2017年01月13日

「ビジネスエリートの新論語」  福田定一(司馬遼太郎)・著

こんな痛快な本は久しぶりに読んだ。駅のホームで、電車の中で、そして昼休み中、何度クスッと笑い、時にアハハと声を上げたことか。「あの司馬さんがこんな文章を書いていたなんて」。驚きとともに大いに笑い、そして感じ入った。

本書は、故・司馬遼太郎さんが産経新聞の記者時代、本名の「福田定一」名で昭和30年に刊行した「名言随筆サラリーマン ユーモア新論語」をベースにしている。読み始めてまず驚いたのは、その文章の軽妙洒脱さである。のちに「国盗り物語」「竜馬がゆく」「坂の上の雲」といった壮大かつ重厚な歴史小説を著した人と同一人物とはとても思えない、やや毒舌を含んだ、フットワークの軽い文章。それでいて深い歴史知識や鋭い社会分析に基づいているので、その内容はズバリ本質を突いており、ズシリと重みがある。つまり「重厚なテーマを軽妙な文章で綴る」という高度な技法を駆使した名文であり、読者はクスクス笑いながら、テーマの本質がズンと重心に染み入ってくるのだ。


名文ぞろいの本書だが、その中から特に私が感じ入った箇所を、ごく一部だがここにご紹介しよう。30代前半の司馬さんのウィットをご堪能あれ。


≪ 人の一生は重き荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。

堪忍は無事長久の基。怒は敵と思へ。勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば、害その身に至る。

おのれを責めて人を責むるな。
及ばざるは、過ぎたるより優れり。    <徳川家康遺訓>



 どうやらこれでみると、よきサラリーマンとは、家康型であるらしい。そのまま過不足なくこれは完ぺきなサラリーマン訓である。
 戦国の三傑をみると、まず秀吉はサラリーマンにとってほとんど参考にすべき点がない。彼はいわば、身、貧より起しての立志美談型なのだ。(中略)
 信長が経た人生のスタイルも、サラリーマンには有縁なものではない。いわば彼は社長の御曹司なのだ。(中略)
 となると、家康である。(中略)下級サラリーマンの味こそ知らないが、それに似た体験をふんだんに持つ苦労人である。(中略)しかも天下の制覇ののちは、武士を戦士から事務官に本質転移させ三百年の太平を開いたいわばサラリーマンの生みの親みたいな人物だ。(中略)
まずはサラリーマンの英雄なら、家康あたりを奉っとくほうがご利益はあろう。≫


言われてみれば「なるほど」だが、戦国の三傑をサラリーマンと照らし合わせて考えるなど、なかなか思いつかない発想である。若き日の司馬さんの「ヤワラカ頭」ぶりがうかがえる。


≪たいていの会社の人事課長は「新入社員の情熱は永くて五年」とみている。それどころか「入社早々何の情熱も用意していない者が多い」(S肥料人事課長)「戦前なら、入社後二年というものは仕事を覚えるのに夢中ですごすものだが、近ごろの若い人は、ただ八時間という労働時間と初任給の多寡をにらみあわせただけの労働量しか提供しない」(K産業庶務課長)といった評すらある。(中略)
 国運の隆盛期のころのサラリーマンと現在のそれとには、著しい気質の相違があることはたしかなようだ。一般に仕事への情熱は、前時代にくらべて、悲しいが早老の気味がある。


近年の若者は保守的になっているというニュースをそちこちで目にも耳にもする(もっともこれは日本だけのことではないらしいが)。この現象は「失われた20年」を経た現代日本のことであり、これに対してかつての高度成長時代の若者たちは、希望に燃えてバリバリ働いていたんだろうと思っていた。ところが敗戦からわずか10年後に書かれたこのエッセイによると、すでにこのころから若いサラリーマンたちは「早老の気味」を見せていたというのだ。これは驚きだった。しかし戦後の日本があれだけの発展をしてきたということは、会社の上役たちがこの「早老の気味」の若手をひっぱたいて、無理やりにでも働かせてきたということか。思えば私も、かつてはけっこうひっぱたかれたなあ。


≪ 人生はいつまでも学校の討論会ではない。 <D. カーネギー>

 議論ずきというのは、サラリーマン稼業にとって一種の悪徳である。本人は知的体操でもやっているつもりかもしれないが、勝ったところで相手に劣敗感を与え、好意を失うのがせいぜいの収穫というものなのだ。
 まだしも話柄が火星ニ生物ガ棲息スルヤ、恋愛ハ結婚ヲ前提トスベキヤイナヤ、などと科学評論や人物評論をやっているあいだは可愛い。が、次第に議論に快感をおぼえて同僚や上役を俎上にのぼせ、大いに人物評論家としての才能を発揮したりするようになると事が面倒になる。
 カーネギーにいわせると、営業部員の論客ほどヤクザなものはないそうだ。


司馬さんの「竜馬がゆく」に、坂本龍馬も「議論は無意味だ」と考えていた旨の記述がある。理由は上記と同じで、議論で相手を一時やりこめても、相手は結局納得しないし、自分に対して恨みや不快感を抱くことになるからだ。会社の会議のような、1つの結論を出さねばならない時は議論もやむを得ないが、そうでない時は、議論ではなく意見交換にとどめるべきだろう。そうすれば自分にはない視点や考え方を知ることができ、自分の視野が広まるとともに、新たな仲間との交流も生まれる。「議論は対立や軋轢を生み、意見交換は広がりと交流を生む」。どちらがいいかは言うまでもないだろう。


知の巨人」と呼ばれた司馬遼太郎さん。30代の前半に著された本書には、その片鱗が早くもふんだんに表れている。すでに深遠な知の世界を構築していた司馬さんは、その後もその世界をさらに広く、高く、深く造り上げていった。司馬夫人・福田みどりさんがご主人の没後、「普通、人って歳を取るとものを考えなくなりますよね。考える気力もなくなる。司馬さんの場合逆なのね。だから魂がどんどん若くなっていったみたいと述懐されたが、この「魂がどんどん若くなる」原動力は、司馬さんの飽くなき知的貪欲さ、知的好奇心だったのだろう。


「知的貪欲さで魂がどんどん若くなる」これは私の理想の人生だ。とても司馬さんレベルにはなれないが、司馬さんを最高のメンターとして頭上に掲げ、生きていきたい。

posted by デュークNave at 14:53| Comment(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

「新版 日中戦争  和平か戦線拡大か」 (臼井勝美・著)

日中戦争については、以前からもっと知りたいと思っていた。1941年の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争については子供のころから興味があり、学校でも習ったが、自分でも何冊か本を読んで知識を蓄えた。しかし日中戦争は、1937年の盧溝橋事件に端を発し、対米英戦争開戦時にはすでに4年を経ており、言うまでもなくその後は太平洋戦争と同時進行で行われたにもかかわらず、ほとんど知識がなかった。学校の歴史教科書にも、1941〜1945年については、太平洋戦争の記述はあるが日中戦争についてはほとんど記述がないため、自ら乗り出さねば知識が身につく機会がなかったのだ。


そこで意を決して標記の本を購入し、読んでみたのだが・・・、かなり疲れた(苦笑)。まず活字が小さいし、文体もかなり堅い。またこれは仕方のないことなのだが、引用する当時の資料が、文語体でかなり読みづらい。この「三重苦」で内容がなかなか頭に入らず、読書スピードがものすごく遅くなってしまい、わずか200ページ余りの新書本を読破するのに1か月近くもかかってしまった。通勤時間と仕事の昼休みを利用してのことなので1日の読書時間は短いのだが、それにしても時間を費やした。

「根性なし・根気なし」の「自称・ノーコン人間」である私、普通なら途中で投げ出してしまうところなのだが、なぜかこの本は最後まで食らいついた。冒頭に書いた「日中戦争についてもっと知りたい」という思いと、どうにかこうにか読み進めていくうちに、だんだん面白くなってきたからだ。この本は日中戦争を、@前史:1933〜1937年 A盧溝橋事件から太平洋戦争勃発まで:1937〜1941年 B太平洋戦争から敗戦まで:1941〜1945年 の3期に区分している。@はほとんど前提知識がなかったのでかなり読むのに時間がかかったが、Aになると少しずつ知っていることが増え始め、Bに至ってかなり興味津々に読み進んだ。とりわけBは、「太平洋戦争の最中に日中戦争はどう推移していたのか」という、この本を読もうとした自分の動機にマッチしていたので、依然として時間はかかりながらも、かなり身を入れて読んだ。


読了し、「日中戦争とはどういう戦争だったのか」と改めて考えてみると・・・、「まったく大義のない泥沼の戦い」と言っていいだろう。1931年の満州事変〜翌年の満州国建国で、日本は中国東北部に大きな拠点を築き上げる。しかしそれにとどまらず、さらに南下して時の蒋介石国民党政権に圧迫を加え続け、ついに1937年、盧溝橋事件で「難くせ」をつけて全面戦争に突入する。この後日本は「大東亜共栄圏」だの「東亜新秩序」だののお題目を唱えて中国本土での勢力圏を拡大していくが、これは「帝国主義国家の侵略」以外の何物でもなかった。

1938年12月28日、蒋介石はこう語って日本の「東亜新秩序」を批判した。

≪東亜新秩序の目的は赤禍(共産党の伸長)を防止することにあるとの名目で中国を軍事的に管理し、東洋文明を擁護するという名目で中国の民族文化を消滅させ、経済防壁を撤廃するという名目で欧米勢力を排除して太平洋を独占しようとするもので、簡単にいえば日本は東亜の国際秩序を覆し、中国を奴隷化して太平洋を独覇し世界の分割支配を意図している。≫

見事に的を射た指摘であり、核心を突かれた当時の日本陸海軍首脳たちは、内心ぐうの音も出なかったのではないか。


この後も日本は戦いを優勢に進めるが、国民党政府は広大な国土を西へ西へと退避し、中西部の重慶に拠点を構えて抗戦する。加えてアメリカを主とする連合国からの援助(いわゆる「援蒋ルート」)が蒋介石を支え、戦争は長期化・泥沼化していく。


この膠着状態を打開するため、日本は対米英戦争に打って出る。開戦当初に連戦連勝を重ねて有利な状況を作り、早期に講和に持っていく目論見だった。確かに1942年5月までは、太平洋戦線では日本は版図を拡大し続け、中国戦線では最大のネックであった「援蒋ルート」最大のビルマルートの遮断に成功する。ここまでは日本の目論見通りの展開だった。

しかし6月、ご存じミッドウェー海戦で日本は主力空母4隻を撃沈されるという大敗を喫し、太平洋戦線は大きなターニングポイントを迎える。物量に勝るアメリカの大反攻が始まり、これに対するために日本は中国戦線より太平洋戦線に兵力を注力せざるを得なくなる。しかも米英の協力でインド経由でアメリカ航空部隊の中国本土への配備が進み、1944年になると、成都飛行場から飛び立ったB29による日本本土爆撃が本格化する。さらに翌1945年には途絶えていたビルマルートが再開され、日本は太平洋戦線のみならず、優勢だった中国戦線でも苦境に陥る。5月、日本は大幅な戦線縮小を決定、各部隊は粛々と撤退を開始したが、その作戦中に8月15日の終戦を迎えることになるのである。


明治維新以来、「富国強兵・殖産興業」をスローガンに近代化を進めてきた日本は、その78年後、国家の崩壊を迎えてしまった。「欧米に追いつけ・追い越せ」とまさに「坂の上の雲」を見つめながら突き進んできた新興国が、「鹿鳴館時代」に象徴される欧米文化の取り込みのみならず、国際政治や軍事面でも欧米帝国主義のマネをして、日清・日露両戦争を勝利したあと、朝鮮を併合し、中国を圧迫して、東アジアに覇を唱えようとした。しかしその膨張が欧米連合国との衝突を招き、ついには破滅へとつながる戦争に突入していった。


この流れの中で、日中戦争はどういう意味合いを持つのか。中国大陸への飽くなき欲望が米英との軋轢を生み、中国戦線と太平洋戦線の同時進行という、当時の日本の国力を考えるとまったく無謀な大戦争へと発展してしまった、つまり日中戦争の泥沼化は、日本帝国主義終焉へのカウントダウンの始まりだった、ということができる。対米戦争は「絶対にやってはいけない戦争」だったが、その前の日中戦争も、「絶対に踏み込んではいけない領域」に踏み込んでしまった戦争だったと言えるだろう。


「いったん始めてしまうと、途中でブレーキがかけられずに突っ走ってしまう。」満州事変に始まり敗戦に終わる、1931年からの15年間は「十五年戦争」とも呼ばれるが、この15年間の日本軍=日本国家の暴走(その前にも「助走期間」があるが)は、決して過去の遺物ではなく、現代の日本社会でも起こっていることではないだろうか。今の安倍政権が行ってきた、特定秘密保護法や安保関連法、最近では「カジノ法」の強引かつ性急な成立、さほど現地で求められているとは思えない、自衛隊の南スーダンへの派兵。大企業でも、組織ぐるみで不正を続け、世間にバレるまでそれを隠蔽し続ける。まさに「赤信号 みんなで渡れば怖くない」を、政府も大企業もやってしまっている。


こんな恐るべき大潮流に、無力な一個人がどう抵抗しようともしょせんは蟷螂の斧。ではどうすればいいか。世間の常識や時代の流れにとらわれずに、自分の好きなこと、好きな道を、好きなように追求していくしかないな。

posted by デュークNave at 11:26| Comment(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月15日

「ことわざ練習帳」 (永野恒雄・著)

「ことわざについての本が読みたい、できれば日本だけじゃなく世界のことわざが紹介されているのがいい」と思っていたら、新聞の広告にこの本が載っており、「練習帳」というのが面白そうだと思って手に入れた。私は本をひたすら読んで知識を身に付けるというのは苦手だが、問題形式になっていると抵抗なく読めるのだ(お勉強なら、テキストを読むのは苦痛だが問題演習は苦にしない、という感じ)。

最初はたくさんのことわざが問題形式で出てきて楽しく読めたが、著者がことわざを言語研究の一環としてとらえているため、解説の文章が硬くまじめすぎて、だんだん苦痛になってきた。「ことわざなんだから、もっとユーモアやジョークを交えて書けばいいのに」という思いが募ってきて、途中で読むのをやめようかと思ったほどだ。

しかし何とかめげずに読み続けているうちにまた面白くなり(これは本書の内容というより、ことわざそのものの面白さのおかげだが)、無事読了することができた。ここでは、本書の中で特に面白いと思った箇所をご紹介する。


【1】 ある先生が小学6年生を対象にことわざの授業を行い、「ことわざまじり文」を書かせました。空欄に入ることわざを選択肢から選んで下さい。(答えは文末に)


「ファーブルの昆虫記(1)の感想」
 タマコロガシは、あんな小さな体で、自分の体の二倍もあるようなタマを作るのだからすごい。私たち人間にとっては、〔イ〕ようなことだけど、あんな小さな虫にとっては、たいへんなことだろう。オオフンコロガシは、せっかく作った玉を他の虫によこどりされてしまうことが多いらしい。〔ロ〕だな。タマコロガシもオオフンコロガシも、たいして外見はかわりがないので、大差はないだろうと思っていたら、〔ハ〕で、タマコロガシとは全く違う西洋梨型のタマを作ることがわかった。この本を読んで〔ニ〕だと思った。

「スキー」
 私は、パパとおにいちゃんとおばさんとスキーにいった。私はまだ二度めなのでとてもへただった。でも少しうまくすべれた。けれど油断大敵、ころんでしまった。おにいちゃんは、じょうずで私とくらべて〔ホ〕みたいだった。でもおにいちゃんがころんだ。私は〔ヘ〕だと思った。そして私がまたすべった。〔ト〕、またころんでしまった。だけど私のは、五度あることは六度あるみたいだった。でも、〔チ〕というように、うまくすべれるようになった。そして、最後に一ぺんやった。私は自信たっぷりでやった。そうしたら、小さい山があったので、私はころんでしまった。スキーってまったく油断大敵だと思った。

〔選択肢〕
1 骨折り損のくたびれもうけ  2 人は見かけによらぬもの
3 二度あることは三度ある   4 月とスッポン
5 失敗は成功のもと      6 猿も木から落ちる
7 一寸の虫も五分の魂     8 赤子の手をねじる

※ ちなみに私は、一応全問正解できました。

小学生にことわざの授業をするのは大変有意義な試みだ。これなら子供たちも楽しくできるし、何より「言葉のセンス」が磨かれるのがいい。言葉は文化であり、母国語をこうして使いこなすことは自分の「文化度・日本人度」を高めることになる。こういう授業はどんどんやってほしいものだ。


【2】 下記は、外国のことわざを福沢諭吉が翻訳したものです。この翻訳にはある共通する特徴があります。それは何でしょう。

1. The sleeping fox catches no poultry.
⇒ 朝寝する狐は鳥にありつけず

2. There will be sleeping enough in the grave.
⇒ ねぶたくば飽くまでねぶれ棺のなか

3. Early to bed and early to rise, makes a man healthy, wealthy and wise.
⇒ 早く寝ね早く起きれば知恵を増し身は健やかに家は繁盛

4. At the working man’s house hunger looks in but dares not enter.
⇒ 飢えはよく稼ぎの門を窺えど閾(しきみ)を越えて内にはいらず

5. Plough deep while sluggards sleep and you shall have corn to sell and to keep.
⇒ 人の寝るその間に深く耕して多く作りて多く収めよ

6. Have you somewhat to do tomorrow? Do it today.
⇒ 今日といふその今日の日に働いて今日の仕事を明日に延ばすな

7. The cat in gloves catches no mice!
⇒ メリヤスをはめて道具を扱ふな袋の猫は鼠とりえず

8. Constant dropping wears away stones.
⇒ 滴(したたり)も絶えねば石に穴をあけ


(答え)俳句調(五七五)または短歌調(五七五七七)になっている

英文のことわざを意味を違えずに翻訳するだけでも難しいのに、それを語調のいい俳句・短歌調にまとめるとは! 福沢諭吉の語学力と日本語のセンスには脱帽、「参りました!」って感じだ。


【3】以下は、東京都立一橋高校の生徒たちが創作した格言です(社会科(倫理)の時間に作ってきたものだそうです)。思わずうなる傑作ぞろいなのでご紹介しましょう。(ここは問題形式にはしません)

<おたくというと聞こえが悪いが、通というと聞こえがいい>

<下手な奴ほど説明したがる>

<子どもは親を選べないと言うが、親だって子どもを選べない>

<もうだめだと思うとそこからだめになる>

<見つけても直せないのが欠点である>

<小心者ほどいいわけがうまい>

<愛は一瞬、うらみは一生>

<三人よればいじめの知恵>

<本当に眠い人はもう寝ている>

<三日坊主は四日目になると開き直る>

<バカは風邪ひかない、ひいても信じない>

<ちりも積もれば山になる、人が積もれば歴史になる>

<反戦デモは平和だからできる>

<うそをつきすぎると自分もだませる>

<意見が同じなのではなく、利益が同じなのだ>

最後に傑作を一つ。

<ことわざで人を納得させてはいけない>


若き高校生たちの感性の鋭さに、これも脱帽! <意見が同じなのではなく、利益が同じなのだ>なんて、政治家グループの離合集散で頻繁に起こっていそうな「名言」だ。


この本ではことわざをかなり生真面目に考察しているが、私個人としてはあくまで「言葉遊び」として、パロディやジョークの一環として楽しみたい(【3】の創作名言のように)。ただ、ことわざの歴史や世界での浸透、学校現場で授業の一環として取り上げられていることなど、ことわざに関するさまざまなことを知ることができたのは意義があった。こういう専門家の綿密な研究があるから、我々はこうして手軽に書籍で楽しむことができるのだ。偉大なるプロに、感謝!


P.S. 【1】の答え:イ−8 ロ−1 ハ−2 ニ−7 ホ−4 へ−6 ト−3 チ−5


posted by デュークNave at 09:55| Comment(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月17日

「羽生結弦 王者のメソッド」 (野口美惠・著) 

今や押しも押されもしないフィギュアスケート・男子シングルの第一人者、羽生結弦のジュニア時代から現在に至るまでの歩みを、彼の「メソッド」を中心に克明に綴った秀作である。

この作品の読みどころを書き出そうとすると膨大な量になるので、「あとがき」に著者がまとめた彼の「メソッド」をここに引用する。


@ 「言葉にして宣言する」

⇒ 「考えただけじゃ人間の脳は忘れる。口にすることで心に残る」


A 「ちゃんと考えて、課題を見つけて取り組めば、壁を越えられる」

⇒ 敗因・勝因を追求し、課題を見つける。この「振り返り」と「分析」がすべてのメソッドを生み出す原動力


B 「成功したら、いったん喜んでから、次に向かう」

⇒ 成功を連続させる(SPとFSともにいい演技をする)ために、「慢心」や「重圧」を排除する


C 「弱さが見つかって嬉しい」

⇒ 自分の弱さと向き合う勇気があれば、「失敗」だって「伸びしろ」になる


D 「試合のために練習する」

⇒ 何事も、目的意識がない準備は結果に繋がらない


E 「冷静と闘志のバランス」

⇒ 自分の心と対話して、バランスを問う。「闘志は大事だけど、自分に集中することも必要」


F 「ノーミスや順位ではなく、演技中は一つひとつに集中」

⇒ 無意識の欲を捨てるための思考法


G 「応援を味方にすること、感謝すること、信じること」

⇒ 最後の最後には、自分のまわりにあるもの全てを味方につけ、信じる


これらのメソッドは、彼の数々の試合での成功と失敗の中から生まれ、次へのステップにつながっていったものである。

読み終わってつくづく思ったこと:それは、

「スポーツって心の持ちよう、精神状態がこんなに大きく結果に影響するんだな」

という深い感慨だった。そしてその精神を数々のメソッドでコントロールしてきたからこそ、羽生結弦の今があるのだ。


トップアスリートの精神、魂のすごさがズンズン迫ってくる。これはフィギュアスケートファンならず、全てのスポーツファンの必読書だろう。

そしてこの数々のメソッドは、彼のみならず、またスポーツのみならず、全ての人にとって仕事や人生そのものの教訓、道しるべになるのではないだろうか。私も彼のメソッドを心に刻み、我が人生に取り入れていきたいと強く思った。


posted by デュークNave at 07:18| Comment(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

「ハーバードでいちばん人気の国・日本」 (佐藤智恵・著)

駅前の書店の店頭でふと目に入ったが、2016年の我が最大目標を達成するための一環として「本は持っているものを繰り返し読み、新たには極力買わない」と決めたため、一度は思いとどまった。しかしどうにも気になって、翌日その書店で購入し、すぐ読み始めた(手持ちの未読の本を消化している最中だったので、本来なら後回しにするところだが、このタイトルとチラと読んだ内容に魅かれたのだ)。読み始めるや、読書スピードが決して速いとは言えない私が、仕事を挟んで3時間ほどで読み切ってしまった。硬い内容のビジネス書なのに、その面白さにグイグイ読み進んでしまったのだ。

タイトルにある「ハーバード」とは、ハーバード大学経営大学院のこと(以下ハーバード)。これまで政界や実業界に数多のリーダーを輩出してきた、世界最高峰の教育機関である。このいわば「世界最高の知性」が集結したハーバードで、今日本が「一番人気」を誇っているという。その理由を解き明かしたのが本書である。

250ページ余りと長くはないのに読みどころ満載の本書は、それをすべて書いたら膨大な量になってしまうので、私が感銘を受けた箇所を抜粋して以下に記す。


【 序章:なぜハーバードはいま日本に学ぶのか 】

日本はとてつもない力を秘めた国です。政治システムも安定しています。経済状態が悪くなっても、暴力的な事件や、暴動が起きるわけでもありません。日本がいかに平和で安定しているかというのは、経済問題を抱える他国と比較してみればよくわかります。日本は『平和で安定した国家をつくる』という偉業に成功した国なのです
(金融史を教えるデビッド・モス教授)


ハーバードで学んでいると、日本で働いていたときよりも、『日本はすごい国なんだ』と感じます。日本の価値を再発見する毎日です」「お金で人を動かすには限界がある、というのをハーバードでは大真面目に学ぶのです。しかし、社員の自主性や責任感を育てる日本企業では、それは当たり前のこと。日本の企業文化は、じつは欧米の先を行っているのではないかと感じることもあります」(日本人留学生・杉本洋平さん)

「日本にいると欧米がすべて先進的なことをやっているかのように思いますが、じつは伝統的な日本の企業文化のほうが進んでいることもあるのではないか、と思います」(日本人留学生・向山哲史さん)


【 第1章:オペレーション−世界が絶賛した奇跡のマネジメント 】

ハーバードを席巻するテッセイ「7分間の奇跡」「新幹線お掃除劇場」

「『カイゼン』は、優れた品質の製品や新しい技術を生み出すだけではない。働く人々に仕事の意味と誇りを与える。トヨタの成功の秘訣は、従業員のマインドにある(20年以上オペレーションを教えるアナンス・ラマン教授)

オペレーションの目的は「普通の人々が力を合わせて大きな偉業を成し遂げること」


【 第2章:歴史−最古の国に金融と企業の本質を学ぶ 】

なぜ日本は明治時代、アジアで唯一、近代化に成功することができたのか。一つには、すでに江戸時代に『高度に発展した特殊な文明社会』ができあがっていたこと。欧米よりも早く都市化が進み、国民の教育水準や識字率は驚くほど高かった。もう一つには、日本の支配階級が武士だったこと。黒船来航により、彼らはアメリカ人の武器を見て脅威を感じ、その危機感が明治維新につながった。また戦闘集団である彼らは、社会制度を力ずくで変革した。これが学者や知識人が国を動かしていた中国や他のアジア諸国との大きな違いだった」(20年以上日本の経営史を研究する、ハーバードを代表する知日派、ジェフリー・ジョーンズ教授)


【 第3章:政治・経済−「東洋の奇跡」はなぜ起きたのか 】

なぜ日本は奇跡的な経済成長を遂げることができたのか。その要因を学べば、学生は、発展途上国の経済成長にさらに貢献することができます。世界には戦後の日本と同じように貧困に苦しんでいる人々がたくさんいます。数千万人もの人々が、『日本人のように経済を復興させて、豊かな生活を送りたい』と願っているのです(「ビジネス・政府・国際経済」を教えるフォレスト・ラインハート教授)

政府主導によって資本を民間企業に配分する経済システムを作ったことが最も大きな原動力になったと思います。とくに中心的な役割を果たしたのが大蔵省と通商産業省(ともに当時)です。特定の産業や企業に対して低利融資を行ったり、補助金を付与したりすることによって、産業政策を推進していきました」(同)

「皆さんが思っているほど、日本経済は“悪くない”のです。日本人はもっと楽観的になった方がいいと思います。日本人とドイツ人は内省的で、“自分に厳しい”のです。とくに日本人には「謙遜の精神」がありますから無理もありません。日本人が悲観的になる気持ちもわかりますが、悲観主義が経済成長の妨げになっていることを理解してほしいと思います(前出・ジェフリー・ジョーンズ教授)

「日本に問題がないとは言いません。問題があるのは事実です。しかし、日本の人々が思っているよりも、はるかに日本経済は強い、と私は信じています。日本の強みは、結果的に弱点を凌ぐほどの威力を発揮してくれるはずです。長期的にみれば、日本の将来は明るいと私は思います」(前出・デビッド・モス教授)


【 第4章:戦略・マーケティング−日本を代表する製造業からIT企業まで 】

「意図的戦略」:経営コンサルティング会社や経営企画室が、市場の客観的なデータをもとにトップダウンで考える戦略
「創発的戦略」:現場からボトムアップで生まれてくる戦略
⇒ 日本企業が圧倒的に得意なのは「創発的戦略」であり、戦後の日本企業の躍進は、ほぼこの「創発的戦略」、つまり現場からの発想によるところが大きい


【 第5章:リーダーシップ−日本人リーダーのすごさに世界が驚いた 】

ハーバードの必修科目で教えられている日本の事例の中で、学生に最もインパクトを与えているのが、「楽天の社内英語公用語化」の事例:英語圏の学生と英語が苦手な留学生との相互理解のきっかけになる
⇒ 最初の授業で、留学生が英語の授業がいかに苦痛かを口々に訴え、それを聞いた英語圏の学生が驚く。そしてその後はクラスの空気が変わり、英語圏の学生が留学生の話を積極的に聞こうとし、クラス全体に協調的な雰囲気が生まれる

日本人が「英語化」に過剰反応する理由:@アイデンティティ A苦手意識が強い

福島第二原発をメルトダウン(炉心溶融)から救った増田尚宏所長と現場作業員たち
⇒ 冷却機能を復旧させるためのケーブル敷設:通常なら重機を使って1か月かかる作業を、作業員たちの人海戦術で、不眠不休で2日間でやり遂げた

これを可能にしたもの:増田所長の「センスメーキング」(置かれた状況を能動的に観察し、理解する)と「センスギビング」(周りの人が状況を理解する手助けをする)


【 終章:日本人が気づかない「日本の強み」を自覚せよ 】

インフラ先進国・日本、その理由:@戦後、すべてのインフラをゼロから再建しなくてはならなかった A日本国民の意識の高さ、社会に対する責任感 B秩序と清潔を重んじる日本人(ロザベス・モス・カンター教授)

☆最も多くの教授たちが指摘したのは「人的資本」:日本の強みは日本人そのもの
@高い教育水準:読解力・数的思考力で世界第1位
A分析的な特性:客観的事実とデータを重視
B美意識、美的センス
世界では、技術と美的センスを組み合わせた製品は高く評価されます。iPhoneはその象徴として有名ですね。日本は技術と美的センスの両方をすでに備えている国です。こんな国はほかにないでしょう」(前出・デビッド・モス教授)

日本の方々は、どんな些細なことでも、何か自分なりに少し工夫を加えようとするでしょう。そこに私は“芸術的センス”を感じるのです。だから日本の製品は美しくて魅力的なのだと思います。
 お店で商品を買えば、商品も美しければ、包装の仕方も美しい。街を歩けば、鮮やかな色のほうきで掃除をしている人がいる。日本には日常的に美意識が育成される環境があります。日本人の美的センスは、日本の強みとして大いに生かせると思います
(日本文化に造詣が深いジョセフ・バダラッコ教授)

C人を大切にするマインドと改善の精神:社員を人間として大切にする企業文化
D環境意識と自然観:限られたものをどうやったら有効に使えるか
E社会意識:公益を重視する企業ビジョン


≪ 日本の課題 ≫

T.グローバル化の遅れ

原因@:変化への極度の抵抗
原因A:日本人全体の内向き志向/グローバル派が「出る杭」とみなされる
「日本が非常に快適な社会であるがために、わざわざ不快な異国に行こうとは思わない。若者は世界に挑戦する必要性を感じない。これが内向き志向を生み、成長が停滞してしまった」(前出・ジェフリー・ジョーンズ教授)

U.イノベーション創出の停滞:「快適な国」もその一因

「このままの状況が進めば、日本は『博物館のような国』になってしまいます。過去の功労者ばかりがいる国、先人が築いた過去の遺産が並んでいる国、という意味です」(ジョン・クエルチ教授)

「高齢化社会であることはイノベーションを起こすチャンス」
(前出・ロザベス・モス・カンター教授)

V.若者と女性の活用

「少子高齢化が進む中、若者と女性という巨大な労働資源が日本の中に眠っているのです。日本企業が本来の力を発揮できていないのは、時代に合わせた能力開発やリソース活用ができていないからだと思います」(前出・デビッド・モス教授)

もっと海外に出て行って、新しいことに挑戦していただきたいと思います。日本には『恥の文化』があることを知っています。素晴らしい『謙遜の精神』もあります。こうしたものを維持しつつも、『日本が世界に教えられることはたくさんある』ということを認識していただきたいのです。自分の仕事は日本だけではなく、世界の人々に役立つ、と考えてください。
 日本人は、目の前にあるものを改善することが得意です。細部にこだわる精神も素晴らしいと思います。そのマインドセットをぜひとも、世界の人々と共有してほしいと願っています」(前出・アナンス・ラマン教授)


「抜粋して」といいながら、けっこうな長さになってしまった(苦笑)。だがお読みいただいた通り、我々日本人への敬愛あふれるメッセージの数々に、ついついたくさん書き出してしまった。

かつて私は、日本と日本人が好きになれなかった。過去における朝鮮・中国をはじめとするアジア諸国への侵略戦争、その際に行った残虐行為の数々。この「負の遺産」が心に重くのしかかった。そして現代においても、欧米の洗練されたゆとりある社会・文化と比べると、何かせわしくせせこましく、狭い島に大勢の人間がゴチャゴチャひしめいている国、という感じがした。自分の母国・わが民族でありながら、日本と日本民族を誇りに思えなかったのだ。この不快感はその後社会に出て、会社の必要以上に厳格な上下関係、不合理な指示命令や組織運営にさらされたことでさらに増幅し、「日本はアホだ、何だこの国は」との思いがさらに強くなった。

それが時を経て徐々に和らぎ、最近では逆に日本と日本民族を見直し、誇りにさえ思えるようになってきた。理由は2つあって、1つには自分が一番苦しい時に国に助けてもらったこと。もう1つには、世界の他の国々と見比べれば、日本は依然として世界でトップクラスのいい国であると知ったことだ。

この国だからこそ、この平和で安定した豊かな国だからこそ、私はこうして生き永らえることができている。そして今の生活も、決してリッチとは言えないが、世界の他の国の人々と比べれば、安全で安定した心穏やかな暮らしができている。

2002年にベストセラーになった「世界がもし100人の村だったら」に、こんな一文がある。

If you have money in the bank, money in your wallet and spare change somewhere around the house, you are among the richest 8.

(銀行に預金があり、財布にお金があり、家のどこかに小銭が転がっている人は、いちばん豊かな8人のうちの1人です)

私も一応、この”richest 8”には入っている。


こんな国に生まれて暮らしていけることは、とても幸運でありがたいことなのだ。そしてこんな国を作ってくれた偉大なる先人たちに、我々今を生きる者たちは深く敬意を表し、心から感謝しなければならないのだ。

ありがとう日本、ありがとう偉大なる先人たち。私もこの国を担う一員として、何かをやろう。何かを残そう。何ができるかはわからないが。



posted by デュークNave at 04:25| Comment(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする