆け上がってきました。史上3人目の中学生棋士、最年少タイトルホルダー(当時:19歳で竜王位を獲得)、史上初の7冠・全タイトル制覇など、次々と偉業を達成し、現時点で積み重ねたタイトルは歴代2位の75期(名人6期・竜王6期・王位12期・王将12期・王座18期・棋王13期・棋聖8期)。このうち竜王を除く6つはすでに永世・名誉の称号を手にしています。歴代1位は「将棋界の超人」大山康晴十五世名人の80期ですが、この超人をさらに超えるのはおそらく時間の問題でしょう。

私が羽生名人をすごいと思うのは、こういう実績はもちろんですが、棋界トップクラスの強さを20年にもわたって保ち続けていること、「高いレベルでの強さを継続している」ことです。初タイトルを獲得した19歳の時から今まで、毎年必ず7つのタイトルの少なくとも1つは保持していますし、番勝負(タイトルマッチ)にもコンスタントに登場しています。

羽生名人の世代は、かつて「チャイルドブランド」と呼ばれました。森内俊之、佐藤康光、丸山忠久、郷田真隆、藤井猛、故・村山聖らの若き俊英たちが次々にタイトル戦に登場し、将棋界を席巻していました。しかし当時のベテラン棋士たちや担当記者たちが口々に言っていたのは、「今は若さに任せて勢いで勝っているけど、これを30代・40代の中堅クラスになるまで持続できるのかな」ということでした。つまり彼らが中堅になった時に、後からくる若手たちの追い上げを跳ね返してトップを維持できるかということが懸念されていたのです。

しかし彼らかつての「チャイルドブランド」たちは、そんな声をものともせず、若手の追い上げを受けながらも、今も第一線で大活躍を続けています(上に挙げた「羽生世代」の棋士のうち、早世した村山聖・贈九段以外の5人は、すべてA級棋士なのです)。そしてその中でもダントツの実績を挙げてトップを走り続けているのが、羽生善治名人・王座・棋聖なのです。

「若手の追い上げ」といえば、今回のNHK杯の決勝戦もその1つでした。相手の糸谷五段は22歳の現役大学生で、準々決勝で森内俊之十八世名人、準決勝で渡辺明竜王を破っての決勝進出で、まるで羽生名人が初優勝した時を髣髴とさせるような勝ち上がり方でした。勢いに乗る若手を第一人者・羽生名人がどうさばくのかが注目されましたが、中盤を省略して一気に終盤戦に突入した急戦調の将棋を、羽生名人は的確な着手で徐々に優勢を拡大し、最後の糸谷五段の反撃を冷静にしのいで、しっかりと勝ち切りました。スキのない、まさに磐石な横綱相撲の将棋でしたね。

そしてこの一局でも、「おっ」と思わせる一手がありました。終盤、糸谷陣の左翼から攻めていた羽生名人が、右翼からの挟撃を狙って飛車先の歩を伸ばした「8五歩」です。指された瞬間は、「えっ、そんな手で攻めが間に合うのか」といぶかりましたが、実はこれは自玉に詰めろがかからないことを見切っての一手で、羽生名人の大局観、盤面を広く冷静に見渡す目が冴えた妙手でした。(これも譜面を載せられなくてごめんなさい!)羽生名人の「ひらめき」は健在ですね。

来期のNHK杯は60期目の節目の年になります。羽生名人にとっては、自身初の3連覇と、前人未到の9回目の優勝がかかります。来期も変わらぬ強さと、今も衰えず放たれる「ひらめきの一手」を、また見せてほしいものです。

posted by デュークNave at 08:02| Comment(0) | 将棋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする