2016年12月18日

久方ぶりの映画館での鑑賞:最後にようやく「ホッ」

昨日、何年ぶりかで映画館で映画を観た。場所はシネマサンシャイン池袋、観た映画は「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」、主演は天下の名女優メリル・ストリープ。数か月前、彼女が主演したミュージカル「マンマ・ミーア!」を遅ればせながらDVDを購入して観て、あまりの楽しさに何度も繰り返して観てしまった。だから「マダム・フローレンス!」の紹介記事を新聞で読んだ時、これは観に行こうと思っていた。加えて私が購読している週刊英字新聞”Mainichi Weekly”のトップにこの映画に関するストリープのインタビュー記事が載り、おまけにこの時の号に「マンマ・ミーア!」でストリープの娘役を演じた女優の記事まで掲載され、ますます背中を押された。池袋だから早い時間に観ないと混むだろうと、一番早い9:05に合わせて部屋を出た。休日の朝早くに出かけることなどめったにない私だが、冬晴れの心地よい陽光の中、私は勇躍映画館に向かった。

ところが、館内はあきれるほどガラガラだった。地下2階の200席ほどのコンパクトなスペースなのだが、座っているのは10名足らず。「一番早い9:05」と書いたが、実はこの日はこの時間だけの上映で、22日には打ち切られるという。1週間前に調べた時は4回ほどあった上演回数が、もうここまで減っている。「あれ、あまり評判はよくないのかな」といぶかりながら、私は席に着いた。


あらすじはこうだ。時は1944年、音楽家たちのパトロンをしていた資産家のマダム・フローレンスが、趣味が高じて自ら歌を歌い始める。ところが、これがとんでもなくヘタ。ヒュー・グラント演じる夫が献身的に彼女を支援し、伴奏を務める若手ピアニストも懸命に彼女のド外れた歌に合わせるが、どんなにレッスンを重ねてもどうにもならない。しかし富豪という社会的地位と夫のフォローにより、彼女はコンサートで高い評価を受け続け、ついにはカーネギー・ホールでコンサートを開くことになる。軍人たちを大勢招いたコンサートは、初めはこの夫婦と何のつながりもない彼らの「素直な嘲笑」を浴びるが、心の中で酷評しながらも彼女の歌を聴き続けてきた女性が「こんなに懸命に歌っているのに、笑うなんて失礼よ!」と聴衆を一喝し、その後は拍手喝采の中でコンサートは終わる。だが彼女の歌を「素直に酷評」した新聞記事を目にした彼女はショックで倒れ、そのまま息を引き取る。しかし彼女の懸命な歌声は戦時中の人々の心に響き、レコードはベストセラーとなった。


・・・と、こう書くと最後はハッピーエンドの感動の物語のようだが、私にはどうにも解せなかった。とにかく、マダム・フローレンスの歌がヘタすぎるのだ。どんなに懸命に歌っていようと、あんな突拍子もなく外れたキンキン声を聞かされるのはたまらない。正直、観ていて不快になった。

それ以上に観ていて思ったのが、本当は歌がとても上手なメリル・ストリープが、ドへたくそに歌っているのが気の毒でしょうがなかった。そういう役だから仕方がないのだが、それを割り引いて見ても「お気の毒に」という思いを消せなかった。だから臨終の際に夢で歌っているシーンが現れ、持ち前の美声そのままに高らかに歌い上げる彼女を見て、ようやくホッとすることができた。ずっと味あわされていたフラストレーションを、最後の最後でやっと解消できた、そんな感じだった。この作品の評判があまりよくないらしいのは、私と同じようなフラストレーションを味わった人がたくさんいたからではないだろうか。これも日本人の生真面目さの表れなのかもしれない(本国のアメリカではけっこうヒットしたのかもしれないな)。


作品はイマイチだったが、久々の映画館での鑑賞そのものはよかった。やはりたまにはこういう臨場感を味わいながら映画を観るのもいい。次は「聖の青春」でも観に行こうかな。

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2016年10月20日

タモリと爆笑問題:シリアスとコミカルの絶妙なバランス

以前、「テレビ番組は厳選して観ている」という記事をこのブログに載せた。私は早寝早起き人間であり(というより夜更かしが苦手)、観たい番組のほとんどは夜遅い時間の放送なので、すべて留守録して観ている。今毎週録画して観ているのは、「知恵泉」(NHK・Eテレ)、「歴史秘話ヒストリア」(NHK・総合)、「サタデースポーツ」(同)、「真田丸」(同)、「サンデースポーツ」(同)などだ。これにその内容によっては「NHKスペシャル」や「アスリートの魂」、「100分で名著」などが加わる。最近ではNHKの土曜ドラマ「夏目漱石の妻」(全4回)を録画したが、これはすごく面白かった。

またNHKオンデマンドの「見逃し番組視聴プログラム」の会員なので、このサイトでも観ることができる。このサイトでの私の一番の好物は「英雄たちの選択」。我がひそかな大ファンである歴史家の磯田道史氏とNHKの渡邊佐和子アナが司会を務め、ある歴史上の人物の「後世に影響を与えた選択の時」にスポットを当て、各方面の専門家とともに語り合うという番組である。その「選択の時」前後の経緯もさることながら、磯田氏や各コメンテーターの鋭い論評が実に面白く、見応えたっぷりの歴史番組だ。毎週録画したいほど内容の濃い番組なのだが、残念ながら私はBS・CS放送の受信契約を結んでいないので、オンデマンドで観ることしかできない(料金のことよりも、今でも少なからぬ番組を観ているので、これ以上選択肢を増やしたくないのだ)


前置きが長くなってしまったが、ここからが本題。このオンデマンドのサイトを観ていたら、「NHKスペシャル マネー・ワールド」「ブラタモリ・富士の樹海」が目に入った。これはともにNHK総合の番組であり、観ようと思えば観れたし、録画もできたのだが、「これ以上観る番組を増やしたくない」というブレーキを自分にかけたため録画しなかったのだ。しかし番組の説明を読んで「これは面白そうだな」と思い、両方とも観てしまった。

結果:両方ともすごく面白かった。番組の内容も興味津々だったが、特にうなりながら観ていたのは、タモリと爆笑問題の「シリアスとコミカルのバランスの良さ」だ。タモリは富士の樹海を案内に従って歩き回りながら、いつもながらの観察眼の鋭さでガイド役を驚嘆させる。そして磁石が好きという同行の近江友里恵アナに、これもいつもながらのツッコミを入れる。基本はまじめな番組なのだが、タモリが絡むのでやんわりとお笑いのテイストが加わるし、観ている方も「タモリがまた何か面白いこと言うんじゃないか」と期待する。この硬さと柔らかさの絶妙なバランスは、さすがタモリだなと思う。


かたや爆笑問題。NHKで「探検バクモン」というレギュラー番組を持っているとはいえ、「マネー・ワールド」なんてスケールが大きそうで難しそうなタイトルの3回シリーズのNスペに、お笑いタレントが呼ばれることがそもそも前代未聞だ。ただこの2人は、けっこうシリアスなテーマの番組もこなせる芸域の広さを持っているので、NHKもそこを信頼しての起用だったのだろう。

で、2人はいつものように田中裕二がけっこうまじめに話を進め、それに太田光がボケたツッコミを入れる。たとえば番組冒頭、「マネー・ワールド」というタイトルに太田が「田中さんがお金持ちだから」「資本主義の権化」「資本主義が生みだしたモンスターと呼ばれる」と連発していきなり笑わせる。大企業の不正の話題になると、太田が田中に「お前の名前パナマ文書に載ってた」とツッコむ。それでいて専門家が入ってのトークになると、太田が「日銀がマイナス金利までやっても、大企業まで内部留保をためこんで賃金を上げようとしないのは、将来的な不安が払拭できないから」と鋭い指摘をしてみせる。田中もAIを活用した投資の話題で、「(投資家が全部AIになったら)AI同士で戦って、損したら『俺のAIはバカだったんだよ』って、そういうことになるよね」と笑わせる。2人(特に太田)のギャグとマジトークのバランスが絶妙だった。もともと興味深いテーマの番組が、彼らのコミカルさによってさらに面白く、かつわかりやすくなっている(太田の面白さもそのツッコミを受けて切り返す田中がいるからで、2人のバランスの良さがあっての爆笑問題なのだ)。


彼らのような、硬軟織り交ぜた語りややり取りができるお笑い芸人こそ最強だと、私は思う。こういう意味でタモリと爆笑問題は、面白いだけでなく尊敬に値する。ブラタモリの富士の樹海編は来週に続くし、「マネー・ワールド」は3回シリーズ。続きが楽しみだ。


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2016年01月10日

「いただきます」と「ごちそうさま」 〜「孤独のグルメ」・井之頭五郎の至福の時間〜

何がきっかけだったのかは忘れたが、テレビ東京「孤独のグルメ」をたまたま観てから、その面白さにハマっている。これは久住昌之原作・谷口ジロー作画のマンガが原作であり、何年か前に文庫本で読んだことがあった。谷口ジロー氏については、このブログの「マンガ名作選」シリーズで「坊っちゃんの時代」という作品を紹介しているがhttp://keep-alive.seesaa.net/article/191507344.html?1452373157)、その写実的で上品な絵柄が私はとても好きだ。

ただ、この作品がテレビドラマ化されていることをまったく知らず、知った時はすでにSeason5を数え、しかも結果的にはラスト4作しか観ることができなかった(元日のスペシャルを入れると5作)。しかし映像化された「孤独のグルメ」は、失礼ながら原作をはるかに凌駕する魅力たっぷりの作品になっている。

「魅力たっぷり」の最大の要因は、主人公・井之頭五郎を演じる松重豊だ。私はテレビドラマをほとんど観ないので最近の活躍は知らないが、かつて大河ドラマ「毛利元就」で元就の二男・吉川元春を好演していたのと、最近の名刺のCMでの「それさあ・・・早く言ってよ〜!」の名ゼリフが印象的だ。

※ NHKオンデマンドを観ていたらもう1つあった! 私の好きな歴史番組「英雄たちの選択」のナレーションも松重豊が担当しているのだ。彼の力強く落ち着いた声は、この番組のナレーションにピッタリだ。

とにかく楽しいのは、井之頭五郎のうまそうな食べっぷりだ。口に入れた瞬間、あの松重豊のこわもて顔が緩み、すごく幸せそうな眼で、ゆっくり噛んでじっくり味わう。まさに「至福の時」という感じで、観ているこっちも楽しくなる。

加えて、五郎さんの語り(ナレーション)も面白い。たとえばSeason5・#9の【千葉県いすみ市のブタ肉塩焼きライス】では、海沿いの街なので伊勢エビとサザエが食べたかったのに店が見つからず、たまたまたどり着いた肉屋の大衆食堂で、意に反して肉料理を食べることになる。ところがこれが大当たりで、五郎さん、上機嫌でむしゃむしゃ食べる。

この時の【五郎’sセレクション】は「ブタ肉塩焼(上)」と「ミックスフライ(イカ・メンチ)」。ポークの分厚さを見て「このどうだと言わんばかりの厚み。もはやステーキと言ってもいいだろう」。口に入れて「おお・・・これは・・・うまい!」レモンを絞り、さらに一切れ。「ブタとくりゃ生姜焼きというイメージだったが、これは塩で大正解。驚くべきブーちゃん!」ここで付け合わせのカラシを乗せ、もう一切れ。「う〜ん、変化が出る。うまさがまた振出しに戻る」。しみじみ味わいながら「いすみ豚。いいものを知った」。

続いてミックスフライに取りかかる。「肉屋のメンチカツ。ソースが重要」。一口食べると「あ〜いいなあ。庶民の味方・メンチカツ」。ここで一転、ブタ塩焼の付け合わせのポテトサラダを食べる。「ポテサラがうまい店、信用できる」。さらに同じく付け合わせのキャベツをもっこり箸に取り、口に入れる。「塩焼きのタレがしみて、ごちそうになっている」。

次はミックスフライの付け合わせのキャベツだ。ソースをかけながら「王道・ソース味も食べないではいられない」。これまたたっぷり箸に取り、豪快に口に入れる。「キャベツ大好き。キャベツがなかったら、俺はトンカツを食べない」。このセリフ、激しく同感! 私もトンカツを食べる時は、キャベツにもトンカツソースをたっぷりかけて残らず食べる。キャベツとポテサラ、いい中和剤だ

すっかり上機嫌になった五郎さん、「漁港の大衆食堂で、豚肉ライスにフライをつけてわしわし食べてる方が、伊勢エビ・サザエをちまちまと有難がってるより俺っぽいのかもしれない」。最後の豚汁を飲み干し、「あ〜食った食った。エビでブタを釣った気分だ。う〜ん」。そして一礼しながら「ごちそうさまでした」。


五郎さんは、食べる前の箸を両手で挟んでの「いただきます」と、この最後の「ごちそうさまでした」を欠かさない(しかも必ず一礼する)。これが私は好きだ。ものを食べるということは、その食材から栄養とエナジーを「いただく」ことだから、食べ物に感謝して、敬意を表して「いただきます」と「ごちそうさまでした」(五郎さんの場合は外食だから、そのお店に対する敬意もあるだろう)。

タイトルには「グルメ」とついているが、五郎さんが訪ねる店には高級店は一つもない。フツーの一般庶民が入る、庶民的な店ばかりだ。だから料金もさほど高くはない(ただ五郎さんはかなりの大食漢だから、フツーの人よりは高くついているが)この親しみやすさもこの番組の魅力の一つだろう。


ささやかな幸福感を漂わせる「孤独のグルメ」。Season6はあるんだろうか、あるならいつから始まるのかな。


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2016年01月01日

「現実は正解なんだ」:心に沁みた立川談志の金言

テレビドラマはめったに観ない私だが、昨年末に放映された「赤めだか」は、たけしが立川談志を演じるというので録画しておき、大みそかの夜に観た(私は紅白歌合戦はここ十数年観ていない)。7時過ぎから観た2時間半のドラマ、我が通常なら間違いなく途中で眠くなって寝てしまう時間帯だったのだが、あまりの面白さに最後までしっかりと観てしまった。


主人公は二宮和也演じる立川談春。高校を中退して立川談志に弟子入りし、住み込みで新聞配達をしながら落語の修行に励んでいる(といっても、前座の彼はほとんどが師匠の身の回りの雑多な世話に追われているのだが)

それでも入門から半年後の稽古で師匠にほめられ、いい流れになってきたと思いきや、風邪を理由に稽古を断って師匠を激怒させ、状況が一気に暗転。ついには築地の魚河岸(といってもシュウマイ屋)で1年間働かされる羽目になる。

シュウマイ屋の仕事に全く身が入らず、クサる談春。そこへもって兄弟子(二ツ目)の志の輔から、弟弟子の志らくが築地行きを断ったにもかかわらず破門にならなかったことを聞かされ、師匠に直談判すべく師匠宅に乗り込む。しかし2階で師匠に稽古をつけてもらっている志らくの噺を聞き、「こいつ・・・うまい」と脱帽する。

談志が志らくの噺を中断し、「よし、よく覚えたな。筋も悪くねえ」とほめる。ここで談志が、志らくの噺のネタであるやきもちについて語る。


「お前にな、やきもち、すなわち嫉妬とは何かを教えてやる。いいか、己が努力行動を起こさずに、相手の弱みをあげつらって自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活をすればそれで解決するんだ。しかし人間は、なかなかそれができない。嫉妬してる方が楽だからな。けどな、よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中が悪いのと言ったところで、状況は何も変わらない。現実は現実だ。その現状を理解し、分析しろ。そこには必ず、なぜそうなったかという原因がある。それが認識できたら、あとは行動すればいいんだ。そういう状況判断もできないような奴を、俺の基準では馬鹿という。


これが心に沁みた談春は、築地で働いている自分の現状を理解し、分析し、行動を起こす。売り子をしている時には噺家らしく立て板に水の口上を語り、配達も元気いっぱいにこなすようになる。そして1年後、晴れて師匠の下に戻る。その後はまた紆余曲折を経て、ついに他の前座3人とともに二ツ目昇進を果たす(これは相撲でいえば十両昇進のようなもの。前座の間は収入がまったくないが、二ツ目からは給金が払われ、師匠の身の回りの世話もなくなる)。ようやく一人前の噺家になった談春は、その後真打昇進も果たす。


この嫉妬についての談志の言葉は、私の心にも沁みた(要はこの言葉を書き記したくてこの記事を書いたのだ)確かに、不遇な現状に文句を言っているだけでは何も解決しないし、状況が好転することもない。「現状を理解し、分析する。そしてこうなった原因を認識し、行動を起こす」。これを冷静かつ謙虚に実行できれば、光明も見えてくるだろう。

この言葉は、今年から「あること」を始め、それで成功することで、自分が本当に歩みたい人生行路を進んでいこうとしている私にとって、最高の「金言」になった。この言葉を胸に、「基盤固め」となる今年、2016年を生きていこう。


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2015年09月08日

「日本のいちばん長い日」 (原田眞人・監督/脚本)

半藤一利氏の原作を読み、1967年の岡本喜八監督の映画を観たあと、「三部作」の締めとして公開中の原田眞人監督作品を観てきた。


いきなりこの映画を観た人にとっては、かなりのインパクトを受けた作品だったかもしれない。特に8月14日午前の御前会議における昭和天皇のポツダム宣言受諾の聖断から、翌15日正午の玉音放送に至るまでの「激動の24時間」における、放送の実現に向けて動く人たちと、それを阻止しようとする陸軍の青年将校たちとのせめぎ合いは見応えがある。

・・・しかし「二部作」を先に目にしている私にとっては、やや物足りなさを感じた。一言でいうと「総花的でメリハリが足りない」のだ(以下は、主に1967年作品との比較という観点で述べさせていただく)。


描くべきシーンが盛りだくさんの原作なので、それをなるべく多く盛り込もうとした狙いはわかる。だがそのためかそれぞれの場面の描き方が忙しく、場面の切り替えも早い。登場人物のセリフのやり取りにも、「間が短い」と感じたシーンが何度かあった。

たとえば森近衛師団長・白石中佐の斬殺、阿南陸軍大臣の自決、畑中少佐の自決のシーンは、作品中でもインパクトの強い場面なのだが、血を見る場面をあまりリアルに描きたくなかったのか、やや淡白な印象を受けた。斬殺したあと右手から軍刀が離れず、必死に指を一本ずつはがす上原大尉。この姿は、「ついにやってしまった」という衝撃と恐怖が鮮明に描かれたシーンなのだが、少しだけ触れてすぐに場面が切り替わってしまった。阿南陸相の割腹はこの作品の一つのクライマックスだが、これもちょっと迫力に欠けた(1967年作品では背後に義弟である竹下中佐と反乱軍の中心・井田中佐が控えていたが、今回はそれがなかったのも淡白さを助長してしまった)。最後の畑中少佐の拳銃自決も、1967年作品ではピストルをこめかみに持っていく時、黒沢年男演じる畑中少佐の腕はブルブル震えていた。最後の最後まで徹底抗戦を唱えて奔走していた彼が、ついに万事休して自ら命を絶つ。あの腕の震えは彼の激情を見事に表しており、強烈なインパクトがあった。しかし今回の松坂桃李は、落ち着き払ってこめかみにピストルを構え、撃つ瞬間はロングショットになっていた。やはりちょっとインパクトが弱い。「重要な場面はもっと時間をかけてじっくりと描いてほしかった」これが率直な感想だ。


・・・と、ここまでは批判ばかりしてきたが、1967年版と比較して興味深かった点が一つある。それは昭和天皇の描き方だ。1967年版での昭和天皇の登場シーン(主に御前会議)は、ロングショットで顔がはっきり見えなかったり、横顔だけだったりで、表情がリアルに描かれるシーンは全くなかった。これは、当時はまだ昭和天皇が存命であり、また時代も、「現人神」とまでは言わないものの、天皇への「恐れ多い存在」という意識がかなり強かったためと思われる。

しかし今回は、冒頭からいきなり昭和天皇の姿が映り、その後も御前会議の席上のみならずさまざまなシーンに登場する。演じた本木雅弘の受けたプレッシャーは大変だっただろうが、昭和天皇の当時の心境をかなりつぶさに知ることができ、これは意義が大きいと思う。


いろいろとケチをつけてしまったが、戦後70年の節目の年にこの作品が公開された、このこと自体はとても意義深いと思う。また当時の日本人の「国を思う心」がよく描かれており、この人たちのおかげで今の平和で豊かな日本があるのだ、ということを強く認識させてくれた。偉大なる先人たちに改めて敬意を抱かせてくれたという点では、十分に評価できる作品だった。

posted by デュークNave at 06:10| Comment(0) | 映画・TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする