2016年06月17日

舛添都知事辞職−正解だが、これも与党の参議院選挙対策の一環

舛添要一東京都知事が「やっと」辞職を表明した。これは2つの意味でぎりぎりのタイミングだった。

@ リオ五輪の閉会式に出席させないため

本人は最後まで「リオ五輪が終わるまで猶予をいただきたい」と粘っていたが、これは東京都民からすればとんでもないことだった。オリンピックという世界最大のスポーツの祭典、そのフィナーレを飾る閉会式での、次回開催地への五輪旗の受け渡し。世界中が注目するこのイベントに、公私混同で泥まみれになり、都民の非難ゴウゴウを浴びている輩が都を代表して出席するなど、「都の恥」ひいては「日本の恥」を全世界にさらすようなものだ。都民でありスポーツをこよなく愛する私にとってもこれは許しがたく、「ふざけるな、とっとと辞めろ!」と思っていた。

やっと辞めてくれたことにより、都知事選は7月14日告示・31日投票の運びになった。これで8月5日開幕・21日閉幕のリオ五輪に、ぎりぎりだが間に合う。「日本の恥」を世界にさらさなくてよかった…!


A 来る参議院選挙への悪影響を与党が懸念したため

7月10日投票の参議院議員総選挙。週明けの22日に告示を控え、選挙戦が本格化しようとしている。この最中に、与党・自民党と公明党が強く支持して当選した舛添氏がこのまま知事の椅子に座り続けることは、与党への非難が高まり、選挙にも悪影響が出ることが十分予想された。

自民党の都議連はそれでも日を延ばしたかったようだが、党の中央からの強い圧力がかかり、ついに公明党とともに不信任決議案を提出することになった。野党のみならず、与党も加わっての全会一致の不信任決議案提出。これは国政を含めても前代未聞の事態だった。


もしあのまま不信任決議案が決議され、都議会解散・選挙などという事態になったら、舛添氏はさらなる非難ゴウゴウを浴び、まさに「国賊」扱いされていただろう。このぎりぎりのタイミングで決断したのは、今後の自身の政治生命を考えてのことだったに違いない。結局この人は、最後まで自分のことしか考えなかったのだ。

この人については言いたいことは山ほどあるが、それを追及するとこっちも「泥まみれの世界」に引きずり込まれてしまうので、ここではやめておく。あとは引き続き文春さんあたりにお任せしよう。


さて、低レベルの騒動もとりあえずは決着し、来週からは本格的な選挙戦が始まる。ここからの3週間、私は「安倍政権にだまされるな、ごまかされるな!」と叫び続ける。ご興味のある方は、これからの「安倍政権NO!シリーズ」をご愛読下さい。

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2016年06月12日

「安倍晋三が<日本>を壊す この国のかたちとは−山口二郎対談集」

日本の将来を決定づけるかもしれない、「運命の参議院議員総選挙」の公示が1週間後に迫ってきた。今日から投票日の7月10日までの4週間は、主に日本の政治、特に「安倍政権のこれまでとこれから」について集中的に取り上げたい。

タイトルの著書は、法政大学法学部教授・山口二郎氏が、7人の識者と安倍政権について対談した内容をまとめたものである。それぞれの対談のポイントについてはおいおい述べるとして、ここではまず、その総まとめである「終章 民主政治の危機と好機」のポイントを紹介したい(≪ ≫は引用部分)。


≪このまま安倍政権の好き放題を許していては、戦後の民主政治と人々の生活が取り返しのつかないまでに破壊されるのではないか、2016年の参議院選挙でこれを止めることができなければ、この年は日本の民主政治にとってのポイントオブノーリターンになるのではないかという危機感が、すべての論者に共通している。≫


終章の冒頭に記されたこの文章。実に恐ろしい表現だが、これは決して大げさではなく、本当に今度の選挙はこういう「運命の分岐点」にあるのだ。

(「今日から4週間は安倍政権について集中的に取り上げたい」としたのは、この状況に1人でも多くの日本国民に気づいてほしいという強い願望があったからだ)


1 アベ化する世界−民主政治の世界的危機


≪他者に対する敬意を欠いた自己愛過剰の政治家が権力を奪取し、あらゆる規範や常識を無視して権力を行使することによって自分の目的を追求する、という現象を「アベ化」と名付けるならば、既遂、未遂を含めて、世界中でアベ化が進行している。≫


「アベ化」の典型例として著者は、アメリカ大統領選挙の共和党候補、ドナルド・トランプや、つい最近までイタリア政治を牛耳っていたメディア王・ベルルスコーニを挙げている。また欧州で極右政党が勢力を拡大しつつあることも、「アベ化」進行の一例と言えるだろう。


≪一連の現象は、民主政治の脆さを示している。民主政治はいくつかの壮大な虚構(fiction)あるいは建て前の上に成り立っている。人間は知的能力、経済力、情報量などにおいてさまざまである。それらに関する違いを一切無視して、すべての人間は平等であるとみなし、人々の投じた票を同じ価値として計量するというのは、フィクションの極みである。(中略)民主政治あるいは文明社会は、人間が他者と接する社内生活を営むときには劣情を抑え込み、崇高な性格を表に出すという建前の上に存在する。この前提が崩壊すれば、民主主義も崩れ去る。

≪建て前が成立するためには、さらにその下に前提条件があった。(中略)生活の安定がなければ、他社の尊重だの人間の尊厳だのと建て前を唱える余裕はない。(中略)グローバル化が世界を席巻したこの20年ほど、心身両面の基盤が破壊されてきた。(中略)このような状況では、民主政治の依拠する脆い前提の虚構性をあげつらい、人々の劣情を煽るところに政治的好機を見出すデマゴーグが出現するのも当然である。今、民主政治は1930年代以来の危機に直面しているということもできる。≫

≪こうした共通性の中で、さらに本家日本のアベ化の特徴は何か。
第一は歴史の忘却、あるいは自己中心的な捏造と建て前の否定が結びついている点である。(中略)憲法の縛りから自由な国家権力を現出させること(集団的自由権の行使容認はその典型)は、憲法の正当性を否定することであり、それが、アベ化の大きなテーマとなる。建て前の否定が、建て前の成立以前に存在していた古い国家形態の正当化と連動するのが安倍政権の特徴である。

第二は責任の不在である。(中略)日本の場合、権力を正面から振りかざして建て前を壊す、あるいは建て前を守ろうとする人々を抑圧するという形を取るとは限らない。むしろ、建て前を自発的に放棄するよう仕向けるところに権力を発揮することが多い。最近の放送メディアに対する威嚇はその典型である。(中略)報道だけではなく、学校や社会教育など様々な世界で、同調圧力による建て前の放棄という現象が進む。

もちろん、安倍政権が今までの自民党政権にないほど、直接的、恣意的に権力を行使していることは確かである。(中略)しかし多くの場合、人々は自発的に自由を制約しているのであり、命令の発出主体が見えないという意味で、権力の中心が空虚であるということもできる。責任不在の日本において、巨大な権力は中空構造に見えるというパラドクスがある。



さまざまなジャンルに有言・無言の圧力を加えている安倍政権。ただでさえ「失われた20年」で閉塞感と息苦しさを味わってきた我々日本人は、今さらに「政治的息苦しさ」を味あわされ、また自ら縮んでいる。このまま行ったら日本は、そして日本人はどうなってしまうのか。


2 日本の民主化というプロジェクトの途上


≪確かに、昔の自民党には派閥が跋扈し、反主流派は総理・総裁の足を引っ張った。(中略)しかし、派閥政治には金権腐敗という大きな害悪があり、これを克服するために1990年代に選挙制度改革や政党助成金制度を実現した。政党の中央集権化は、改革の際に意図した結果である。問題は、集権化された政党の上に、人口減少や経済構造の転換という本来の政策課題に対応する的確なリーダーシップが形成されているのではなく、時代錯誤的なナショナリズムを鼓吹する独裁的なリーダーが君臨していることである。

≪金権腐敗の派閥政治と決別したことは、これからの政治を考える際の前提である。新しい病弊に対してはその都度粘り強く治療を試みるしかない。(中略)今の安倍政権は、公明党との連立なしにはあり得ないものであり、昔の自民党政権と比べれば、脆い基盤の上に載っている。(中略)55年体制の崩壊という地点からの政治の動きを日本の民主化と見るならば、少しずつではあるが民主化は進んでいると評価することができる。

≪安倍政治は「逆行」である。(中略)しかし、民主化の中の一つの段階と考えるならば、この逆行を食い止めることについて、絶望感を抱かなくても済むだろう。
 前進と逆行のせめぎあいは今も続いている。2015年の安保法反対運動も、前進の動きの現れであった。この運動は、日本に新しい政治文化をもたらしたということができる。(中略)一言で言えば、民主主義を支える能動的な主体がようやく日本にも出現したということである。
 (中略)自民党政治は「公共的なるものへの無関心を伴った服従」の上に立脚してきた。(中略)自己の主張を圧殺したうえで、社会の多数派、主流派への同調を求めるという文脈で、公共性を重んじよという説教が行われたのである。
 2015年安保では、人々は自分たちが生きる社会にとっての公共性を自ら探し求めて、立ち上がった。(中略)集団的自衛権の行使や安保法制の制定は、安倍首相が自らの私的な願望を実現するために企てたものであった。その意味で、公共性を欠く立法であった。これに対して、人々は今の日本にとっての公共の利益は何かを考え、それを守るために行動を起こしたのである。(中略)議会や政党政治の外側における市民の運動が野党を変え、選挙協力を実現させたというのは、日本の政党政治の歴史の中でも、画期的な出来事である。



かつての派閥政治・金権政治はもうまっぴらだ。しかし、今の安倍独裁政治はそれ以上にひどい。私は生まれてこの方、これほど国家と国民を危ないことに巻き込もうとする政権は見たことがないし、これほど傍若無人に振る舞う総理大臣も見たことがない。私の知る限り、安倍晋三という男は「戦後最悪の総理大臣」なのだ。こんな政権にこれ以上力を与えてはいけない。来る参議院選挙では、野党同様我々有権者も、「反・安倍政権」で一致団結し、何としても安倍首相が目論む憲法改正を阻止しなければならない。さもないと、まさに「ポイントオブノーリターン」に追い込まれることになるのだ。

しかしシニカルに考えれば、こうして安倍政権がやりたい放題のムチャクチャをやったおかげで、SEALDsをはじめとする多くの若者や市民が政治に目覚め、行動を起こしたのだから、安倍強権政治、いや「狂犬」政治も悪いことばかりではないとも言える。後世の政治学者が今の時代を振り返った時、「安倍強権政治は、皮肉にも日本に真の民主化をもたらすトリガーとなった」と語ることになるかもしれない。

しかしそれも、今度の参議院選挙で改憲勢力に「3分の2」を与えないことが大前提だ。この選挙はまさに日本の将来の「分水嶺」なのだ。


ちょっと長くなったので、「3 よい社会のイメージを広げる」については後日述べさせていただく。

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2015年10月24日

「大異」を横に置いて「大同」につく 〜共産党・志位委員長の「国民連合政府」構想への期待〜

永田町に衝撃を与えた、日本共産党・志位和夫委員長の「国民連合政府」構想やや旧聞に属するが、毎日新聞10月15日付夕刊に掲載されたインタビュー記事のポイントをまとめながら、この構想の狙いと可能性に言及してみよう。


○「国民連合政府」構想を発表したのは、安保関連法が未明に成立した9月19日の午後。素早い動きだった。

志位委員長:急いだのは、国民の抗議行動がここまで高揚しているのだから、政党が次の方向をすぐに示すことが、国民の皆さんに対する責任であると考えたからです。


○この構想の狙いは。

志位氏:きっかけは2つありました。1つは国民の声。私自身、国会前の抗議行動に参加して「戦争法(安保関連法)を廃止してほしい」「安倍政権打倒のために野党はまとまれ」という痛切な意見に数多く接しました。もう1つは、今の政治が「非常事態」だとの認識です。立憲主義、平和主義、民主主義、全てが壊されつつある。従来は全選挙区に候補者を擁立する方針でしたが、非常時に同じ対応を続けていたら、国民の皆さんへの責任が果たせない。ここは共産党も変わらなければならないと考え、踏み切りました。


○最大野党の民主党内には、この構想への参加をためらう声がある。

志位氏:選挙協力に注目が集まっていますが、私たちの提案の一番の要は国民連合政府なんです。「戦争法廃止と立憲主義・民主主義の回復」「それを実行する国民連合政府」という国民的大義を明確に掲げてこそ、自民・公明を打ち破ることができる。選挙協力が本当に力を持つものになるためにも、野党が政権構想で一致することが大事なのです。

志位氏:新聞各社の世論調査では、個々の政策への反対は大きいのに、自民党の支持率は30%を超え、安倍内閣の支持率も4割くらいある。国民の目に、野党の強力な受け皿がまだ見えていないからです。自民党に代わる政権の内容を具体的に示せれば、政党支持率などの状況も変わってくるはずです。


○非自民連立政権の細川護熙内閣も民主党政権も、内部の理念の違いを克服できず分裂してしまった。

志位氏:国民連合政府には「戦争法廃止・立憲主義回復」という明確な理念があり、かつこの1点での合意を基礎にした暫定的なものであることを最初から明確にした政府です。実際の政権運営では、まず一致点で協力し、不一致点は横に置くことを原則にします。「小異」だけでなく「大異」も横に置いて「大同」につこうと。「欲張らない」ことが大切です。


○民主党を口説く勝算はあるか。

志位氏:先の国会で内閣不信任案を共同提出して共闘したように、戦争法案との闘いを通じて相互の信頼関係がつくられてきていると思います。誠意をもって粘り強く話し合っていけば、合意できる可能性は十分あると思っています。

国民連合政府は国民が主人公となって国を動かす一大壮挙となります。実現すれば、政治への信頼は必ず回復します。


志位委員長のこの構想とコメントには、共感できる点が多々ある。

1. 国民の声の盛り上がりを呼び起こした「政治の非常事態」

特定秘密保護法の時もじわじわきていたが、今回の安保関連法に際しての国民の反対の声はすさまじかった。SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy-s:自由と民主主義のための学生緊急行動)を中心とする若者たちの国会前での抗議集会やデモは数千人から数十万人規模に拡大したし、集会やデモは国会前に限らず全国各地に広がった。また参加する人々の年齢層も、若者のみならず中高年層にも広がっている。これまで政治に関しては「サイレント・マジョリティー:物言わぬ大衆」だった日本人が、ついに声を上げ始め、行動し始めたのだ(これは海外のメディアでも大きく取り上げられた)。

この国民の声の盛り上がりを呼び起こしたのは、志位委員長の指摘する「政治の非常事態」だ。国家機密の枠を広げ、国民の「知る権利」を制限する特定機密保護法。自衛隊の行動範囲を大幅に拡大し、日本を「海外紛争に加担する国」にする安保関連法。いずれも国家権力を強め、国民への圧力を強め、国と国民を危険な方向に向かわせかねない法律である。こんな悪法を、安倍首相に誰も反対しない閣議で決定し、国民の反対の声に耳を傾けず、国会での論議にも真摯に対応せず、数にモノを言わせて強引に採決して成立させてしまった。


大多数の憲法学者が「違憲」と断じた安保関連法を成立させたのは「立憲主義の崩壊」、国民の反対の声を無視するのは「民主主義の崩壊」、そして知る権利を制限し、国民を戦争に巻き込むのは「自由主義の崩壊」だ。


2012年12月の衆議院選挙で自民党が圧勝して政権交代した時、私は「いくら何でも自民党に勝たせすぎだ」という記事をこのブログに載せ(http://keep-alive.seesaa.net/article/308183207.html?1445629505)、「民主はボロ負けするだろうが、自民もそんなに勝っては困る。あまり勝つと、かつての『数の論理』での力まかせの悪政がまた復活するだろうから」とコメントした。そして今、この予言、というより悪い予感がズバリ的中してしまっている。

ただ私も、ここまでひどい暴政、やりたい放題をやるとは想像できなかった。この日本では「独裁」はそうめったに起こらないだろうと思っていたのだが、それがこうもあっさりと、しかもここまで猛威を振るうとは思っていなかったのだ。安倍晋三という男は、私、そして多くの国民の想像を絶する暴君だったのである。


「これ以上安倍首相の暴政を許すわけにはいかない」。いま全国に上がっている怒りの声は、日本の行く末への危機と、自分や子供たちの身の危険を敏感かつ切実に感じての「本能的な行動」だと思う。「今声を上げて安倍政権を倒さないと、国も自分たちも大変なことになってしまうぞ」という本能的な危機感の表れなのだ。


2. 「小異」だけでなく「大異」も横に置いて「大同」につこう:この実現を切望する!

「数」を与えてしまったがゆえに自民党が、いや安倍首相が大暴走してしまったことは、今や多くの国民が理解しているし、後悔している人も多々あろうと思う。この思いをもっとも効率的にかつ強烈にぶつける場は来年6月の参議院選挙だが、野党がまとまっていない今のままでは、「反安倍政権」の票が十分には選挙結果に反映されない。

「国民連合政府」構想を提示された民主党が共産党に「党名を変えろ」とかセコいことを言っているようだが、今はそんな細かいことにこだわっている時ではない。志位委員長が主張している通り、今は「安倍政権打倒」この1点のために大同団結しなければならないのだ。これが盛り上がっている国民の声をもっとも効率的にかつ強烈に吸い上げる唯一の方法だ。


党の方針だの政策だのはこの際わきに置いて、「国家の危機を防ぐ」ために手を組め。


これが多くの国民が野党に求めていることだろう。この国民の切実な声を肌身に感じることができるか。大きな視野と器を持って「『大異』を横に置いて『大同』につく」を貫くことができるか。今こそ、野党の度量が試されている。


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2015年09月29日

国民をナメとんのか、安倍首相! 〜国会「閉会」後の記者会見を聞いて〜

戦後最大95日の会期延長となった通常国会が27日、事実上閉会した。これを受けて安倍晋三首相が記者会見を行ったが、この人の「変わり身の早さ」に呆れてしまった。

首相は安保関連法案については、ほんの少し触れただけでさらりと流した。国論が二分されたことを「『戦争法案』というレッテルをはがしていきたい」と語ったが(この「レッテル」という言葉を何度も繰り返した)、それは本来国会審議の中で行うべきもの。しかし審議ではのらりくらりとかわすだけで、真摯にレッテルはがしをしようという姿勢は見られなかった。

こうして国中を大騒ぎさせた安保関連法案についてはさらっと触れただけで、話を経済・景気対策に持っていった。「1億総活躍社会」を目指し、担当大臣を置き、多岐にわたる政策を総動員するための「国民会議」を設置するとのこと。


しかしこれは、どうみても「目くらまし」としか思えない。国民にとって耳触りのいい景気対策を中心に持ってきて(しかも「1億総活躍社会」などという大仰なアドバルーンを上げて)、

「はい国民の皆さん、これから政府は皆さんの生活をよくするために頑張ります。だから安保法案のことは早く忘れてね。そんで来年の選挙(6月の参議院議員総選挙)の時は、また与党に投票してね〜」

これが安倍首相の本音であり、また狙いだろう。



27日朝のTBS「サンデーモーニング」の最後のコーナー「風を読む」では、この「安保関連法案のあとに経済・景気対策」というパターンを「デジャヴ・・・?」というタイトルをつけ、岸信介政権での60年安保〜池田勇人政権での所得倍増計画と関連させ、「いつか来た道」という視点で捉えていた。

しかし政権が代われば政策も変わるのは当然であることに加え、当時岸首相は「タカ派」、池田首相は「ハト派」と呼ばれており、政策の中心が安全保障から景気対策に転換したのはむしろ必然だったといえる。

ところが今回の安倍首相の場合は、同じ政権が続き、しかも「ウルトラタカ派」の人が政権をほとんど暴力的に引っぱっている中でのことである。こんな人が国民の生活の向上を真剣に考えているとは信じがたく、今回の「目指せ1億総活躍社会」政策は、どう見ても「国民に早く安保法を忘れさせるための『目線そらし作戦』」としか思えない。



「国民をナメとんのか!」


安保関連法案をめぐって全国で反対デモが巻き起こっても、安倍首相は「勝手に騒いでろ」とばかりにまったく涼しい顔をしていた。それが成立すると、何事もなかったかのようにまた涼しい顔をして、今度は景気対策で国民の機嫌取りをする。

こんなことにごまかされてはいけない。過去2度の国政選挙で与党に圧勝させてしまったために、こんな暴政がまかり通る事態を招いてしまった。この責任の第一は国民にある。野党がどんなに抵抗しても「数」で押し切られてしまうことが、今回の安保関連法案で改めて明白になった。そしてこの「数」を与えたのは、我々国民なのだ。

この暴政を止めるために我々国民にできること:それは今の怒りを持続させて(安倍首相が目論んでいる「忘れる」ことを決してせずに)、来年の参議院議員総選挙で「反・安倍政権」の票を投じることだ。「たかが1票、されど1票」。数に乗っかって傲慢極まる安倍政権に、市民の力を見せつけるためにはこれしかないのだ。


“Remember 安保関連法案”!

“Remember ゴリ押し採決”!



P.S. 9月20日のブログ記事に書いた、毎日新聞「浜矩子の危機の真相」へのネットからの投稿が、9月28日付の毎日新聞朝刊の「みんなの広場」面に掲載されました。毎日新聞ご購読でおヒマな方は(笑)、ご一読いただけるとうれしいです。

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2015年09月20日

「声なき声が声を上げる時」 〜「ゴリ押し」安保法案が「グローバル市民主義」を呼び起こすか〜

安保関連法案が「成立してしまった」。野党がどんなに抵抗しようともそれは引き延ばしにすぎず、時間の問題で成立してしまうことはわかっていたが、その「やり口」がまたえらく強引だったのにはあきれ返った。こんなやり方がまかり通り、それに異を唱える議員が与党内に全くと言っていいほどいないとは(安倍首相が自民党総裁選で無投票で再選されたことが改めてこれをはっきりと示した)。言うだけ言って、あとは「見ざる・聞かざる」を決め込む。もはや永田町、というより首相官邸と自民党本部だけが、「政治のガラパゴス化」してしまったようだ。

こう思っていたら、昨日付の毎日新聞のある記事を読んで、心に光明が差した。私が毎回愛読している「浜矩子の危機の真相」だ。

http://mainichi.jp/shimen/news/20150919ddm005070003000c.html

このすばらしいコラムに感激した私は、すぐさま毎日新聞のHPの読者投稿欄「みんなの広場」に投稿した(ネットから投稿したのはこれが初めて)。

≪9月19日付本紙、「浜矩子の危機の真相」に大きな勇気をいただきました。安保関連法案を「とんでもない強行姿勢」で成立させようとする与党に対し、国会周辺などで反対の声を高らかに上げる多くの市民たち。この姿に「ひょっとすると、今、我々はこの日本でグローバル市民主義が芽吹く瞬間を目の当たりにしているのかもしれない」と筆者。この流れは、単に安保法案だけではなく、今後もずっと続いてほしい、いや続けなければならないと強く思わされました。私も市民の一員として、自分のできる限りで行動し、意思を表明しようとの意を強くしました。日本国民よ、行動しよう!「声なき声」ではなく、勇気をもって自らの声を上げよう!≫

これまでも私はこのブログで、時たま政治の話題を取り上げてきたが、これからはもっともっと積極的に政治について語り、モノ申していこうと思う。自分にそう決意させてくれた浜教授に、大感謝!


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