2024年10月05日

「高市晋三政権」よりはマシだが…石破政権、「不信感・疑惑たっぷり」の船出

9月27日に投開票が行われた自民党総裁選で、石破茂氏が5度目の挑戦で念願の総裁の座に就いた。第1回投票でトップだった高市早苗氏を決選投票で逆転しての勝利だった。

石破氏は過去4度の総裁選では、「世論調査では国民の支持が高いが選挙では完敗」というパターンが続いていた。「党内野党」と呼ばれるほどの独自の政治信条を持ち、党内の支持基盤が弱かったからだ。それがなぜ今回は勝利できたかというと、決選投票で「高市氏にこのまま勝たせてもいいのか=早期に予想される解散総選挙で勝てるのか=自分の身は大丈夫なのか」という不安が、自民党の国会議員たちに広がったからだと言われている。

高市氏はいわば「安倍晋三の小判鮫」で、安倍政権の7年8か月の間首相にベッタリ張りつき、「安倍一強」の甘い汁をたっぷり吸ってきた輩だ。総務大臣時代、「放送事業者が政治的公平性を欠く放送をした場合は電波の停止を命じる可能性がある」と繰り返し述べた「停波発言」がその典型例だ。こんなコテコテの「安倍カラー≒国家主義」を持つ高市氏に政権を持たせたら、安倍時代の残像への嫌悪感が横溢している(裏金疑惑にも多くの安倍派議員が関わった)今の有権者からかなりの反発があるに違いない。そういう危機意識が決選投票というギリギリの段階で働き、自民党議員たちを石破支持へ転換させた。これが逆転の真相のようだ。

この「逆転の構図」、かつて見たことがある。2001年の自民党総裁選、橋本龍太郎と小泉純一郎の事実上の一騎打ち。下馬評は橋本氏有利だったが、先に行われた予備選(地方の党員選挙)で小泉氏が地滑り的勝利を収め、そのまま国会議員による本選挙でも圧勝した。

当時はその前の森喜朗内閣が首相の「神の国発言」の舌禍事件などで支持率が地を這っており、「このままでは直後の参議院選挙で勝てない」との危機感を抱いた自民党の幹部たちが「表紙替え」を目論んでの総裁選だった。「アンチ自民」の私は、「コテコテの自民カラーの橋本氏が総裁・総理になれば、参議院選挙で自民は大敗するな。これは楽しみだ」とほくそ笑んでいた。ところが下馬評に反して小泉氏が勝ったのを目にして、私は「自民党の議員って、こういうギリギリのところでの危機意識、ずる賢さ(=保身)をしっかり持ってんだな」と、感心するやら呆れるやらだった。

さて、こうして石破氏を総裁に選んで「崖っぷちでとどまった」「延命・生命維持装置」(佐高信さんの言)を発揮させた自民党だが、早くも暗雲が垂れ込めている。総裁に選ばれたとたんに石破氏が衆議院の解散時期に言及するという「フライング」を犯し(こういう発言は本来、国会で正式に総理大臣に選出されてから行うべきものだ)、1日に国会で首相に選ばれるとすぐに「衆議院9日解散・27日総選挙」を打ち出したのだ。早期解散は大いにありうると予想していたが、これほど早くに行うとは思っていなかった。

これを見ての私の率直な感想:「『党内野党』なんて言われたけど、石破さんも所詮は自民党の人なんだな」。このあまりに早い解散・総選挙は、岸田政権で地に堕ちた自民党への信頼・支持を「表紙替え」という常套手段で取り戻し、国会論戦などでアラが出ないうちに解散・総選挙に打って出るという、これまたコテコテの「自民党戦術」だ。「石破さんならひょっとして…」とほのかに期待していた有権者はこの露骨なやり方に嫌気がさしたのだろう、毎日新聞の世論調査での石破内閣支持率は、政権発足直後としてはかなり低い46%にとどまった(不支持率は37%)。また来る衆議院選挙で小選挙区でどの党に投票するかについては、与党25%・野党26%と拮抗している。「『高市晋三』内閣よりはマシだけど、石破内閣もほとんど期待できないな」私同様、こう失望した人がかなりいたことをこの世論調査は示している。

こうして「この先への不信感・疑惑たっぷり」で船出した石破政権。いきなりの総選挙でもし敗れたらどうなるのか? 世論調査では小選挙区での与野党の支持率が拮抗しているので、野党が候補者を統一して自公の候補者に対峙すれば、かなりの接戦になるだろう。コテコテの自民党選挙戦術、今回は功を奏するのか?(奏してほしくないけど)結果は早くも3週間後に出る。
posted by デュークNave at 03:23| Comment(0) | 政治・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月25日

国葬には、もちろん断固反対!

安倍晋三元首相の国葬が27日に迫っている。世論調査では国民の過半数が反対しているという状況下、岸田総理はどこ吹く風とばかりに受け流している。この直前になって中止はありえないので、このまま挙行と相成りそうだ。

この国葬、私は断固反対である。以下にその理由を簡潔に述べる。(こんな腹立たしい話は長々と書く気がしないから)

1.この人、国葬に値しない

元首相が国葬に付されるのは、吉田茂元首相以来だ。吉田氏は戦後の復興と日本の講和独立のために奔走した実績があり、この人なら納得がいく。しかし安倍氏にはそんな大きな実績はない。それどころか、森友・加計事件や桜を見る会事件に代表される不透明な問題が立て続けに起こった。在職中は大問題のオンパレードだったこの人を国葬だなんて、何かのブラックジョークか?

2.国葬に巻き込まれる多くの人たちと税金

「当日は喪に服することを強制しない」と岸田総理や自民党の中枢の人たちは言っているようだが、実際には中央のみならず、全国都道府県の官公庁の多くが日章旗を掲げるなどして、それなりの弔意を示す予定のようだ。葬儀そのものにかかる準備や手間ひまも膨大だろうし、多額の税金も投入される(16億円超)。国葬にすることによって全国的に多くの人たちが縛られることになる。ああ、息苦しい!

3.メディアの横並びをまた目の当たりにするかも

2012年12月に第二次安倍政権が発足して以来、この国はじわじわと「右傾化」している。右寄りの政治評論家が大手を振って闊歩し、政権御用メディアと化した大手新聞やテレビ局がヨイショ記事やニュースを乱発し、守旧派の雑誌が堂々と新聞広告を打つようになった。

そして国葬も、「なんだかヘンな国営放送」(NHK)を中心に、どのメディアもかなり大げさに中継するに違いない。でもこんなおバカは、もうここまでにしてもらいたい。もちろん私は見ないし、ニュースをチラ見するぐらいがせいぜいになるだろう。

我がド本音:ダーティーなキングメーカーがいなくなってホッとした

つまるところ岸田総理が国葬に決めたのは、安倍氏のあの衝撃の最期が直接の理由だと思う。もし安倍氏がフツーに天寿を全うしたのなら、その葬儀はこんな大仰なことにはならなかったはずだ(他の首相経験者と同様、自民党と内閣の合同葬になっただろう)。

こういう意味では安倍氏は、あの最期のおかげで在職時の悪業が一掃され(マネーロンダリングならぬ「キャリアロンダリング」?)、悲劇のヒーローとして日本政治史に名を留めることになるのか?…いや、自民党内部ではそうでも、世間は甘くない。私同様「それでも私は安倍を許さん」と思っている人が、この国には老若男女問わずたくさんいるはずだ。

さらに、こうも言える。2020年秋の退陣以来、安倍氏はかつての田中角栄や金丸信のように「キングメーカー」的に政権の背後に君臨していたという。私はその記事を目にした時、「あんな男がこれからもずっと政治の中枢を裏から牛耳っていくのか?」と暗澹たる気分になった。しかしそれがこの事件によって永久にストップすることになった。もちろんまだしばらくは安倍氏の「負の遺産」、影響力は残るだろうが、あのまま長々と君臨していられるよりははるかにマシだ。

今こういう意見をあからさまに述べる人はいないだろうが(「不謹慎だ!」と炎上するだろうから)、内心そう思っている人たちはかなりいると思う(「反安倍」だった人たちの多くはそうだろう)。

「ダーティーなキングメーカーがいなくなってホッとした。」

これが私のド本音だ。
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2021年10月24日

今どき「自由民主主義か、共産主義か」だって?

来たる31日投票の衆議院議員総選挙は折り返し点を迎えた。報道によれば、与野党逆転は難しいが、自民党はかなり議席数を減らし、立憲民主党や日本維新の会がかなり議席を伸ばしそうな様相となっている。

今回も野党は共闘戦線を張り、立憲民主党・日本共産党・国民民主党・れいわ新選組・社民党の5党が全国の小選挙区の7割以上で候補者を一本化した。まさに「小異を捨てて大同につく」戦術である。

前回(2017年)の総選挙では、緑の党への民進党の合流の申し出というまたとないチャンスを、緑の党党首(当時:現東京都知事)の小池百合子が「選別」という愚策を弄したために野党が分裂し、自民・公明の与党が漁夫の利を得る形で勝利した。今回の野党共闘戦線は、この時のあまりに苦い経験を踏まえてのことであり、野党が一枚岩になってどこまで自公政権に迫れるかが焦点になっている。

こうした中、毎日新聞の社説で目を疑う記述を目にした。自民党の甘利明幹事長がこの選挙を、「自由民主主義の政権と、共産主義が初めて入ってくる政権と、どちらを選ぶかだ」と強調しているというのだ。社説ではこれを受け、「レッテル貼りで争点をずらすのではなく、堂々と政策論争をすべきだ」と主張している。

わかりやすい表現を使ってアピールしようとしたのだろうが、それにしてもあまりに愚かな発言だ。だいたい野党連合が勝利して共産党が政権に参加したとしても、それでいきなり共産主義国家になるわけではない。かたや第2次安倍政権以降の自公政権を振り返ると、自由民主主義が聞いてあきれるような強権、いや「狂犬」政治を展開している。「桜を見る会事件」や「学術会議事件」はその「狂犬」ぶりの表れだ。

この「自由民主主義か、共産主義か」のレッテル、いつか見た光景だ。1989年の参議院議員総選挙で自民党が大敗し、与野党逆転が起こった。それを受けての翌年の衆議院議員総選挙では、日本社会党を中心とした野党が参議院選同様の「政権交代・消費税廃止」をスローガンに邁進した。一方の自公政権は、ピンチになった時のお決まりのキャッチフレーズ「民主主義か、社会主義か」を前面に押し出し、ほぼただこれだけをスローガンに選挙戦を戦った。結果はこちらでは与野党逆転までは至らず、与党はかろうじて政権を維持した。

この「レッテル貼り」、究極の危機の時の自民党の常套手段だ。しかしこんなやり方は、選挙民をバカにしているとしか思えない。それなりに政治の動向を見ている人なら、共産党が政権参加しても共産主義国家になどならないことはわかっているし、今の自民党が「自由民主」が空念仏にしか聞こえない強権政治を敷いていることも知っている。「国民をバカにしている与党政権をどこまで追いつめられるか。」今回の選挙の帰趨は、有権者たる国民の「状況を冷静に見据える目」にかかっている。

posted by デュークNave at 06:31| Comment(0) | 政治・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月07日

有権者の皆さんへ:せめて大きな選挙ぐらいは投票に行きましょうよ、「バランスの取れた社会人」であるために!

昨日は「悪夢の安倍政権」についての私見を少し遊びながら述べたが、今日はその続編。

(2)内閣人事局に首根っこを抑えられた?中央官庁:永田町と同じ「ムラ社会」

安倍「ええじゃないか政権」はこの通りのやりたい放題だが、そのあおりを受けて尻拭いに右往左往しているのが中央官庁だ。森友学園問題に関する財務省の公文書改ざんはその最たる例で、安倍首相の国会答弁(「自分や妻が関わっていたら総理も国会議員も辞める」と宣言した)につじつまが合うように保管文書を書き換え塗りつぶすという、前代未聞の怪事件だった(これによって自殺者が出たのは悲劇の極み。これを招いた安倍首相や、直接指示を出した佐川前国税庁長官は何の心の痛みも感じないのだろうか)。

中央官庁がかなり前時代的な組織であることは、元厚生省検疫課長の故・宮本政於氏が著した「お役所シリーズ」:「お役所の掟」「在日日本人」「お役所の御法度」で知っていた。国家公務員でありながら国のことはほとんど考えず、官庁内での己の出世と保身、内部の風潮と都合に合わせることにあくせくさせられる日々。典型的な縦割り組織で、官庁同士は国家のために連携するどころか、決められた国家予算からいかに多くを取ってくるかの「予算分捕り合戦」を毎年繰り広げている。宮本氏の「お役所シリーズ」には、こういう実態が赤裸々に綴られていた。

政治家はダメなら選挙で落とせばいいが、官僚に対してはそういうことができないので、役人の方々の自己変革に期待するしかない。だが「前例踏襲主義」がまだまだ根強いであろう官僚組織に、変革はほとんど期待できない。

こういう硬直した組織だから、安倍内閣によって「内閣人事局」が組織され、幹部職員の人事権限を内閣が強化したため、「己の出世と保身」に凝り固まった官僚たちは、これまで以上に内閣の言いなりになってしまっているのだろう。

もっともこの内閣人事局、ゼロから新しく創設されたものではなく、専門家の言によると「分散していた国家公務員人事制度に関する組織及び権限を、一つの組織に集中させ強化したもの」だ。総理大臣と官房長官が中央官僚の人事権を持つのは昔からのことだが、この組織再編によって権限を強めるとともに、この政権のもともとの体質(=安倍首相の性質)である「オレの言うことを聞く奴は〇、聞かない奴は×」を露骨に出して、幹部職員たちを牛耳っているようだ。制度や組織編成そのものには問題はないのかもしれないが、大権限を持つ2人がそれをブン回しているのがよくない。つまり運用方法が悪いのだ。

とはいえ、悪しき伝統を保ったままの中央官庁の体質にも問題は大だ。永田町と霞が関、それぞれのムラ社会で何が行われているのか、我々一般庶民は詳細には知ることができない。この2つのムラが、いつの間にか国と国民をヘンな方向に動かしているとしたら(実際、そのきな臭い気配は以前からあるのだが)…、これは危険だ。


(3)国民の皆さん、せめて大きな選挙には行きましょう!:「バランスの良い社会人」であるために

憲政史上最長政権となった安倍政権。ではなぜこれほどの長期政権になったのかといえば、国政選挙で勝ち続けたからだ。ではなぜ勝ち続けることができたのかといえば、安倍政権が何をやっても支持し、どんな状況であっても自民党に投票する「岩盤支持層」があったからだ。

「岩盤支持層」とは、もともとはアメリカのトランプ大統領を強固に支える層の呼び名であり、アメリカ国民の4分の1を占めるキリスト教福音派を中心としている。トランプ氏は大統領就任以来、国内のみならず世界をも揺るがす言動や行動を繰り返してきたが、氏が何を言っても何をやっても堅固に支持し続けてきたのが、この岩盤支持層だ。トランプ氏の支持率が低空飛行ながらも安定しているのは、ひとえにこの層があるためなのだ。
 
翻って、我が日本における安倍政権の岩盤支持層とは何か。これについて、私はかつてブログに記事をしたためたことがある(「賢明なる日本国民よ、賢い選択を!〜安倍政権NO!シリーズ Vol.2〜 2016年7月1日)。この記事で私は、安倍政権の支持層を@組織票 A「政治的思考停止状態」にある人たち B「野党がだらしないから」と消去法で選ぶ人たち の3つがあるのでは、と分析した(この分析はそれほど的外れではないと思っている)。このうち@組織票はまさに岩盤で、「動かざること山のごとし」だろうが、AとBは、政治意識が高まることで変わる可能性が十分ある。

A「政治的思考停止状態」にある人たち:「野球は巨人」のごとく、「政治は自民党」でずっと来た人たち。比較的年齢層は高いだろう。

皆さん、もう少しだけ政治を見てみませんか。愛するお子さんやお孫さんのために、この国の未来を真剣に心配してみましょう。憲法改正(≒改悪)をもくろむ今の政権にこの国の未来を安心して託せるかどうか、チラ見しただけでもわかるはずです。

B「野党がだらしないから」と消去法で選ぶ人たち:やむなく自民党に投票している人たち。投票に行っているのだから、それなりに政治意識は持っている人たちだ。

皆さん、大事な1票をもっと有効に使う方法があります。当選させたくない党の候補ともっとも激しく争いそうな候補に投票するんです。これを「戦略的投票」といいます。もし野党が連合して候補者を1人に絞り込んできたら、この戦略的投票は大きな威力を発揮します。

だが「政治意識が高まることで変わる可能性」が最も高いのは、「そもそも選挙に行かない人たち」だ。「自分の1票じゃ何も変わらないから」とハナから投票に行かない人が、有権者のほぼ半数を占めている(昨年の参議院選挙では、ついに投票率が50%を割り込んだ)。

しかし「たかが1票・されど1票」、「塵も積もれば山となる」である。こういう人たちがこぞって投票に行けば、状況は大きく変わる。特に彼ら彼女らが「戦略的投票」を意識して投票すれば、かなりのパワーになるはずだ。
 
だからこの「そもそも選挙に行かない人たち」に、私は強く訴えたい。

「皆さん、『バランスの良い社会人』であるために、ちょっとでいいから政治にも興味を持ちましょうよ。選挙にも行きましょうよ」と。

実はかく言う私自身も、すごく高い政治意識を持っているわけではない。国会が開会すると、安倍首相がいわゆる「所信表明演説」をするが、その全文を載せた新聞記事などほとんど読んだことがない。NHK「日曜討論」もめったに観ないし、国会中継もまず観ることはない(仕事中だから観れないし、「永田町の三悪人」を見たくないから 苦笑)。政治評論家でも政治学者でもない、単なる一般庶民にすぎないのだ。

ただ「社会に生きる者として、バランスの取れた人間でありたい」と心がけているので、政治についても、バランスを保つ一環として、ある程度の関心は持ち続けるように意識している。選挙も、大きい選挙(衆議院・参議院議員選挙、東京都知事選挙)は投票に行くようにしている(「都民ファーストの会」が大躍進した4年前の東京都議会議員選挙も投票に行った。あの「下剋上」は快感だったな〜)。

最後に改めて、日本国民(有権者)の皆さんにこう呼びかけたい。

「すごく高い政治意識までは持たなくてもいいですから、日頃それなりに政治を眺め、大きな選挙(国政選挙・都道府県知事選挙)ぐらいは投票に行きましょうよ。『バランスの良い社会人』であるために!」

posted by デュークNave at 09:31| Comment(0) | 政治・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月06日

安倍首相、”やっと”辞任:「悪夢の安倍政権」は終焉するが、この先も明るくはない

安倍晋三首相が辞任を表明した。8月に入ってから2度診察のため病院を訪れ、健康不安説がささやかれていたが、私は「世間の同情を買うためのパフォーマンスだろう」と高をくくっていた。なので突然の辞任表明には驚いた。しかし7年8か月の長きにわたったこの”超”長期政権は、この人を火種とする信じがたいゴタゴタがあまりにも多く、「やっと辞めてくれたか」が正直な思いだ。

私はこの春、現時点での自分の意見・見解をまとめた作品を書き上げ、「悪夢の安倍政権」についても1つの章にまとめた。以下に掲載する。


< このまま行って大丈夫か、我が母国・ニッポン >

ここ数年の政治の体たらくには、あまりのひどさに言葉を失う。
「政治について深く突っ込むと、腹の立つことばかりで精神衛生上よくない」これは万国共通だが、このまま行くと、行きつく先はまさに”Point of no return”(引き返しようのない地点)。
万事休すになる前に、言わずにはおられない。


(1)憲政史上最長・だが断トツ最悪の安倍政権:主犯は「永田町の三悪人」

2019年11月20日、安倍晋三首相は通算の首相在職日数で戦前の桂太郎首相を抜き、憲政史上最長になった(2,887日)。今はその「史上最長」を日々更新し続けている。世にいう「安倍一強」のなせる業である。

しかし何事も、長く続けばいいというものではない。桂首相は、最後の第3次内閣は、「閥族打倒・憲政擁護」を求める民衆の圧力によって、わずか50日で退陣に追い込まれた。安倍首相に抜かれるまでは戦後最長政権だった佐藤栄作首相も、長期政権の晩年にはワンマン化し、それが自民党内の反発を呼び、国民の内閣支持率も低迷し、最後はジリ貧の形で退陣した。

さて、今は「無人の野を行く」安倍首相はどうだったか。第二次政権発足後早々に公表した「アベノミクス」を好感して株価は上がり、為替も円安に推移したために大企業の業績は好調で、景気は大まかには好転した(ただあくまで「大まかに」であり、中小企業や我々ビンボー人にはほとんど何の恩恵もなかった。いわゆる「トリクルダウン」は起こっていなかったのだ)。

こうして出だしは「見た目には」よさそうだったのだが、その後は国会で圧倒的多数を占めていることをいいことに、「数の論理」で強引な政権運営を繰り返した。国民の「知る権利」をシャットアウトする、特定秘密保護法の制定。大多数の憲法学者が「違憲」と判断した集団的自衛権の容認・自衛隊の海外派兵を、「憲法解釈の変更」による閣議決定で強引に決定。一部の識者が「戦前の治安維持法の再現ではないか」と危惧した、「共謀罪」の制定。そして今は、安倍首相の宿願である「憲法改正」に、先の参議院選挙で「3分の2」を割り込みながらも、めげずにしぶとく取り組んでいるようだ。
 
この安倍「憲政史上最長」政権の強引な政権運営の中心にいるのが、安倍首相、麻生太郎副総理兼財務大臣、菅義偉官房長官である。私はこの3人を、黒澤明監督作品のタイトルをもじって「永田町の三悪人」と呼んでいる。黒澤映画の方の「三悪人」は、悪人どころか、主君の姫を敵の領地から同盟国に救い出した忠義者たちだが、「永田町の三悪人」は本当に悪いし、ひどい。

まずはここで、この「三悪人」たちのこれまでの大まかな歩みを、彼らを競馬のサラブレッドに模して追ってみよう。政治、特に今の政治を真面目に語ってもムカつくだけなので、3人を「3頭」にして、ちょっと茶化して遊んでみる(競馬ファンでないとようわからんかもしれんけどね 笑)。

アベノシンゾー号:母方の祖父はGT2勝馬。父は国内・海外で活躍し、数々の重賞を制した。GTを獲ることはついにできなかったが、GT2着を何度も演じ、中央競馬に大きな存在感を示した。その子のシンゾー号は、祖父と父の期待を背負って名門厩舎に入厩し、英才教育を施されて華々しく中央競馬界にデビュー。3歳最初のクラシックを制して早々とGT馬になったが、その後体調不良となって成績が低迷し、主役の座から陥落した。しかしこの雌伏の時を耐えてじっくりと地力をつけ、4歳時の年末の大一番・グランプリで後続を大差でちぎる圧勝劇を演じ、2つ目のGTを手にした。

その後はGTを連戦連勝、まさに無人の野を行く快進撃を続けた。しかしその内容は、ライバル厩舎が有力馬の出走を見送ったり、シンゾー号と仲良しの馬ばかりが出走してレースの真剣味が疑われるなど、かなりグレーがかった勝利だった。こうしてその強さに陰りが見えた頃に行われた5歳秋のGTでは、5歳牝馬コイケユリコウと4歳牡馬マエハラセイジーが有力な対抗馬と目されていたが、最後の直線であろうことかこの2頭が接触して失速し、漁夫の利を得る形でこの大一番を制した。

その後も主役の座を保ってはいるが、過去の数々の「不自然な勝利」が災いして、ファンの人気は思わしくない。

アソータロー号:母方の祖父・ヨシダシゲイルは、GT5勝、戦後間もなくの中央競馬界を支えた大功労馬だった。競走馬としての実績のみならず、種牡馬としても多くの優れた後継馬を輩出し、「ヨシダ学校」と呼ばれた。父も中央競馬で活躍し、その子のタローもこの系譜を継いで中央競馬界へ。国内外で数々の重賞を制したのち、6歳秋に待望のGT初勝利を挙げる。その後は一時低迷するが、8歳から再び復活し、GTで2着好走を続ける。9歳となった現在も、中央競馬界ナンバー2の地位をしぶとく保ち続けている。

ただ問題は、その気性難。重賞馬だったころから問題行動が多く、調教師や厩務員の手を焼かせた。特に厩務員を悩ませたのが、馬首をやたらふんぞり返らせる癖だ。調教やレースの時は他の馬と同じように首をもたげて走るのだが、それ以外の時はいつも首をふんぞり返らせ、鼻息が荒い。厩舎にいる時もこの姿勢のままで、飼い葉桶を出してもなかなか首をもたげようとしない。「俺様に食べてほしかったら、もっと桶を上げな」とでも言いたげなこの態度に閉口した厩務員が桶を高い位置につけると、ようやく鼻先を桶に突っ込んで食べるようになった。この傲岸不遜な気性はファンの間でもよく知られ、その実力は認められながらも、中央競馬界では「ヒール」が定番の役柄である。

(実在の競走馬では、皐月賞と菊花賞を制し、ダービーをハナ差で敗れたエアシャカールがタロー号に一番近いかもしれない。「準三冠馬」といっていい成績を残したが、主戦の武豊騎手いわく「サンデーサイレンス産駒の気性の悪さを全部集めたような馬」。かなりのじゃじゃ馬だったようだ。タロー号はさしずめ「老いてなおじゃじゃ馬」か)

スガヨシヒデ号:こんな馬の名前あるかと思うかもしれないが、かつてGTを3勝したビワハヤヒデという名馬がいるので、これもアリだろう。

ヨシヒデ号はシンゾー号やタロー号のようないわゆる「御曹司」とは違い、地方競馬出身だ。公営競馬で地道に実績を積み上げ、有力馬の調教パートナーから晴れて中央競馬に進出。ここでもじっくりと実力をつけ、5歳秋に重賞を初制覇。その後はGTに連続出走、常に掲示板を外さず、必ず馬券に絡む安定した走りを見せている。シンゾー号やタロー号のような派手なパフォーマンスはないが、大崩れしない安定感が持ち味だ。

しかしこの馬も、ファンの人気は芳しくない。盤石な走りは馬券の「軸」に据えるには最適だが、安定=無味乾燥のイメージが強く、レースぶりに面白味がないのだ。人間に対する態度も淡白で、目つきも冷淡なため、調教師や厩務員も扱いに気を使うし、ファンもあまり寄りつかない。存在感は十分なのだが、周囲を引きつけるチャームポイントに欠けるのが、この馬の大きな難点だ。

3頭のこれまで歩みを、大まかに振り返ってみた。ちょっと遊びすぎたかもしれないが、我ながらけっこう面白いものになったと思う。まさに3頭3様の歩みだが、この「不人気」3頭がトライアングルとなって「安倍強権政治」の中心をなし、思うがままに振る舞っている。「永田町の巨悪」の中心核となっているのが、この3頭なのだ。


私は第二次以降の安倍内閣を、「ええじゃないか内閣」と呼んでいる。「ええじゃないか」とは、江戸幕末の動乱の中で、全国各地で巻き起こったお祭り騒ぎのことだ。「世直し明神ええじゃないか 何でも壊してええじゃないか 何をやってもええじゃないか」と歌いながら、往来を民衆が踊り狂った。

この歌の文句、安倍政権そっくりではないか。「世直し」はまったくなされていないが(アベノミクスの「三本の矢」はほとんど成果がない)、「モリカケ問題」や「桜を見る会問題」などで政治家のモラルは地に堕ち、中央官庁はその尻拭いのために組織内部の秩序がガタガタになった。安倍長期政権は、政界も官界も「壊して」しまったのだ。

最後の「何をやってもええじゃないか」、実例のほんの一部を列挙する。

@ 首相のお友達をNHK会長にする/中立の国営放送なのに、首相批判をほとんどしなくなる:同会長退任後も、この体質は変わらず
A ネットに書き込まれた「保育園落ちた 日本死ね!」の悲痛なメッセージについて国会で問われた時、首相は「情報の出所が明らかではないので何も申し上げられません」と答弁/「女性活躍社会」のスローガンが聞いてあきれる冷淡な反応
B 「内閣人事局」の設置/中央官庁の幹部職員の人事権を内閣が握る:官僚のトップクラスが安倍政権の言いなりになり、後の公文書改ざんなどにつながる
C 森友学園問題/小学校の開校に首相夫妻ともども便宜を図り、「安倍晋三記念小学校」「安倍昭恵名誉校長」といった称号を受ける:「私や妻が関わっていたら、総理大臣も国会議員も辞める」と宣言、これが財務省での公文書改ざんにつながる。後に「『関わる』とは、収賄の明確な証拠がある場合のこと」と、自分の答弁を勝手に縮小解釈
D 加計学園問題/首相のお友達の大学の新学部創設を「総理案件」として後押しする:関係者は、書面には残っているのに「記憶にない」と逃げる
E 「桜を見る会」問題/税金を使って催される国家への功労者をねぎらうための会に、自分の選挙区の支持者を大勢招待する:公の行事の明白な私物化
F 政権寄りといわれる東京高検検事長の定年を、法解釈を恣意的に変えて延長する/検察の政治家への追及を弱める(≒封じる)腹積もりか

これは安倍首相が直接関わっているものだけをピックアップしているが、これだけ見てもいかに「やりたい放題」であるかがわかる。ここまでやられると、「ええじゃないかもええかげんにせえ」と言いたくなる。この惨状、安倍首相の総裁任期が切れる2021年9月まで続くのだろうか。それを思うと暗澹たる気持ちになる。


安倍政権のこれまでの歩みを振り返り、総括して、改めて思うことがある。安倍晋三という人は結局、「己の権力をできるだけ強大にすること」を何よりも優先して総理大臣をやってきた人なのだ。行政府の長でありながら、国や国民のことは二の次、三の次。常に念頭にあったのは、「己の権力をどこまでデカくするか」。

これまで私は何人もの首相を見てきたが、これほど国民に対して露骨に背を向ける総理大臣は見たことがない(これが私が安倍政権を「憲政史上最長・だが断トツ最悪」と断ずる最大の理由だ)。これまでの歴代の総理大臣は、内心はどうか知らないが、少なくとも表面的には、口先では、「国のため、国民のため」と語り、そう振る舞っていた。しかし安倍首相には、表面的でさえそんな素振りはほとんど見ることができない。定番の「真摯に、丁寧に、説明責任を果たして参ります」の言も、それを本当に果たしたことは一度たりともないので、この人の「真摯」「丁寧」「責任」は全くの空念仏でしかないことは、それなりに政治を見つめている国民なら皆わかっているのだ。

この「悪夢の安倍政権」(民主党政権より、こっちの方がはるかに悪夢だ!)も、いつか必ず終わりが来る。だが「ポスト安倍」に思いを巡らせた時、私はまた暗澹たる気持ちになる。こうして政権・内閣の権力が極大化してしまうと、その後の政権も同じようなことを続けるに違いないと思うからだ。権力者という「人種」は、一度握った権力を手放さないし、むしろさらに広げようとする性格を持っていることは、古今東西の歴史が証明している。「大権力」というハイウェイが一度できてしまうと、その後の首相や政権幹部たちも、我が物顔で気持ちよくこの道を疾走してしまうのではないだろうか。

「安倍一強」の今の自民党に、自浄能力はほとんどない。”Point of no return”を防ぐためには、「細分化」している野党が(かつて共産党の志位和夫委員長が提唱したように)大同団結し、「数には数」で対抗するしかない。しかし「立憲」と「国民」の両民主党が何やら細かいことでいまだに合同できない現状を見る限り、これも夢のまた夢だ。野党の皆さんたちは、本気で安倍政権を倒す気があるのだろうか。安倍政権によってこの国と国民がどんなに危ないところに連れていかれようとしているのか、真剣に考えているのだろうか。これにもまた暗澹たる気持ちになる。どうなる、ニッポン?


P.S. 新聞各紙の記者の方々に提案したいことがある。安倍首相が退陣したあとでいいから、「安倍語辞典」を編んではどうか(アベノミクスならぬ「アベノディクショナリー」か)。これまで安倍首相が使い、本来の意味とは違う活用をされている言葉の数々を、一冊にまとめてみてはどうかと思うのだ。さぞかし奇っ怪で面白おかしい珍辞典が出来上がることだろう(何せ「募る」と「募集する」は意味が違うという国会答弁をするお方なので 笑)

ただし呼びかけたいのは、安倍政権に対して正しい批判を続けている新聞に限る。もはや「安倍政権御用新聞=アベノニュースペーパー」に成り下がった新聞は、植木等じゃないが「お呼びじゃない」。体制に寄りかかっていない気骨あるジャーナリストの方々の、批判精神とブラックユーモアの宝庫となるであろう「安倍語辞典」の実現を、切に待ちたい。

(シンゾー号に限らず、タロー号やヨシヒデ号も入れて、「三悪人・意味改ざん語辞典」にすればもっと面白いかも。タロー号なんか暴言歴の宝庫だからなあ 笑)

posted by デュークNave at 18:11| Comment(0) | 政治・時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする