堀江氏の著作はこれまでも何冊か読んだことがあるが、いつも感銘するのは「文章がとても読みやすく、表現が簡潔で、ポイントを的確に突いている」ことだ。このためその内容は常に濃く、読んでいて傍線を引きたくなる箇所がたくさん出てくる。それだけ鋭く的を射たことがたくさん述べられているのだ。
本書でもそれは同様で、特にコロナ禍で自粛圧力にさらされている多くの人たちを憂い、「縮むな、日本人!」と訴えている。とりわけやり玉に挙げられている「不要不急」に触れ、「不要不急こそ人生に潤いをもたらし、人間の活動を支える根幹だ!」と断じている。
確かに不要不急を排除したら、生活には何の潤いもなくなる。不要不急の楽しみ、娯楽、喜びがあるからこそ、人はメチャ込みの通勤電車に乗り込み、きつい仕事やアホな上司の𠮟責にも耐えられるのだ。
何年か前のNHK大河ドラマ「平清盛」で印象的だったのが、松田翔太演じる後白河法皇が吟じるこの小唄:「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ」。そう、人は遊ぶために、戯れるために生まれ、日々を送っているのだ。断じて、「会社のお仕事」に精力を奪われるために生きているのではない!
周りがみな同じことをしているので、会社にやたら拘束されている自分をおかしいと気づくことが、日本人にはなかなかできない。しかしコロナ禍で行動が制限されている今こそ、こう自問すべきだ。「こんな人生で俺は楽しいのか? 何が悲しゅうてこんなに仕事ばっかりやらされてるんだ? 俺の人生、どっかおかしくないか?」
書評とはかなり離れてしまったが、ホリエモンさんが言いたいこととは離れていないはずだ。私も改めて、「本当に生きたい人生」「本当にやりたいこと」を自問しながら、これからの日々を生きていきたい。そう思わせてくれた、心地よく背中を押してくれた一冊だった。
2021年10月29日
2021年10月22日
「通信制高校を選んだわけ」 (2021.10.20 読了)
通信制高校については、フィギュアスケーターの紀平梨花が通っているのでそういう学校があることだけは知っていたが、詳しくは知らなかった。しかしこの本で、その多様性と柔軟性に驚かされ、「硬直的と思っていた日本の教育現場に、こんな緩やかな場所があったのか」と感嘆した。
通信制高校(中学からもある)に入ってくる学生たちは、みな何らかの傷を持っている。いじめ、先生のパワハラ、部活の異様な厳しさなどに耐え切れず、不登校になって引きこもる。そうしてたどり着いたのが通信制高校という生徒たちが多い。
しかし心に深い傷を持った彼ら彼女らが、通信制高校の開放的で居心地がよく、柔軟で選択肢の多い学び方に本来の自分らしさを取り戻し、生き生きと活動している姿は読んでいて実に感動的だ。
これを読んでいて思い出したのが、映画「いまを生きる」。主人公はロビン・ウィリアムス演じる高校の国語教師で、詩の制作を通して生徒たちの自由な発想を引き出そうとする。しかし校長や他の教師たちは生徒たちを厳しく管理し、彼らのためというより学校と己の名誉のために、生徒たちを名門大学に合格させることに余念がない。そして自分の道を見つけたある生徒とそれを許さない父との軋轢から、悲劇が起こる。…この映画は、ぜひ学校関係者、父兄、生徒たちで一緒に鑑賞し、観た後にそれぞれの意見を交換してほしい。かなり建設的で有意義な語り合いができるはずだ。
「通信制高校」。こういう「生徒のために」を前面に出している学校がどんどん日本にも増えてほしい。そうすれば、この本に紹介されているように、「自分を取り戻し、自分の道を見出し、人生を切り開いていく」たくましい日本人が次々と誕生し、それが国全体の活性化にもつながる。「失われた30年」を経て徐々に萎縮しているこの国を蘇らせるには、一人一人がその持ち味を発揮して活動的になることが何より大切だ。「個人の充実こそが国の発展の必須条件」。私はこう信じる。
通信制高校(中学からもある)に入ってくる学生たちは、みな何らかの傷を持っている。いじめ、先生のパワハラ、部活の異様な厳しさなどに耐え切れず、不登校になって引きこもる。そうしてたどり着いたのが通信制高校という生徒たちが多い。
しかし心に深い傷を持った彼ら彼女らが、通信制高校の開放的で居心地がよく、柔軟で選択肢の多い学び方に本来の自分らしさを取り戻し、生き生きと活動している姿は読んでいて実に感動的だ。
これを読んでいて思い出したのが、映画「いまを生きる」。主人公はロビン・ウィリアムス演じる高校の国語教師で、詩の制作を通して生徒たちの自由な発想を引き出そうとする。しかし校長や他の教師たちは生徒たちを厳しく管理し、彼らのためというより学校と己の名誉のために、生徒たちを名門大学に合格させることに余念がない。そして自分の道を見つけたある生徒とそれを許さない父との軋轢から、悲劇が起こる。…この映画は、ぜひ学校関係者、父兄、生徒たちで一緒に鑑賞し、観た後にそれぞれの意見を交換してほしい。かなり建設的で有意義な語り合いができるはずだ。
「通信制高校」。こういう「生徒のために」を前面に出している学校がどんどん日本にも増えてほしい。そうすれば、この本に紹介されているように、「自分を取り戻し、自分の道を見出し、人生を切り開いていく」たくましい日本人が次々と誕生し、それが国全体の活性化にもつながる。「失われた30年」を経て徐々に萎縮しているこの国を蘇らせるには、一人一人がその持ち味を発揮して活動的になることが何より大切だ。「個人の充実こそが国の発展の必須条件」。私はこう信じる。
2017年01月13日
「ビジネスエリートの新論語」 福田定一(司馬遼太郎)・著
こんな痛快な本は久しぶりに読んだ。駅のホームで、電車の中で、そして昼休み中、何度クスッと笑い、時にアハハと声を上げたことか。「あの司馬さんがこんな文章を書いていたなんて」。驚きとともに大いに笑い、そして感じ入った。
本書は、故・司馬遼太郎さんが産経新聞の記者時代、本名の「福田定一」名で昭和30年に刊行した「名言随筆サラリーマン ユーモア新論語」をベースにしている。読み始めてまず驚いたのは、その文章の軽妙洒脱さである。のちに「国盗り物語」「竜馬がゆく」「坂の上の雲」といった壮大かつ重厚な歴史小説を著した人と同一人物とはとても思えない、やや毒舌を含んだ、フットワークの軽い文章。それでいて深い歴史知識や鋭い社会分析に基づいているので、その内容はズバリ本質を突いており、ズシリと重みがある。つまり「重厚なテーマを軽妙な文章で綴る」という高度な技法を駆使した名文であり、読者はクスクス笑いながら、テーマの本質がズンと重心に染み入ってくるのだ。
名文ぞろいの本書だが、その中から特に私が感じ入った箇所を、ごく一部だがここにご紹介しよう。30代前半の司馬さんのウィットをご堪能あれ。
≪ 人の一生は重き荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒は敵と思へ。勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば、害その身に至る。
おのれを責めて人を責むるな。
及ばざるは、過ぎたるより優れり。 <徳川家康遺訓>
どうやらこれでみると、よきサラリーマンとは、家康型であるらしい。そのまま過不足なくこれは完ぺきなサラリーマン訓である。
戦国の三傑をみると、まず秀吉はサラリーマンにとってほとんど参考にすべき点がない。彼はいわば、身、貧より起しての立志美談型なのだ。(中略)
信長が経た人生のスタイルも、サラリーマンには有縁なものではない。いわば彼は社長の御曹司なのだ。(中略)
となると、家康である。(中略)下級サラリーマンの味こそ知らないが、それに似た体験をふんだんに持つ苦労人である。(中略)しかも天下の制覇ののちは、武士を戦士から事務官に本質転移させ三百年の太平を開いたいわばサラリーマンの生みの親みたいな人物だ。(中略)
まずはサラリーマンの英雄なら、家康あたりを奉っとくほうがご利益はあろう。≫
言われてみれば「なるほど」だが、戦国の三傑をサラリーマンと照らし合わせて考えるなど、なかなか思いつかない発想である。若き日の司馬さんの「ヤワラカ頭」ぶりがうかがえる。
≪たいていの会社の人事課長は「新入社員の情熱は永くて五年」とみている。それどころか「入社早々何の情熱も用意していない者が多い」(S肥料人事課長)「戦前なら、入社後二年というものは仕事を覚えるのに夢中ですごすものだが、近ごろの若い人は、ただ八時間という労働時間と初任給の多寡をにらみあわせただけの労働量しか提供しない」(K産業庶務課長)といった評すらある。(中略)
国運の隆盛期のころのサラリーマンと現在のそれとには、著しい気質の相違があることはたしかなようだ。一般に仕事への情熱は、前時代にくらべて、悲しいが早老の気味がある。≫
近年の若者は保守的になっているというニュースをそちこちで目にも耳にもする(もっともこれは日本だけのことではないらしいが)。この現象は「失われた20年」を経た現代日本のことであり、これに対してかつての高度成長時代の若者たちは、希望に燃えてバリバリ働いていたんだろうと思っていた。ところが敗戦からわずか10年後に書かれたこのエッセイによると、すでにこのころから若いサラリーマンたちは「早老の気味」を見せていたというのだ。これは驚きだった。しかし戦後の日本があれだけの発展をしてきたということは、会社の上役たちがこの「早老の気味」の若手をひっぱたいて、無理やりにでも働かせてきたということか。思えば私も、かつてはけっこうひっぱたかれたなあ。
≪ 人生はいつまでも学校の討論会ではない。 <D. カーネギー>
議論ずきというのは、サラリーマン稼業にとって一種の悪徳である。本人は知的体操でもやっているつもりかもしれないが、勝ったところで相手に劣敗感を与え、好意を失うのがせいぜいの収穫というものなのだ。
まだしも話柄が火星ニ生物ガ棲息スルヤ、恋愛ハ結婚ヲ前提トスベキヤイナヤ、などと科学評論や人物評論をやっているあいだは可愛い。が、次第に議論に快感をおぼえて同僚や上役を俎上にのぼせ、大いに人物評論家としての才能を発揮したりするようになると事が面倒になる。
カーネギーにいわせると、営業部員の論客ほどヤクザなものはないそうだ。≫
司馬さんの「竜馬がゆく」に、坂本龍馬も「議論は無意味だ」と考えていた旨の記述がある。理由は上記と同じで、議論で相手を一時やりこめても、相手は結局納得しないし、自分に対して恨みや不快感を抱くことになるからだ。会社の会議のような、1つの結論を出さねばならない時は議論もやむを得ないが、そうでない時は、議論ではなく意見交換にとどめるべきだろう。そうすれば自分にはない視点や考え方を知ることができ、自分の視野が広まるとともに、新たな仲間との交流も生まれる。「議論は対立や軋轢を生み、意見交換は広がりと交流を生む」。どちらがいいかは言うまでもないだろう。
「知の巨人」と呼ばれた司馬遼太郎さん。30代の前半に著された本書には、その片鱗が早くもふんだんに表れている。すでに深遠な知の世界を構築していた司馬さんは、その後もその世界をさらに広く、高く、深く造り上げていった。司馬夫人・福田みどりさんがご主人の没後、「普通、人って歳を取るとものを考えなくなりますよね。考える気力もなくなる。司馬さんの場合逆なのね。だから魂がどんどん若くなっていったみたい」と述懐されたが、この「魂がどんどん若くなる」原動力は、司馬さんの飽くなき知的貪欲さ、知的好奇心だったのだろう。
「知的貪欲さで魂がどんどん若くなる」これは私の理想の人生だ。とても司馬さんレベルにはなれないが、司馬さんを最高のメンターとして頭上に掲げ、生きていきたい。
本書は、故・司馬遼太郎さんが産経新聞の記者時代、本名の「福田定一」名で昭和30年に刊行した「名言随筆サラリーマン ユーモア新論語」をベースにしている。読み始めてまず驚いたのは、その文章の軽妙洒脱さである。のちに「国盗り物語」「竜馬がゆく」「坂の上の雲」といった壮大かつ重厚な歴史小説を著した人と同一人物とはとても思えない、やや毒舌を含んだ、フットワークの軽い文章。それでいて深い歴史知識や鋭い社会分析に基づいているので、その内容はズバリ本質を突いており、ズシリと重みがある。つまり「重厚なテーマを軽妙な文章で綴る」という高度な技法を駆使した名文であり、読者はクスクス笑いながら、テーマの本質がズンと重心に染み入ってくるのだ。
名文ぞろいの本書だが、その中から特に私が感じ入った箇所を、ごく一部だがここにご紹介しよう。30代前半の司馬さんのウィットをご堪能あれ。
≪ 人の一生は重き荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。
堪忍は無事長久の基。怒は敵と思へ。勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば、害その身に至る。
おのれを責めて人を責むるな。
及ばざるは、過ぎたるより優れり。 <徳川家康遺訓>
どうやらこれでみると、よきサラリーマンとは、家康型であるらしい。そのまま過不足なくこれは完ぺきなサラリーマン訓である。
戦国の三傑をみると、まず秀吉はサラリーマンにとってほとんど参考にすべき点がない。彼はいわば、身、貧より起しての立志美談型なのだ。(中略)
信長が経た人生のスタイルも、サラリーマンには有縁なものではない。いわば彼は社長の御曹司なのだ。(中略)
となると、家康である。(中略)下級サラリーマンの味こそ知らないが、それに似た体験をふんだんに持つ苦労人である。(中略)しかも天下の制覇ののちは、武士を戦士から事務官に本質転移させ三百年の太平を開いたいわばサラリーマンの生みの親みたいな人物だ。(中略)
まずはサラリーマンの英雄なら、家康あたりを奉っとくほうがご利益はあろう。≫
言われてみれば「なるほど」だが、戦国の三傑をサラリーマンと照らし合わせて考えるなど、なかなか思いつかない発想である。若き日の司馬さんの「ヤワラカ頭」ぶりがうかがえる。
≪たいていの会社の人事課長は「新入社員の情熱は永くて五年」とみている。それどころか「入社早々何の情熱も用意していない者が多い」(S肥料人事課長)「戦前なら、入社後二年というものは仕事を覚えるのに夢中ですごすものだが、近ごろの若い人は、ただ八時間という労働時間と初任給の多寡をにらみあわせただけの労働量しか提供しない」(K産業庶務課長)といった評すらある。(中略)
国運の隆盛期のころのサラリーマンと現在のそれとには、著しい気質の相違があることはたしかなようだ。一般に仕事への情熱は、前時代にくらべて、悲しいが早老の気味がある。≫
近年の若者は保守的になっているというニュースをそちこちで目にも耳にもする(もっともこれは日本だけのことではないらしいが)。この現象は「失われた20年」を経た現代日本のことであり、これに対してかつての高度成長時代の若者たちは、希望に燃えてバリバリ働いていたんだろうと思っていた。ところが敗戦からわずか10年後に書かれたこのエッセイによると、すでにこのころから若いサラリーマンたちは「早老の気味」を見せていたというのだ。これは驚きだった。しかし戦後の日本があれだけの発展をしてきたということは、会社の上役たちがこの「早老の気味」の若手をひっぱたいて、無理やりにでも働かせてきたということか。思えば私も、かつてはけっこうひっぱたかれたなあ。
≪ 人生はいつまでも学校の討論会ではない。 <D. カーネギー>
議論ずきというのは、サラリーマン稼業にとって一種の悪徳である。本人は知的体操でもやっているつもりかもしれないが、勝ったところで相手に劣敗感を与え、好意を失うのがせいぜいの収穫というものなのだ。
まだしも話柄が火星ニ生物ガ棲息スルヤ、恋愛ハ結婚ヲ前提トスベキヤイナヤ、などと科学評論や人物評論をやっているあいだは可愛い。が、次第に議論に快感をおぼえて同僚や上役を俎上にのぼせ、大いに人物評論家としての才能を発揮したりするようになると事が面倒になる。
カーネギーにいわせると、営業部員の論客ほどヤクザなものはないそうだ。≫
司馬さんの「竜馬がゆく」に、坂本龍馬も「議論は無意味だ」と考えていた旨の記述がある。理由は上記と同じで、議論で相手を一時やりこめても、相手は結局納得しないし、自分に対して恨みや不快感を抱くことになるからだ。会社の会議のような、1つの結論を出さねばならない時は議論もやむを得ないが、そうでない時は、議論ではなく意見交換にとどめるべきだろう。そうすれば自分にはない視点や考え方を知ることができ、自分の視野が広まるとともに、新たな仲間との交流も生まれる。「議論は対立や軋轢を生み、意見交換は広がりと交流を生む」。どちらがいいかは言うまでもないだろう。
「知の巨人」と呼ばれた司馬遼太郎さん。30代の前半に著された本書には、その片鱗が早くもふんだんに表れている。すでに深遠な知の世界を構築していた司馬さんは、その後もその世界をさらに広く、高く、深く造り上げていった。司馬夫人・福田みどりさんがご主人の没後、「普通、人って歳を取るとものを考えなくなりますよね。考える気力もなくなる。司馬さんの場合逆なのね。だから魂がどんどん若くなっていったみたい」と述懐されたが、この「魂がどんどん若くなる」原動力は、司馬さんの飽くなき知的貪欲さ、知的好奇心だったのだろう。
「知的貪欲さで魂がどんどん若くなる」これは私の理想の人生だ。とても司馬さんレベルにはなれないが、司馬さんを最高のメンターとして頭上に掲げ、生きていきたい。
2016年12月29日
「新版日中戦争 和平か戦線拡大か」(臼井勝美・著)
日中戦争については、以前からもっと知りたいと思っていた。1941年の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争については子供のころから興味があり、学校でも習い、自分でも何冊か本を読んで知識を蓄えた。しかし日中戦争は、1937年の盧溝橋事件に端を発し、対米英戦争開戦時にはすでに4年を経ており、言うまでもなくその後は太平洋戦争と同時進行で行われたにもかかわらず、ほとんど知識がなかった。学校の歴史教科書にも、1941〜1945年については、太平洋戦争の記述はあるが日中戦争についてはほとんど記述がないため、自ら乗り出さねば知識が身につく機会がなかったのだ。
そこで意を決して標記の本を購入し、読んでみたのだが・・・、かなり疲れた(苦笑)。まず活字が小さいし、文体もかなり堅い。またこれは仕方のないことなのだが、引用する当時の資料が、文語体でかなり読みづらい。この「三重苦」で内容がなかなか頭に入らず、読書スピードがものすごく遅くなってしまい、わずか200ページ余りの新書本を読破するのに1か月近くもかかってしまった。通勤時間と仕事の昼休みを利用してのことなので1日の読書時間は短いのだが、それにしても時間を費やした。
「根性なし・根気なし」の「自称・ノーコン人間」である私、普通なら途中で投げ出してしまうところなのだが、なぜかこの本は最後まで食らいついた。冒頭に書いた「日中戦争についてもっと知りたい」という思いと、どうにかこうにか読み進めていくうちに、だんだん面白くなってきたからだ。この本は日中戦争を、@前史:1933〜1937年 A盧溝橋事件から太平洋戦争勃発まで:1937〜1941年 B太平洋戦争から敗戦まで:1941〜1945年 の3期に区分している。@はほとんど前提知識がなかったのでかなり読むのに時間がかかったが、Aになると少しずつ知っていることが増え始め、Bに至ってかなり興味津々に読み進んだ。とりわけBは、「太平洋戦争の最中に日中戦争はどう推移していたのか」という、この本を読もうとした自分の動機にマッチしていたので、依然として時間はかかりながらも、かなり身を入れて読んだ。
読了し、「日中戦争とはどういう戦争だったのか」と改めて考えてみると…、「まったく大義のない泥沼の戦い」と言っていいだろう。1931年の満州事変〜翌年の満州国建国で、日本は中国東北部に大きな拠点を築き上げる。しかしそれにとどまらず、さらに南下して時の蒋介石国民党政権に圧迫を加え続け、ついに1937年、盧溝橋事件で「難くせ」をつけて全面戦争に突入する。この後日本は「大東亜共栄圏」だの「東亜新秩序」だののお題目を唱えて中国本土での勢力圏を拡大していくが、これは「帝国主義国家の侵略」以外の何物でもなかった。
1938年12月28日、蒋介石はこう語って日本の「東亜新秩序」を批判した。
≪東亜新秩序の目的は赤禍(共産党の伸長)を防止することにあるとの名目で中国を軍事的に管理し、東洋文明を擁護するという名目で中国の民族文化を消滅させ、経済防壁を撤廃するという名目で欧米勢力を排除して太平洋を独占しようとするもので、簡単にいえば日本は東亜の国際秩序を覆し、中国を奴隷化して太平洋を独覇し世界の分割支配を意図している。≫
見事に的を射た指摘であり、核心を突かれた当時の日本陸海軍首脳たちは、内心ぐうの音も出なかったのではないか。
この後も日本は戦いを優勢に進めるが、国民党政府は広大な国土を西へ西へと退避し、中西部の重慶に拠点を構えて抗戦する。加えてアメリカを主とする連合国からの援助(いわゆる「援蒋ルート」)が蒋介石を支え、戦争は長期化・泥沼化していく。
この膠着状態を打開するため、日本は対米英戦争に打って出る。開戦当初に連戦連勝を重ねて有利な状況を作り、早期に講和に持っていく目論見だった。確かに1942年5月までは、太平洋戦線では日本は版図を拡大し続け、中国戦線では最大のネックであった「援蒋ルート」最大のビルマルートの遮断に成功する。ここまでは日本の目論見通りの展開だった。
しかし6月、ご存じミッドウェー海戦で日本は主力空母4隻を撃沈されるという大敗を喫し、太平洋戦線は大きなターニングポイントを迎える。物量に勝るアメリカの大反攻が始まり、これに対するために日本は中国戦線より太平洋戦線に兵力を注力せざるを得なくなる。しかも米英の協力でインド経由でアメリカ航空部隊の中国本土への配備が進み、1944年になると、成都飛行場から飛び立ったB29による日本本土爆撃が本格化する。さらに翌1945年には途絶えていたビルマルートが再開され、日本は太平洋戦線のみならず、優勢だった中国戦線でも苦境に陥る。5月、日本は大幅な戦線縮小を決定、各部隊は粛々と撤退を開始したが、その作戦中に8月15日の終戦を迎えることになるのである。
明治維新以来、「富国強兵・殖産興業」をスローガンに近代化を進めてきた日本は、その78年後、国家の崩壊を迎えてしまった。「欧米に追いつけ・追い越せ」とまさに「坂の上の雲」を見つめながら突き進んできた新興国が、「鹿鳴館時代」に象徴される欧米文化の取り込みのみならず、国際政治や軍事面でも欧米帝国主義のマネをして、日清・日露両戦争を勝利したあと、朝鮮を併合し、中国を圧迫して、東アジアに覇を唱えようとした。しかしその膨張が欧米連合国との衝突を招き、ついには破滅へとつながる戦争に突入していった。
この流れの中で、日中戦争はどういう意味合いを持つのか。中国大陸への飽くなき欲望が米英との軋轢を生み、中国戦線と太平洋戦線の同時進行という、当時の日本の国力を考えるとまったく無謀な大戦争へと発展してしまった、つまり日中戦争の泥沼化は、日本帝国主義終焉へのカウントダウンの始まりだった、ということができる。対米戦争は「絶対にやってはいけない戦争」だったが、その前の日中戦争も、「絶対に踏み込んではいけない領域」に踏み込んでしまった戦争だったと言えるだろう。
「いったん始めてしまうと、途中でブレーキがかけられずに突っ走ってしまう。」満州事変に始まり敗戦に終わる、1931年からの15年間は「十五年戦争」とも呼ばれるが、この15年間の日本軍=日本国家の暴走(その前にも「助走期間」があるが)は、決して過去の遺物ではなく、現代の日本社会でも起こっていることではないだろうか。今の安倍政権が行ってきた、特定秘密保護法や安保関連法、最近では「カジノ法」の強引かつ性急な成立、さほど現地で求められているとは思えない、自衛隊の南スーダンへの派兵。大企業でも、組織ぐるみで不正を続け、世間にバレるまでそれを隠蔽し続ける。まさに「赤信号 みんなで渡れば怖くない」を、政府も大企業もやってしまっている。
こんな恐るべき大潮流に、無力な一個人がどう抵抗しようともしょせんは蟷螂の斧。ではどうすればいいか。世間の常識や時代の流れにとらわれずに、自分の好きなこと、好きな道を、好きなように追求していくしかないな。
そこで意を決して標記の本を購入し、読んでみたのだが・・・、かなり疲れた(苦笑)。まず活字が小さいし、文体もかなり堅い。またこれは仕方のないことなのだが、引用する当時の資料が、文語体でかなり読みづらい。この「三重苦」で内容がなかなか頭に入らず、読書スピードがものすごく遅くなってしまい、わずか200ページ余りの新書本を読破するのに1か月近くもかかってしまった。通勤時間と仕事の昼休みを利用してのことなので1日の読書時間は短いのだが、それにしても時間を費やした。
「根性なし・根気なし」の「自称・ノーコン人間」である私、普通なら途中で投げ出してしまうところなのだが、なぜかこの本は最後まで食らいついた。冒頭に書いた「日中戦争についてもっと知りたい」という思いと、どうにかこうにか読み進めていくうちに、だんだん面白くなってきたからだ。この本は日中戦争を、@前史:1933〜1937年 A盧溝橋事件から太平洋戦争勃発まで:1937〜1941年 B太平洋戦争から敗戦まで:1941〜1945年 の3期に区分している。@はほとんど前提知識がなかったのでかなり読むのに時間がかかったが、Aになると少しずつ知っていることが増え始め、Bに至ってかなり興味津々に読み進んだ。とりわけBは、「太平洋戦争の最中に日中戦争はどう推移していたのか」という、この本を読もうとした自分の動機にマッチしていたので、依然として時間はかかりながらも、かなり身を入れて読んだ。
読了し、「日中戦争とはどういう戦争だったのか」と改めて考えてみると…、「まったく大義のない泥沼の戦い」と言っていいだろう。1931年の満州事変〜翌年の満州国建国で、日本は中国東北部に大きな拠点を築き上げる。しかしそれにとどまらず、さらに南下して時の蒋介石国民党政権に圧迫を加え続け、ついに1937年、盧溝橋事件で「難くせ」をつけて全面戦争に突入する。この後日本は「大東亜共栄圏」だの「東亜新秩序」だののお題目を唱えて中国本土での勢力圏を拡大していくが、これは「帝国主義国家の侵略」以外の何物でもなかった。
1938年12月28日、蒋介石はこう語って日本の「東亜新秩序」を批判した。
≪東亜新秩序の目的は赤禍(共産党の伸長)を防止することにあるとの名目で中国を軍事的に管理し、東洋文明を擁護するという名目で中国の民族文化を消滅させ、経済防壁を撤廃するという名目で欧米勢力を排除して太平洋を独占しようとするもので、簡単にいえば日本は東亜の国際秩序を覆し、中国を奴隷化して太平洋を独覇し世界の分割支配を意図している。≫
見事に的を射た指摘であり、核心を突かれた当時の日本陸海軍首脳たちは、内心ぐうの音も出なかったのではないか。
この後も日本は戦いを優勢に進めるが、国民党政府は広大な国土を西へ西へと退避し、中西部の重慶に拠点を構えて抗戦する。加えてアメリカを主とする連合国からの援助(いわゆる「援蒋ルート」)が蒋介石を支え、戦争は長期化・泥沼化していく。
この膠着状態を打開するため、日本は対米英戦争に打って出る。開戦当初に連戦連勝を重ねて有利な状況を作り、早期に講和に持っていく目論見だった。確かに1942年5月までは、太平洋戦線では日本は版図を拡大し続け、中国戦線では最大のネックであった「援蒋ルート」最大のビルマルートの遮断に成功する。ここまでは日本の目論見通りの展開だった。
しかし6月、ご存じミッドウェー海戦で日本は主力空母4隻を撃沈されるという大敗を喫し、太平洋戦線は大きなターニングポイントを迎える。物量に勝るアメリカの大反攻が始まり、これに対するために日本は中国戦線より太平洋戦線に兵力を注力せざるを得なくなる。しかも米英の協力でインド経由でアメリカ航空部隊の中国本土への配備が進み、1944年になると、成都飛行場から飛び立ったB29による日本本土爆撃が本格化する。さらに翌1945年には途絶えていたビルマルートが再開され、日本は太平洋戦線のみならず、優勢だった中国戦線でも苦境に陥る。5月、日本は大幅な戦線縮小を決定、各部隊は粛々と撤退を開始したが、その作戦中に8月15日の終戦を迎えることになるのである。
明治維新以来、「富国強兵・殖産興業」をスローガンに近代化を進めてきた日本は、その78年後、国家の崩壊を迎えてしまった。「欧米に追いつけ・追い越せ」とまさに「坂の上の雲」を見つめながら突き進んできた新興国が、「鹿鳴館時代」に象徴される欧米文化の取り込みのみならず、国際政治や軍事面でも欧米帝国主義のマネをして、日清・日露両戦争を勝利したあと、朝鮮を併合し、中国を圧迫して、東アジアに覇を唱えようとした。しかしその膨張が欧米連合国との衝突を招き、ついには破滅へとつながる戦争に突入していった。
この流れの中で、日中戦争はどういう意味合いを持つのか。中国大陸への飽くなき欲望が米英との軋轢を生み、中国戦線と太平洋戦線の同時進行という、当時の日本の国力を考えるとまったく無謀な大戦争へと発展してしまった、つまり日中戦争の泥沼化は、日本帝国主義終焉へのカウントダウンの始まりだった、ということができる。対米戦争は「絶対にやってはいけない戦争」だったが、その前の日中戦争も、「絶対に踏み込んではいけない領域」に踏み込んでしまった戦争だったと言えるだろう。
「いったん始めてしまうと、途中でブレーキがかけられずに突っ走ってしまう。」満州事変に始まり敗戦に終わる、1931年からの15年間は「十五年戦争」とも呼ばれるが、この15年間の日本軍=日本国家の暴走(その前にも「助走期間」があるが)は、決して過去の遺物ではなく、現代の日本社会でも起こっていることではないだろうか。今の安倍政権が行ってきた、特定秘密保護法や安保関連法、最近では「カジノ法」の強引かつ性急な成立、さほど現地で求められているとは思えない、自衛隊の南スーダンへの派兵。大企業でも、組織ぐるみで不正を続け、世間にバレるまでそれを隠蔽し続ける。まさに「赤信号 みんなで渡れば怖くない」を、政府も大企業もやってしまっている。
こんな恐るべき大潮流に、無力な一個人がどう抵抗しようともしょせんは蟷螂の斧。ではどうすればいいか。世間の常識や時代の流れにとらわれずに、自分の好きなこと、好きな道を、好きなように追求していくしかないな。
2016年05月15日
「ことわざ練習帳」 (永野恒雄・著)
「ことわざについての本が読みたい、できれば日本だけじゃなく世界のことわざが紹介されているのがいい」と思っていたら、新聞の広告にこの本が載っており、「練習帳」というのが面白そうだと思って手に入れた。私は本をひたすら読んで知識を身に付けるというのは苦手だが、問題形式になっていると抵抗なく読めるのだ(お勉強なら、テキストを読むのは苦痛だが問題演習は苦にしない、という感じ)。
最初はたくさんのことわざが問題形式で出てきて楽しく読めたが、著者がことわざを言語研究の一環としてとらえているため、解説の文章が硬くまじめすぎて、だんだん苦痛になってきた。「ことわざなんだから、もっとユーモアやジョークを交えて書けばいいのに」という思いが募ってきて、途中で読むのをやめようかと思ったほどだ。
しかし何とかめげずに読み続けているうちにまた面白くなり(これは本書の内容というより、ことわざそのものの面白さのおかげだが)、無事読了することができた。ここでは、本書の中で特に面白いと思った箇所をご紹介する。
【1】 ある先生が小学6年生を対象にことわざの授業を行い、「ことわざまじり文」を書かせました。空欄に入ることわざを選択肢から選んで下さい。(答えは文末に)
「ファーブルの昆虫記(1)の感想」
タマコロガシは、あんな小さな体で、自分の体の二倍もあるようなタマを作るのだからすごい。私たち人間にとっては、〔イ〕ようなことだけど、あんな小さな虫にとっては、たいへんなことだろう。オオフンコロガシは、せっかく作った玉を他の虫によこどりされてしまうことが多いらしい。〔ロ〕だな。タマコロガシもオオフンコロガシも、たいして外見はかわりがないので、大差はないだろうと思っていたら、〔ハ〕で、タマコロガシとは全く違う西洋梨型のタマを作ることがわかった。この本を読んで〔ニ〕だと思った。
「スキー」
私は、パパとおにいちゃんとおばさんとスキーにいった。私はまだ二度めなのでとてもへただった。でも少しうまくすべれた。けれど油断大敵、ころんでしまった。おにいちゃんは、じょうずで私とくらべて〔ホ〕みたいだった。でもおにいちゃんがころんだ。私は〔ヘ〕だと思った。そして私がまたすべった。〔ト〕、またころんでしまった。だけど私のは、五度あることは六度あるみたいだった。でも、〔チ〕というように、うまくすべれるようになった。そして、最後に一ぺんやった。私は自信たっぷりでやった。そうしたら、小さい山があったので、私はころんでしまった。スキーってまったく油断大敵だと思った。
〔選択肢〕
1 骨折り損のくたびれもうけ 2 人は見かけによらぬもの
3 二度あることは三度ある 4 月とスッポン
5 失敗は成功のもと 6 猿も木から落ちる
7 一寸の虫も五分の魂 8 赤子の手をねじる
※ ちなみに私は、一応全問正解できました。
小学生にことわざの授業をするのは大変有意義な試みだ。これなら子供たちも楽しくできるし、何より「言葉のセンス」が磨かれるのがいい。言葉は文化であり、母国語をこうして使いこなすことは自分の「文化度・日本人度」を高めることになる。こういう授業はどんどんやってほしいものだ。
【2】 下記は、外国のことわざを福沢諭吉が翻訳したものです。この翻訳にはある共通する特徴があります。それは何でしょう。
1. The sleeping fox catches no poultry.
⇒ 朝寝する狐は鳥にありつけず
2. There will be sleeping enough in the grave.
⇒ ねぶたくば飽くまでねぶれ棺のなか
3. Early to bed and early to rise, makes a man healthy, wealthy and wise.
⇒ 早く寝ね早く起きれば知恵を増し身は健やかに家は繁盛
4. At the working man’s house hunger looks in but dares not enter.
⇒ 飢えはよく稼ぎの門を窺えど閾(しきみ)を越えて内にはいらず
5. Plough deep while sluggards sleep and you shall have corn to sell and to keep.
⇒ 人の寝るその間に深く耕して多く作りて多く収めよ
6. Have you somewhat to do tomorrow? Do it today.
⇒ 今日といふその今日の日に働いて今日の仕事を明日に延ばすな
7. The cat in gloves catches no mice!
⇒ メリヤスをはめて道具を扱ふな袋の猫は鼠とりえず
8. Constant dropping wears away stones.
⇒ 滴(したたり)も絶えねば石に穴をあけ
(答え)俳句調(五七五)または短歌調(五七五七七)になっている
英文のことわざを意味を違えずに翻訳するだけでも難しいのに、それを語調のいい俳句・短歌調にまとめるとは! 福沢諭吉の語学力と日本語のセンスには脱帽、「参りました!」って感じだ。
【3】以下は、東京都立一橋高校の生徒たちが創作した格言です(社会科(倫理)の時間に作ってきたものだそうです)。思わずうなる傑作ぞろいなのでご紹介しましょう。(ここは問題形式にはしません)
<おたくというと聞こえが悪いが、通というと聞こえがいい>
<下手な奴ほど説明したがる>
<子どもは親を選べないと言うが、親だって子どもを選べない>
<もうだめだと思うとそこからだめになる>
<見つけても直せないのが欠点である>
<小心者ほどいいわけがうまい>
<愛は一瞬、うらみは一生>
<三人よればいじめの知恵>
<本当に眠い人はもう寝ている>
<三日坊主は四日目になると開き直る>
<バカは風邪ひかない、ひいても信じない>
<ちりも積もれば山になる、人が積もれば歴史になる>
<反戦デモは平和だからできる>
<うそをつきすぎると自分もだませる>
<意見が同じなのではなく、利益が同じなのだ>
最後に傑作を一つ。
<ことわざで人を納得させてはいけない>
若き高校生たちの感性の鋭さに、これも脱帽! <意見が同じなのではなく、利益が同じなのだ>なんて、政治家グループの離合集散で頻繁に起こっていそうな「名言」だ。
この本ではことわざをかなり生真面目に考察しているが、私個人としてはあくまで「言葉遊び」として、パロディやジョークの一環として楽しみたい(【3】の創作名言のように)。ただ、ことわざの歴史や世界での浸透、学校現場で授業の一環として取り上げられていることなど、ことわざに関するさまざまなことを知ることができたのは意義があった。こういう専門家の綿密な研究があるから、我々はこうして手軽に書籍で楽しむことができるのだ。偉大なるプロに、感謝!
P.S. 【1】の答え:イ−8 ロ−1 ハ−2 ニ−7 ホ−4 へ−6 ト−3 チ−5
最初はたくさんのことわざが問題形式で出てきて楽しく読めたが、著者がことわざを言語研究の一環としてとらえているため、解説の文章が硬くまじめすぎて、だんだん苦痛になってきた。「ことわざなんだから、もっとユーモアやジョークを交えて書けばいいのに」という思いが募ってきて、途中で読むのをやめようかと思ったほどだ。
しかし何とかめげずに読み続けているうちにまた面白くなり(これは本書の内容というより、ことわざそのものの面白さのおかげだが)、無事読了することができた。ここでは、本書の中で特に面白いと思った箇所をご紹介する。
【1】 ある先生が小学6年生を対象にことわざの授業を行い、「ことわざまじり文」を書かせました。空欄に入ることわざを選択肢から選んで下さい。(答えは文末に)
「ファーブルの昆虫記(1)の感想」
タマコロガシは、あんな小さな体で、自分の体の二倍もあるようなタマを作るのだからすごい。私たち人間にとっては、〔イ〕ようなことだけど、あんな小さな虫にとっては、たいへんなことだろう。オオフンコロガシは、せっかく作った玉を他の虫によこどりされてしまうことが多いらしい。〔ロ〕だな。タマコロガシもオオフンコロガシも、たいして外見はかわりがないので、大差はないだろうと思っていたら、〔ハ〕で、タマコロガシとは全く違う西洋梨型のタマを作ることがわかった。この本を読んで〔ニ〕だと思った。
「スキー」
私は、パパとおにいちゃんとおばさんとスキーにいった。私はまだ二度めなのでとてもへただった。でも少しうまくすべれた。けれど油断大敵、ころんでしまった。おにいちゃんは、じょうずで私とくらべて〔ホ〕みたいだった。でもおにいちゃんがころんだ。私は〔ヘ〕だと思った。そして私がまたすべった。〔ト〕、またころんでしまった。だけど私のは、五度あることは六度あるみたいだった。でも、〔チ〕というように、うまくすべれるようになった。そして、最後に一ぺんやった。私は自信たっぷりでやった。そうしたら、小さい山があったので、私はころんでしまった。スキーってまったく油断大敵だと思った。
〔選択肢〕
1 骨折り損のくたびれもうけ 2 人は見かけによらぬもの
3 二度あることは三度ある 4 月とスッポン
5 失敗は成功のもと 6 猿も木から落ちる
7 一寸の虫も五分の魂 8 赤子の手をねじる
※ ちなみに私は、一応全問正解できました。
小学生にことわざの授業をするのは大変有意義な試みだ。これなら子供たちも楽しくできるし、何より「言葉のセンス」が磨かれるのがいい。言葉は文化であり、母国語をこうして使いこなすことは自分の「文化度・日本人度」を高めることになる。こういう授業はどんどんやってほしいものだ。
【2】 下記は、外国のことわざを福沢諭吉が翻訳したものです。この翻訳にはある共通する特徴があります。それは何でしょう。
1. The sleeping fox catches no poultry.
⇒ 朝寝する狐は鳥にありつけず
2. There will be sleeping enough in the grave.
⇒ ねぶたくば飽くまでねぶれ棺のなか
3. Early to bed and early to rise, makes a man healthy, wealthy and wise.
⇒ 早く寝ね早く起きれば知恵を増し身は健やかに家は繁盛
4. At the working man’s house hunger looks in but dares not enter.
⇒ 飢えはよく稼ぎの門を窺えど閾(しきみ)を越えて内にはいらず
5. Plough deep while sluggards sleep and you shall have corn to sell and to keep.
⇒ 人の寝るその間に深く耕して多く作りて多く収めよ
6. Have you somewhat to do tomorrow? Do it today.
⇒ 今日といふその今日の日に働いて今日の仕事を明日に延ばすな
7. The cat in gloves catches no mice!
⇒ メリヤスをはめて道具を扱ふな袋の猫は鼠とりえず
8. Constant dropping wears away stones.
⇒ 滴(したたり)も絶えねば石に穴をあけ
(答え)俳句調(五七五)または短歌調(五七五七七)になっている
英文のことわざを意味を違えずに翻訳するだけでも難しいのに、それを語調のいい俳句・短歌調にまとめるとは! 福沢諭吉の語学力と日本語のセンスには脱帽、「参りました!」って感じだ。
【3】以下は、東京都立一橋高校の生徒たちが創作した格言です(社会科(倫理)の時間に作ってきたものだそうです)。思わずうなる傑作ぞろいなのでご紹介しましょう。(ここは問題形式にはしません)
<おたくというと聞こえが悪いが、通というと聞こえがいい>
<下手な奴ほど説明したがる>
<子どもは親を選べないと言うが、親だって子どもを選べない>
<もうだめだと思うとそこからだめになる>
<見つけても直せないのが欠点である>
<小心者ほどいいわけがうまい>
<愛は一瞬、うらみは一生>
<三人よればいじめの知恵>
<本当に眠い人はもう寝ている>
<三日坊主は四日目になると開き直る>
<バカは風邪ひかない、ひいても信じない>
<ちりも積もれば山になる、人が積もれば歴史になる>
<反戦デモは平和だからできる>
<うそをつきすぎると自分もだませる>
<意見が同じなのではなく、利益が同じなのだ>
最後に傑作を一つ。
<ことわざで人を納得させてはいけない>
若き高校生たちの感性の鋭さに、これも脱帽! <意見が同じなのではなく、利益が同じなのだ>なんて、政治家グループの離合集散で頻繁に起こっていそうな「名言」だ。
この本ではことわざをかなり生真面目に考察しているが、私個人としてはあくまで「言葉遊び」として、パロディやジョークの一環として楽しみたい(【3】の創作名言のように)。ただ、ことわざの歴史や世界での浸透、学校現場で授業の一環として取り上げられていることなど、ことわざに関するさまざまなことを知ることができたのは意義があった。こういう専門家の綿密な研究があるから、我々はこうして手軽に書籍で楽しむことができるのだ。偉大なるプロに、感謝!
P.S. 【1】の答え:イ−8 ロ−1 ハ−2 ニ−7 ホ−4 へ−6 ト−3 チ−5