2026年02月23日

「国宝」"Final Watching":4回目の鑑賞で「最後の締めくくり」⇒ついでに不吉さも解消!

映画「国宝」の4回目の鑑賞に昨日行ってきた。

去年3回観に行き、その頃は原作の小説を読むのと同時進行だったので、読み終わったらもう一度観に行こうと思っていた(このブログにもそう書いた)。

しかし実際に小説を読み終わった時、「3度も観たのでストーリーはわかってる。あえてもう一度観に行く意味があるかな」と思ってしまい、かなり間が開いてしまった。

だが昨日たまたま自分のこの記事を目にして、「今のままでは中途半端だな。やっぱりもう一度観に行って『最後の締めくくり』をしよう」と思い立った。問題はまだ公開が続いているのかだったが、いつものTOHOシネマ池袋でまだやっていた。さっそくネットで席を予約し、出かけて行った。

10:45開始だったが、席に着くと周りの席がどんどん埋まっていった。前日の午後に予約した時はまだ周りの席は空席だったのだが、あのあとに予約が入ったことになる。去年の6月初旬に公開されてから8か月以上経つというのに、この盛況はすごい。たぶん私と同様のリピーターも何人かいるのだろう。

さて4回目の鑑賞を終えての感想だが、…正直、新たな発見や気づき、感動を味わったわけではない。映像のド迫力は変わらずすごかったが、改めて大きな感銘を受けた…とまではいかなかった(だが日本映画史上屈指の名作であること、これは間違いない)

しかし3度観た後に間が開いて尻切れトンボみたいになっていたので、「最後の締めくくり」をしたということでは意味があったと思う。

それと、「4」という数字は日本では縁起が悪い、不吉な数字と思われているが、海外では、"square"(四角)=安定につながるので好ましい数字と思われていることを何年か前に知った。それを知ってからは、以前は目にした時に「ウエッ」と思っていた4、特に4のゾロ目(44とか時計の4:44とか)をむしろラッキーナンバーと思えるようになった。

何せ欧米のキリスト教社会では不吉と思われている「13」も、ゴルゴ13ファンの私にとってはラッキーナンバーなんだから、これで4もその仲間入りさせれば、ほぼ怖いものなしだ(笑)。

(残るは「9」ぐらいのものだが、これも3×3=9(さざんがきゅう)だから、サザンオールスターズの一部ファン(知っていて歌える歌は一部しかないから)としては、むしろラッキーナンバーといえる。というか、そういうことにしよう)

要は「物は考えよう」ということだな。


posted by デュークNave at 04:34| Comment(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年02月01日

テレビのない生活:時間を奪われない快適さ

去年の暮れごろから、テレビをほとんど観ない生活が続いている。正確に言うと「テレビ番組を観れない」生活だ。

去年の12月上旬、DVDレコーダー・プレーヤーのリモコンの「決定」ボタンが機能しなくなった。これができないとテレビ番組の録画予約ができないし、録画した番組のディスクへのダビングもできないし、ダビング後にハードディスク(HD)に残っている番組の消去もできなくなる。これには困った。

私はテレビ番組をリアルタイムで観ることはほぼ100%ない。観る番組を厳選し、録画予約し、録画した番組を自分の都合に合わせて観るのが、我が番組視聴のパターンだ。

こうする理由はいくつかある。第一は、テレビの前にべったり張りつかねばならない拘束が嫌いだから。リアルタイムで観ると、トイレにも行けないし、飲み物を取りにも行けない。ちょっと集中力を欠いて見逃したり聞き逃したりすると困る。録画していれば、合間に何でもできるし、見逃し・聞き逃しも画面を戻せばいいから問題ないのだ。

第二は、もともと「ながら」の習慣がないから。「観てもいないのにとにかくテレビをつけておく」という人はいまだに世の中に少なからずいると思うが、私はこの習慣が30代早々になくなった。だからテレビを観る時間は、日本人の平均よりはもともと短いと思う。

第三は、民放の番組の場合はこれが一番の理由なのだが、コマーシャルがウザいから。とにかく邪魔でしょうがない。私が大好きなフィギュアスケートの番組は、呆れるほど頻繁にCMが挟まれる。録画して観ても、リモコンでCMをスキップするのがえらく面倒くさいのだが、これをリアルタイムで観ていたらどんなに煩わしく感じたことか、想像するだけでゾッとする。


こうして「少数精鋭視聴」を続けてきた私だったが、リモコンが故障したおかげでこれもできなくなった。正確に言えば、すでにディスクにダビングしている番組を観ることはできるのだが(リモコンの「再生」ボタンを押せばOK)、新たに録画予約することはできない。こうなると観ることができるのは、故障する前に録画予約していた番組だけになる。しかもこれらの番組は、HDに入ってもダビングができず消去もできないので、HDの容量がいっぱいになったら、その後は録画さえもできなくなるのだ。

そしてその時は、思ったより早くやってきた。去年の12月下旬、HDの容量がいっぱいになり、その後は録画がすべてNG。これで新しい番組をストックすることが完全にできなくなった。

それからは、以前から持っていたディスクの番組を、朝食や夕食の時(休日は昼食の時も)に観るのが常になった。逆に言えば、それ以外の時間にテレビ画面で何かを観ることがなくなったということだ。

この効果は思ったよりも絶大だった。朝夕の自由時間を録画した番組の視聴に「奪われる」ことがなくなり、時間を以前より格段に有効に使えるようになった。今年から始めた早朝の数々のルーティンワークはほぼ順調に実行できているし、夕方も、まだ満足した時間の使い方はできていないが、拘束がなくなったので、工夫次第でいろいろなことができるはずだ。

こうなってみると、テレビ番組は自分にとってさほど重要なものではなかったことに気づかされる。「なけりゃないで大したことはない」ということなのだ。この「サヨナラ、テレビ!」を奇貨として、他にも「なけりゃないで大したことはない」ものがないかチェックして、より自由時間を増やしていきたい。「自分で自分を縛る人生」これほど愚かなものはない!
posted by デュークNave at 05:01| Comment(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月02日

ちばてつや先生からの年賀状&返信年賀状

年賀状を出すのをやめて十何年になる私に、思わぬ新年のプレゼントがあった。

何と、ちばてつや先生から年賀状が届いたのだ!!!


ちばてつや先生からの年賀状.jpg

これはもちろん、去年私が出したファンレターにちば先生から返信のハガキをいただいたことがきっかけだが、まさか年賀状までいただけるとは思ってもいなかった。これは我が人生史上最高の年賀状&お年玉だ!

コーフン冷めやらぬまま、返信の年賀状を書いた。ちば先生の年賀状は、午年にちなんでチェスの駒・騎士(ナイト:Knight)を描いたお洒落なもの。それでは、競馬ファンである私も馬にちなんだネタでお応えしようと、私が一番好きなサラブレッド・サイレンススズカと武豊の写真のコピーを貼り付けた。我ながらなかなかユニークないいものに仕上がったと思う。


ちば先生への返信年賀状.jpg

年末年始にかけてちば先生からいただいた2枚のハガキで、我がモチベーションは大いに高まった。これを糧に、今年はやりたいことはどんどんやるエネルギッシュな年にしよう!
posted by デュークNave at 05:33| Comment(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月01日

2026年 書き初め「自灯明 法灯明」

何十年ぶりになるかとんと忘れてしまったが、書き初めをした。

去年の暮近く、ある人たちによっていやな思いをさせられたのだが、その時にこの言葉を思い出し、「よし、来年はこの言葉を常に胸に秘めて自分を奮い立たせよう!」と心に決めた。そして「ならば、来年(2026年)の書き初めにこの字を書いたらいいんじゃないか」と思いついたのだ。

(自己流なので、まるでヘタクソなのはご勘弁!)

2026書き初め「自灯明 法灯明」.jpg

「自灯明 法灯明」(じとうみょう ほうとうみょう)とは、お釈迦様の最後の遺言である。

自灯明:自分自身の心や経験、知恵を灯火(道しるべ)とすること。他人の意見に流されず、自分軸で生き、主体性を持って人生を生きること。

法灯明:仏の教え(ダルマ、真理、この世の法則)を灯火(道しるべ)とすること。自分自身の経験を超えた問題に直面した時、普遍的な真理に立ち返って判断すること。

「自分自身(自)と仏の教え(法)を灯火(よりどころ)としなさい。他を頼りにしてはいけない」という教えなのだ。言葉を換えれば、「主体性(自灯明)と普遍的な指針(法灯明)の両方を大切にし、他者に依存しない自立した生き方を実践せよ」ということである。

これは今年だけではなく、これからの我が残りの人生の中心に据えるべき根本思想だ。何かイヤなことや迷いごとに直面した時にこの言葉を思い出せば、冷静で適切な判断や処置ができるだろう。


自灯明 法灯明

自分の心の重心に据え、支えとしよう。
posted by デュークNave at 11:19| Comment(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする