2024年07月31日

ダイジェストしか観ていないパリオリンピック

パリオリンピック2024が開幕し、さまざまな競技が繰り広げられている。日本勢もなかなか健闘しており、お家芸の柔道が早々に始まったこともあって、連日メダル獲得のニュースが届いている。

…しかし今回の五輪、我が関心は今までにないほど低い。開会式を全く見なかったのも初めてだし(ニュースでチラリと見ただけ)、その後の競技もNHKのデイリーハイライトを観るだけで、ライブ中継は全然観ていない。フランスと日本では時差が8時間あり、向こうの夕方から夜はこっちの夜中だ。NHKや民放がたくさんライブ中継しているが、生活のリズムを崩してまで観る気は毛頭ない(これはいつの五輪でも同じだが)。

なぜ今回はこんなに関心が低いのか。3年前の東京大会であきれるほどのゴタゴタ・ドロドロを目の当たりにし、バッハ会長を筆頭とするIOCの金まみれ体質、全くアスリート・ファーストになっていない開催時期や競技スケジュールなどに嫌気がさし、リアルタイムではほとんど観なかった(毎日結果がわかっているデイリーハイライトだけ観ていた)。自国開催=時差がない東京でもこうだったから、時差の大きいパリではなおさらで、夜中はもちろん、早起きの私が観ようと思えば観れる早朝の中継もほとんど観ていない。五輪そのものに対する嫌悪感が、精神的な距離を置いている原因の1つだ。

もう1つは、「他にもやりたいことがいろいろあるから、五輪ばかりに時間を取られてはいられない」という思いが、2016リオ〜2021東京〜2024パリと、回を追うごとに強くなってきていることだ。スポーツ大好きは今でも変わらないが、好きなものはスポーツだけではないので、五輪開催中であっても、体質的・習慣的に「五輪オンリー」にはなれないのだ。

何事もバランスを大切にしているので、スポーツとその他のこととのバランス、何に時間を費やすかのバランスを考慮すると、テレビが大量放送している五輪番組にいちいち付き合っていては他のことが何もできない。なのでそのほとんどを無視し、結果をコンパクトにまとめているデイリーハイライトだけを観ている。「お前はそれでもスポーツファンか!」と罵倒されるかもしれないが、That's me!(それが俺だ!)から仕方がない。

ということで、パリ五輪は最後までダイジェストだけを観ることになるだろう。リオ・東京と作ってきた「オリンピックスペシャルディスク」も今回は作らない。…ただパラリンピックはどうするかまだ決めていない。個人的な事情もあって、こっちは五輪よりしっかり観るかも…。
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2021年01月18日

「根無し草人生」を支え、生き永らえさせてくれた「我が大好物たち」(2)スポーツ:オリンピック・パラリンピック

【 オリンピック 】

 オリンピックについては、「我がメモリアルシーン」は夏季も冬季も山ほどある。それをここに記そうとすると、また膨大な量とエナジーを要してしまう。

 なのでちょっと、いやかなり安易だが、このブログの「スポーツ−五輪・世界大会」カテゴリーの「ひどく私的な『オリンピック史』」シリーズ(Vol.1〜9:1964年東京〜2010年バンクーバー)をお読みいただければ、私とオリンピックとのこれまでの付き合いをご理解いただけると思う。申し訳ないがこの項目については、このシリーズの一連の記事に代えさせていただきたい。


【 パラリンピック 】

 パラリンピックは、これまでも決してディープにではないが観戦してきた。水泳女子の成田真由美選手や、ノルディックスキー・クロスカントリーの新田佳浩選手など、複数の大会でメダルを取ったレジェンドの存在も知っていた。また車いすテニスの国枝慎吾選手上地結衣選手のような、パラ以上にグランドスラム大会で大活躍している選手のことも知っていた。

 しかしパラを本格的に観るようになったのは、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックからだ。この大会からNHKで「パラリンピックタイム」という、オリンピックの「デイリーハイライト」のような番組を毎日放送するようになり、また新聞の取り上げ方も、これも五輪と同じぐらいの大きなスペースを取って記事を載せるようになったのだ。これは4年後の東京パラを意識してのことだったと思うが、このメディアの取り上げ方の格段のアップによって、観る側のパラ競技に対する認知度も大きく上がった。

 興味深かったのは、パラ独特の競技だ。車いすテニス車いすバスケットはある程度知っていたが、ボッチャゴールボールはルールもほとんど知らなかった。番組でルール解説を聞いてから実際の試合を観るととてもわかりやすく、面白さがわかった。

 とりわけ私が興味津々で観たのが、車いすラグビーだ。前述の通りラグビー大好き人間の私は、「車いすラグビーってどういうふうにプレーするんだろう?」と、もともと関心は持っていた。番組でルール説明を聞くと、これが面白い。まず、ボールが楕円形じゃない。バレーボールを基に考案された、専用の白い円形なのだ。そして、パスは前に投げてもいい。この点はラグビーよりアメフトに似ている。またトライは1点で、ペナルティゴール、ドロップゴール、コンバージョンといった、キックによる得点は当然なながらない。しかもトライは、健常者のラグビーにようにダウンボールする必要はなく、トライラインを車いすで越えれば得点になる。これはアメフトのタッチダウンに似ており、この点もアメフト的だ。

 試合は室内で行われ、コートの広さはバスケットボールと同じ。試合時間は8分間のピリオドを4回行い、同点の場合は3分間の延長戦が行われる。選手は男女混合の編成が可能で、1チームは最大12人まで。試合にはこのうち4人が出場する。選手には障がいの程度によってポイントがつけられ(0.5〜3.5点:障がいが重いほどポイントが少ない)、4選手合計で8点以内に収めなければならない(女子がいる場合は0.5点の追加ポイントが許される)。

 4人の役割は、障がいの軽い選手が主に攻撃、重い選手が主に守備を担当する(役割によって使う車いすが違う)。攻撃の選手は車いすを巧みに操り、ボールを足の上にのせてのドリブルやパスで敵陣に攻め込み、トライを狙う。守備の選手は相手の攻撃の選手を車いすでブロックしたり、味方の攻撃の選手の突進をサポートするために、相手の守備の選手を車いすで止めたりする。健常者のラグビーでは、後者のプレーは「オブストラクション」という反則になるが、アメフトでは「ナイスブロック」と称賛される。このあたりもアメフト的だ。

 オフェンス側はボールを持ってから12秒以内で敵陣に入り、40秒以内でトライを決めなければならない。これはバスケットの30秒ルールに似ており、車いすラグビーはいろいろなスポーツのルールをミックスして構成されている感じだ。このトライの時間制限がさまざまな戦術を生み、ピリオドの最終盤では、いつでもトライゾーンに入れるのにわざと入らず、40秒ぎりぎりまで時間稼ぎをして、相手が反撃してトライする時間を少なくするという戦法も取られる。

 こう見ると、「ラグビーって言いながらあまりラグビーっぽくないな」と思われるかもしれない。しかし車いすラグビーには、いかにもラグビーらしい要素があるのだ。それは「車いす同士のコンタクト」だ。パラの車いす競技では唯一、車いす同士のぶつかり合いが許された競技で、とても障がい者のスポーツとは思えない激しさがある。これがこのスポーツの大きな魅力の1つだ。

 こうして車いすラグビーに惹かれた私は去年、東京で開催された国際大会を初めて観戦に行った。会場には学校から先生に引率された小学生たちが大勢詰めかけていて、大変な盛り上がりだった。さらに会場には実況を担当するDJがいて、場内の雰囲気を一層盛り上げていた。試合もエキサイティングな展開の連続で、大いに楽しむことができた。

 パラリンピックのさまざまな競技を観ているうちに、自分の意識が変わった。これは「障がい者のスポーツ」というより「こういうルールで行われるスポーツなのだ」、と。車いすテニスは、プレーヤーが車いすに乗って、2バウンドまでの返球が許されるテニスであり、車いすラグビーは、室内で行われる、丸いボールを使って、パスを前に投げていいラグビーなのだ。

 そしてもう1つ思ったこと。パラリンピックの選手たちの「超人度」は、オリンピックよりもすごい、ということだ。片足で助走し、ジャンプし、1m70をクリアする走り高跳びの選手。両腕がなく、口にラケットをくわえ、足でピンポン球を上げて打つ卓球選手。やはり両腕がなく、仰向けで背泳ぎ、うつ伏せのドルフィンキックだけでバタフライをこなす水泳選手。足の指で弓を引き、見事に的の中心を射抜くアーチェリーの選手。自分が同じことをしようと思ったら、できるようになるまではすさまじく長い時間と、ものすごい努力を要するだろう。それだけの努力を払い、熱意を注ぎ続けてきたパラアスリートの方々には、心からの敬意の念が沸き起こる。

「失われたたものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」

 “パラリンピックの父”ルードヴィッヒ・グットマン博士の有名な言葉だが、これは障がい者だけではなく、我々健常者にも当てはまる言葉だ。「失われたもの」とは身体的または精神的な機能だけではなく、時間、地位、財産や人間関係も含めていいと思う。過去をいつまでも振り返らず、悔やまず、今とこの先を見据えて、前を向いて生きていく。これは障がいの有無にかかわらず、誰にとっても大切なことだろう。

「今の自分に残されたものを、これからの人生で最大限に生かして生きる」

 これを、私も心して生きていこう。

posted by デュークNave at 04:22| Comment(0) | スポーツ-オリ・パラ・世界大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月20日

羽生結弦・宇野昌磨でワンツーフィニッシュ!:望みうる最高の結果だが、まさか本当に実現するとは…! 〜平昌五輪・フィギュアスケート男子シングル〜

平昌冬季オリンピック、日本勢に最初の金メダルをもたらしたのは、フィギュアスケート男子シングル・羽生結弦だった。宇野昌磨も銀メダルを獲得し、日本勢が見事なワンツーフィニッシュを決めた。羽生はソチ五輪に続き、男子シングル66年ぶりの五輪連覇を達成。これは日本選手の個人種目では五輪史上初の快挙である(団体では、1992年アルベールビル・1994年リレハンメルでノルディック複合の日本チームが連覇している)。また、日本選手の同一種目での金・銀は、1972年の札幌大会、70m級純ジャンプでの笠谷幸生・金野昭次・青地清二の表彰台独占以来の快挙だった。


「羽生・宇野でワンツー」。「そうなれば最高なんだけどな」とは思っていたが、本当に実現できるかは、個人的にはかなり懐疑的だった。まず宇野昌磨。今季はGPシリーズ・GPファイナル・全日本選手権・四大陸選手権と大舞台を転戦したが、SP・FSを通して納得の演技ができたことは一度もなかった。コンディションの問題なのか、精神面なのか、観る側ももどかしい試合が続いていた。その不安を抱いたまま平昌に入り、前哨戦ともいえる団体のSPに臨んだ。しかしここで、4フリップは乱れたもののそれ以外はまとめ、103点台に乗せてトップに立った。ミスがありながら100点を超えてきたことは、本番に向けてかなりの光明といえたが、不安が完全に解消したわけではなかった。

そして羽生結弦。昨年11月に負ったケガ以来、NHK杯・GPファイナル・全日本選手権を欠場。年明けの五輪前哨戦もすべてパスし、団体戦も欠場。五輪本番がまさに「ぶっつけ本番」になった。「羽生自身がよく口にする『絶対王者の演技』は難しいだろう。果たしてどこまでできるのか」が、この時点での正直な思いだった。


【 羽生結弦・金:「どうしてこんなことができるのか」 】

SPは最終グループのいきなりの1番滑走。他の有力選手の演技を見ずに済むこの滑走順、ブランク明けの彼にとってはラッキーだったのではないか。そしてその演技は…、全世界の観戦者を驚愕させた。冒頭の4サルコウをきれいに降り、後半の3アクセルはGOEでフルマークの+3.00を獲得。さらに4トウループ−3トウループの高難度コンビネーションも流れよく決める。この瞬間、場内は熱狂の渦と化した。この3つのジャンプのGOEの合計は8.28。ステップシークエンスでも2点以上の加点を得て、圧巻のフィニッシュ。場内は再び熱狂に包まれた。2か月以上のブランクがあったとはとても信じられない、「すごい!」としか言いようのない圧巻の演技だった。PBに近い111.68、堂々の首位発進。本人が口にした通り、”I’m back!”、まさに王者の復活だった。


そして迎えたFS。ここでも勝利をもたらしたのは、演技の精度の高さ、熟成度だった。冒頭の4サルコウ、続く4トウループをきれいに決める(GOEはともにフルマークの+3.00!)。演技後半、4サルコウ−3トウループを流れよく降り、ここでも大きな加点を得る。これを決めたのが大きかった。続く4トウループでステップアウトしてコンビネーションにできず、リピートによる基礎点の減点になったが、そのあとの3連続ジャンプで取り返し、最後のジャンプ・3ルッツをどうにかこらえる(羽生にとってこの最後の3ルッツが常に「鬼門」になっていたが、痛めていた右足で必死に踏んばり、転倒はしなかった。まさに執念の着氷だった)。最後のコレオシークエンスは観衆の手拍子に乗って最高に盛り上がり、両手を広げる「SEIMEI」の決めポーズでフィニッシュ。場内はSP以上の大歓声に包まれた。

まさに「王者復活」の演技だったが、彼本来の実力をいかんなく発揮したわけではない。今季は4ルッツや4ループを含め、4ジャンプを4種類入れるプログラムを組んでいたが、11月のアクシデントによって方針の変更を余儀なくされた。4ジャンプはサルコウとトウループに絞り、その完成度・熟成度(=GOE加点)で勝負するプログラムを組んだのだ。これは決して安全策ではなく、右足の状態を鑑みて、今の自分にできる最高のパフォーマンスを出すにはどうしたらいいかを熟慮しての決断だった。常に高みを目指す彼としてはかなりの苦渋の決断だったと思うが、「五輪連覇」という大目標のために、応援してくれる世界中の人たちのために、結果を出すことに意識を集中したのだと思う。

(そもそも、ほとんど練習していない(できていない)4ルッツや4ループを試合で使うなどありえないことで、サルコウとトウループに絞ったのは、現時点での最高の演技を行うための極めて賢明な判断だったと思う)



SPでのほぼパーフェクトな演技に「どうしてこんなことができるんだ」と驚かされ、「この調子ならFSもかなり期待できるな」とは思っていたが、見事にやってのけてくれた。「ぶっつけ本番での五輪連覇達成」これは間違いなくフィギュアスケート史上に永遠に残る快挙であり、忘れがたいドラマになった。


【 宇野昌磨・銀:シニアデビューから注目し続けてきた「少年」が、ついに五輪メダリストに 】

私が宇野昌磨を初めて観たのは、2014年の全日本選手権だった。当時16歳、この年のジュニアGPファイナルを制し、「ジュニア世界一」として臨んだシニアの舞台。ジュニアより30秒長いFSの演技を、最後までスピードを落とすことなく演じ切った。終了後にリンク脇でへたり込んでしまったが、そのきつさを演技中には見せることがなかった。その精神力の強さに感心したことに加え、羽生に続く2位に入ったのに、「納得のいく演技ができなかった」と、全くうれしそうな表情を見せなかったことにもいたく感銘した。「自分に高いハードルを課すこの向上心の強さは、羽生結弦にも負けていない。これは絶対にデカくなるな」と、ここから宇野昌磨にずっと注目してきた。

その後の彼の活躍、成長ぶりは周知の通り。翌2015年からシニアに参戦し、GPシリーズで3度優勝、GPファイナル3年連続表彰台、全日本選手権連覇、2017世界選手権銀と、着実に結果を出し続けた。シニアデビュー当時はまだあどけなかった少年が、年を追うごとに表情に精悍さが増していき、「戦う男」に変貌を遂げていった。国内にライバルがいなかった羽生結弦をして「やっと出てきてくれたか」と言わしめ、2017世界選手権では羽生に僅差の2位。羽生に並ぶ平昌五輪の有力な金メダル候補と目されるようになった。


そして迎えた五輪本番。団体戦のSPで100点を超え、いい感触で臨んだ個人戦のSP。3つのジャンプ(4フリップ、4トウループ−3トウループ、3アクセル)は、ともにGOEで加点されたが、ともに彼本来のジャンプではなかった(特に3アクセルは、好調時には+3.00のフルマークを得るほど得意としているジャンプなのだ)。それでも100点を超えてメダル圏内の3位につけたのは、地力がある証拠。羽生結弦もそうだが、プログラムのレベルがもともと高く、演技構成点でも高い評価を受けるので、ジャンプに多少のミスがあっても総合的には高得点を得ることができるのだ。

そしてFSでは、その地力の高さに加え、彼の持つ精神力の強さがこの大舞台でもいかんなく発揮された。抽選により、この大舞台で何と最終滑走に。最終グループの5人の演技をしっかり見ていた彼は、勝つためにはパーフェクトな演技をしなければいけないことを認識する。しかし冒頭、4ループでいきなり転倒。この時点で金はなくなったことを覚悟した彼は(試合後のインタビューで「笑ってしまった」とコメント)、ここからは自分のベストの演技をしようと頭を切り替える。続く4フリップをきれいに決め、スピンとステップも着実にこなす。後半、4−2のコンビネーションで着氷が乱れたが、直後の4トウループを決めて取り戻し、最終盤の3アクセル−1ループ−3フリップ(3つ目がフリップなのがミソ! 羽生でさえここはサルコウなのだが、より難度の高い構成にする宇野オリジナルだ)、最後のジャンプ・3サルコウ−3トウループをしっかり決め(最後のジャンプを3−3のコンビネーションにするのもすごい!)、コレオシークエンスでは得意のクリムキンイーグルを披露して観衆を沸かせ、大きな盛り上がりの中でフィニッシュ。大会のエンディングを飾る、とてつもないプレッシャーがかかったであろう最終滑走を、最後まで気持ちを切らさずに演じ切った。実況のアナウンサーが叫んだ通り、「間違いなく自分に勝った」渾身の演技だった。


シニアデビュー以来、羽生同様、いやそれ以上に注目し続けてきた宇野昌磨が、ついにオリンピックメダリストになってくれた。心から嬉しいし、今は「おめでとう!」の言葉しか浮かばない。


「羽生−宇野のワンツーフィニッシュ」。望んではいたものの、まさか本当に実現するとは…! 今はただ、この歴史的快挙の余韻に浸るのみである。


P.S. 日本人なのでどうしてもこの2人のワンツーに酔いしれてしまうが、他の選手たちもすばらしかった。ハビエル・フェルナンデスは、SPで持ち前のエンターテインメントさをいかんなく発揮して2位発進。FSで後半の4サルコウが2回転に抜けたのが響いて宇野に逆転されたが、最後の五輪と意識して臨んだこの大舞台で、念願の初メダルを手にした。ボーヤン・ジンもSP・FSと高いレベルの演技をそろえ、得意の4ルッツも鮮やかに決めた。惜しくも表彰台は逃したが、宇野と同世代の彼、これからのさらなる成長が楽しみだ。

そしてネイサン・チェン。SPでは3つのジャンプでことごとく失敗し、まさかの17位。しかしFSでは、得意の4ジャンプが猛威を振るった。何と4ジャンプに6度挑み、4フリップで手をついた以外はすべて成功、GOEでも加点を得る。五輪史上初の、4ジャンプ5回成功を成し遂げた。FSの得点は215.08、羽生をも抑えて最高点をマークした(技術点は圧巻の115.11!)。「もし彼がSPで実力通りの演技を見せていたら」と思ってしまうが、もしそうならFSであれほどチャレンジングな構成にはしなかっただろう。失うものが何もないから思い切り4ジャンプに挑めたのだ。しかしそれを割り引いても、6回チャレンジして5回成功はすごい。まだ18歳の伸び盛り、来季以降もわが日本の誇るツートップの強力なライバルであり続けるだろう。


posted by デュークNave at 06:23| Comment(0) | スポーツ-オリ・パラ・世界大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月22日

not「障がい者のスポーツ」but「こういう形のスポーツ」 〜リオ・パラリンピックから受けたピュアで新鮮な感銘〜

リオデジャネイロ・パラリンピックが閉幕した。スポーツフリークを自認する私だが、これまでパラリンピックについてはほとんど知らず(車いすテニス男子の国枝慎吾選手や競泳女子の成田真由美選手は知っていたが)、その競技をじっくり見たことはなかった。しかし今回はまだまだ浅いながらも、さまざまな競技を観戦することができた。


【 人々への認知度を高めたメディアへの大きな露出 】

その大きな要因は、かなり本格的なテレビ中継が初めて行われたことだ。NHKがかなりの時間を割いてライブ中継や録画中継を行い、「パラリンピックタイム」というダイジェスト番組を、その日の日本人選手の活躍を中心に毎日放送した。私はオリンピックと同様このダイジェスト番組をすべて録画し、早朝のライブ中継もできる限り観戦し、一部は録画もした(これも五輪同様、「リオパラ・スペシャルディスク」ができ上がった)。また新聞も、普段はテレビ欄になっている最終面にパラ選手の特集記事を載せ(これも五輪と同じ)、試合結果もスポーツ面に大きなスペースを割いていた。このメディアへの露出の大きさが、観る者に強いインパクトと新鮮な感動をもたらし、パラへの認知度を格段に高めた。これはおそらく、4年後の東京大会に向けての布石の意味もあったのだろう。


【 パラ独特の競技に感じた新鮮な面白さと感動 】

とにかく観ていて面白かったのが、パラ独特の競技が多かったことだ。車いすバスケット車いすテニスは今回初めてフルに試合を観たし、ゴールボールボッチャといったパラにしかない種目は興味津々に観た。特に面白かったのが車いすラグビーで、健常者の15人制・7人制ラグビーとはかなりルールが違うのだが、その独特のルールがゲームを非常に魅力的にし、「こんな面白いスポーツがあったのか」と新鮮な驚きだった。特に日本の予選リーグ最終戦、世界ランク1位・アメリカとの一戦は今大会随一といっていい大熱戦で、このスポーツの醍醐味を堪能させてもらった。


【 これは「障がい者スポーツ」ではなく「こういう形のスポーツ」だ 】 

それと観ていてハッと思ったことは、こういう数々のパラ競技を観ていると、彼ら彼女らが障がい者であることを忘れてしまうのだ。たとえば車いすを使う競技では、選手たちはすべて下半身が不自由だし、腕や上半身にも障がいがある選手もいる。しかし選手たちのプレーを見ているうちにそんなことは頭から飛んでしまい、そのスリリングな試合展開に引き込まれてしまう。そして、健常者のスポーツと全く同じ感覚でその競技に見入っている自分に気がつくのだ。

(たとえば、車いすバスケは車いすを使ってやるバスケットボールであり、車いすラグビーは、選手が車いすに乗って、楕円形ではなく円形のボールを使い、前方にパスを投げてもいいというルールのラグビーなのだ)

つまり、これは「障がい者スポーツ」ではなく「こういう形のスポーツ」なのであり、それを自分がまったく自然に受け入れているということなのだ。というよりもその競技の魅力が、障がい者スポーツという区分を飛び越えて、ストレートに自分に迫ってくるのだ。これまでたくさんのスポーツを観てきたが、これは久々に味わったピュアで新鮮な感動だった。


【 五輪よりも高いパラの“超人率”と“超人度” 】

五輪にもウサイン・ボルトやマイケル・フェルプスのような“超人”が何人かいたが、はっきり言って彼らは「スゴすぎて」、あまり感情移入ができない。しかしこのリオ・パラには、我々健常者にもできないような「超人技」を見せてくれる選手が次から次へと現れ、そのたび観る者を驚嘆させ、仰天させた。

大会前から、五輪の優勝記録を上回る自己記録8m40を持つ陸上・男子走り幅跳びのマルクス・レーム選手(ドイツ)や、片脚で1m74を跳ぶ男子走り高跳びの選手など、まさに“超人”を何人も見ていたが、大会が始まると、その競技のトップアスリートたちが演じる“超人技の競演”に、観る側はただ驚嘆し、時に呆然とした。

両腕を失いながら、うつ伏せでドルフィンキックだけでバタフライを泳ぎ、仰向けでやはりキックだけで背泳ぎを泳ぎ、バタフライで銀、背泳ぎでは世界新記録で金メダルを獲得したテイ・トウ選手(中国)。パワーリフティングで305キロの世界新をマークしたシアマンド・ラフマン選手(インド)。1位から4位までがオリンピックの優勝タイムを上回った陸上男子1500m(視覚障害)。事故で両腕を失い、足でピンポン玉を上げ、口にラケットをくわえてプレーするイブラヒーム・ハマドトゥ選手(エジプト)。

日本にも“超人”はいる。68歳にして世界ランク7位の「バタフライ・マダム」別所キミヱ選手(卓球)。パラ通算15個の金メダルを獲得、46歳で8年ぶりに復帰し、ここでも日本新記録をマークした「パラ競泳界のレジェンド」成田真由美選手。知的障害や身体障がいを抱えながら、精度の高いスーパーショットを連発して初の銀メダルを獲得したボッチャ団体。私が大注目していた車いすラグビーも、3位決定戦でカナダを破って銅メダルを獲得した。池崎大輔・池透暢の「イケ・イケ」コンピを中心に、鋭い攻撃と戦略的な守備で念願のパラ初メダルを手にした。


【 健常者の心にも響く「パラリンピックの父」の金言 】

パラの選手たちのプレーやパフォーマンスを見ていると、「我々健常者が同じ条件でプレーさせられたら、ほとんどまともに動けないだろうな」と容易に想像でき、それをやってのけている選手たちがすべて“超人”に見えてくる。しかもその“超人度”がハンパじゃないのだ。パラの選手たちは、五輪の選手たち以上に「人間の可能性のすごさ」をまざまざと見せてくれる。そして我々健常者たちに、「五体満足な自分は何をやってるんだ。つまらない小さなことで悩んでいる場合じゃないぞ」と大きな励ましを与えてくれるのだ。


「パラリンピックの父」と呼ばれるルートヴィッヒ・グットマン博士の言葉:


「失われたものを数えるな、残されたものを
最大限に生かせ」



この言葉は、障がい者だけではなく、健常者にも当てはまるのではないだろうか。「失われたもの」とは、視力や身体能力だけではなく、時間、資産、人間関係など、すべての人の過去に関わるものといえる。犯した失敗、失ったお金や財産、途絶えた人間関係。しかしいくら振り返り、未練を残しても、失ったものは返ってこないし、「あのころ」には戻れない。ならば今とその先を見つめて、「残されたもの」を大切にして生きていくしかない。この言葉は、苦境にある人たちに勇気を与える言葉ではないかと思うのだ。


「失われた20年」と呼ばれ、いまだ経済的な苦境から脱却できず、大きな閉塞感に覆われている現代日本と日本人。しかしパラリンピックを観て、この世界をもっと日本中に知らしめ、アピールすることで、縮んでしまっている日本の人たちを元気づけ、活力を取り戻させる原動力になるかもしれないと思った(事実、私自身がかなりの刺激を受けている)。こういう意味でも、これからはもっと障がい者スポーツに注目したいし、さらにいい刺激を受けたいと思う。自分のこれからの人生に「活」を入れるためにも!


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2016年09月04日

リオ五輪・山口香さん名語録 〜NHK・デイリーハイライトより〜

リオ五輪ではライブで観れるものはなるべく観て、真夜中の競技は留守録をして仕事前の早朝に観た。これに加え、毎日欠かさず観ていたのがNHKのデイリーハイライト(以下DH)だ。

これは主に18:10〜18:45と19:30〜20:50の2部構成で、その日の注目競技を日本人選手を中心にダイジェストでまとめたものだ。大会が終わった今は、このDHすべてが1枚のディスクに収まり、「リオ五輪スペシャルディスク」として我がDVDラックに座っている。

この番組は2人のNHKアナウンサーが司会を務め、毎回元アスリートをゲストに迎えて、その日の競技についてコメントしていただくという形で進む。さすがNHK、迎えたゲストは錚々たる方々だ。


藤本隆宏さん(俳優、ソウル・バルセロナ五輪競泳男子個人メドレー出場)
岩崎恭子さん(バルセロナ五輪競泳女子200m平泳ぎ金メダリスト)
塚原直也さん(アテネ五輪体操男子団体金メダリスト)
山本博さん(アテネ五輪アーチェリー男子個人銀メダリスト)
朝原宣治さん(北京五輪陸上男子400mリレー銅メダリスト)
有森裕子さん(バルセロナ・アトランタ五輪陸上女子マラソンメダリスト)
潮田玲子さん(北京・ロンドン五輪バドミントン女子ダブルス出場)
青木愛さん(北京五輪シンクロナイズドスイミング出場)



このすばらしいゲストたちの的確かつ熱いコメントは、番組に彩りを添えてくれた。

※ 岩崎恭子さんは30代になってもあの可愛らしさを失わず、潮田玲子さんは「オグ・シオ」のころの輝きを保ったまま。そして青木愛さん、こんなそのへんのタレントそっちのけの美しき人が、シンクロチームにいたとは知らなかった。こういう”Athlete Beauty”の存在は、スポーツ観戦の大いなる楽しみの1つだ。

(あの正統派スポーツ専門誌・Numberも、「美女アスリート特集」をけっこうマジにやるからな)



とりわけ、この錚々たるゲストの中でも抜群の存在感を示し、的を射たコメントと軽妙なジョークで観る者をうならせたのが山口香さんだった。山口さんは現役時代、「女三四郎」の異名で呼ばれた日本女子柔道のパイオニア、偉大なる先達であり、まだ公開競技だったころのソウル五輪柔道女子52キロ級銅メダリストでもある。当時は女子柔道といえば真っ先に「山口香」の名が思い浮かぶ、唯一無二の存在だった。

山口さんはこの番組中さまざまな名言を語ってくれたが、これを単に録画して聞くだけではもったいないと思い、特に私が感銘を受け、面白いと思ったコメントをここにまとめた。


◎「いつも競泳チームを見てて思うのは、異常に仲がいいんですよ。同じ種目なのにどうしてこんなに仲良くできるのかなって。やっぱりロープがあるからですかね」

(大会初日のDHにて:これに岩崎恭子さんや藤本隆宏さんが笑いながら「そういう面もあると思います」「一緒に戦わなくて済みますからね」と答えた)


◎「(準決勝の敗退から3位決定戦まで間がなく)涙が乾かぬうちに出てきたという状態で、よく切り替えたと思います

(大会2日目のDHにて:柔道女子48キロ級で銅メダルを獲得した近藤亜美選手について)


◎「何より私がうれしいのは、チームのために頑張ろうと思った、次の日につなげたいと(いう言葉です)。柔道は個人戦なんですけど、7日間の団体戦なんですよね。1人が気を抜いて負けてしまうと、それはチームとして負けてしまうので」

(同:柔道男子60キロ級で銅メダルを獲得した高藤直寿選手の、試合後のインタビューでのコメントについて)


◎「彼にとっては、相手と戦っているというよりも、自分の完成された技をどうパフォーマンスするかということに注力していたような気がします。こんな柔道ができるのなら、こんなに気持ちよく投げれるんだったら、自分ももう一回やってみたいと思わせる試合でした

(大会3日目のDHにて:柔道男子73キロ級で2大会ぶりの日本男子金メダルを獲得した大野将平選手について)


◎「一口に10年って言いますけど、本当に長くて、孤独で、苦しい戦いだったと思うんですよ。でもそれが実を結んだ時、あの涙に、日本中の人がもらい泣きしたと思います

(大会5日目のDHにて:カヌースラローム・男子カナディアンシングルで、日本初の銅メダルを獲得した羽根田卓也選手について。羽根田選手は高校卒業後、カヌーの強豪国であるスロバキアで武者修行。その10年余の努力が実ってのメダルだった)


「サッカーの『マイアミの奇跡』、ブラジルに勝った時以来の興奮でした」

(同:7人制ラグビー男子、初戦でニュージーランドを破り、15人制に続く「ジャイアントキリング」を成し遂げた試合について)


「柔道競技最後のこの試合が、男女14階級を通じて一番最低の試合でした」

(大会8日目のDHにて:柔道男子100キロ超級決勝、ほとんど組むことのなかったリネール・原沢戦について)


◎「毎日メダルラッシュで、もうお腹いっぱいで、感動の余地が残ってないと思ってたんですけど、まだまだありましたね

(大会15日目のDHにて:番組冒頭のコメント。この日は陸上男子400mリレーで銀、シンクロナイズドスイミング・チームで銅メダルを獲得)


「私は心の底から、柔道でよかったと思いました」

(同:シンクロナイズドスイミング・チームが銅メダルを獲得/練習が1日12時間にも及ぶという話を聞いて)


◎「田知本選手はジュニアの時代から期待されていたんですが、ここまでは期待に沿えない試合が続いていた。でも今回は厳しい組み合わせの中を、技を出し続けて期待に応えてくれた。私、人は変われないと思っていたんですが、田知本選手を見て変われると思いました。やる気になればできるんだと

(同:今回の五輪で印象に残っているシーンに、柔道女子70キロ級で金メダルを獲得した田知本遙選手を挙げて)


「運動会でも、リレーって花形じゃないですか。この会場の盛り上がりの中で日本人が銀メダルって、本当に誇らしいですね」

(同:陸上男子400mリレーで銀メダルを獲得した日本チームについて)


◎「開いてくれた道がだんだん広くなっていくんですよ。狭いと少ししか通れませんけど、広くなるとたくさんの人が通れるようになりますから、(若い人が)どんどん出てきます。『私もいける』って、先が見えるようになってくるんですよ

(同:ダブルスで金、シングルスで銅を獲得したバドミントン女子について)


含蓄があり、かつウィットに富む。山口さんの名コメントの数々は、私の心に深く響き、染み入った。しかもそのコメントの1つ1つには、柔道、ひいてはスポーツ全体への熱き想いと深い愛情がひしひしと感じられ、それが観る者の感銘をさらに深めるのだ。


日本女子柔道の偉大なるパイオニア、そして今なお輝きを放ち続ける「女三四郎」に、大あっぱれ!!



posted by デュークNave at 05:03| Comment(0) | スポーツ-オリ・パラ・世界大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする