2024年12月31日

2024年 回顧 〜弟の件で奔走した前半/資金繰りに苦しみながらも、年の瀬近くに見えた未来への希望〜

私にとって例年以上に波乱万丈だった2024年が今日で終わる。あちこち奔走した前半の6か月、そのしわ寄せで月々のキャッシュフロー回しに頭を悩ませた夏から秋、そして思いもよらぬ邂逅で未来への希望の光が見えた晩秋から初冬。この一年をざっと振り返ってみる。

1月は弟の成年後見人申請を家庭裁判所に提起するための書類作成や必要書類の入手に注力した。ソーシャルワーカーの方がおっしゃった通りのめんどくささで、必要書類の入手にギリギリまで四苦八苦したが、どうにか一通りそろえ、2月に帰郷して現地の家庭裁判所に申請した。幸いにも申請書類の記入漏れや記入ミスはなく、不足書類もなく、すんなり申請は受理された。

この頃心配の種だったのが、リハビリ病院は最長で6か月しかいられないので、それまでに受け入れてくれる特養老人ホームか老人保健施設が見つかるかどうかだった。去年の12月に帰郷した際に、市役所でこれらの施設すべて(全部で15か所)に入所申し込みをしたのだが、ソーシャルワーカーの方によると、ウェイティングリストにすでに100人ほど名を連ねているとのこと。「それじゃ6か月じゃとても空きが出ないんじゃないか」とかなり不安になった。

しかしラッキーにも、4月中旬に某老人保健施設から入所可能の連絡が入り、ホッと胸をなでおろした。そして4月下旬、弟はリハビリ病院を退院し老人保健施設に入所。その立会いのためにまた帰郷したが、とりあえずは一安心だった。

だがこの施設もいつまでもいられるわけではなく、最終的な居場所になる特養老人ホームへの入所を引き続き模索することになる。「ウェイティングリストにまだ何十人もいるんだろうから、入所できるのは相当先になるんだろうな…」と思っていたのだが、6月上旬に某特養老人ホームから現状問い合わせの連絡があり、下旬に入所できることになった。こんなに早く入所できるとは思ってもいなかったので、これは望外の喜びだった。またこの頃に裁判所による成年後見人の選任も終わり、現地での細かな手配は後見人に任せられるようになった。

そして6月下旬、弟は日本海沿いの某温泉地に近い特養老人ホームに入所した。もちろんこの時も立会い、特養老人ホームまでの移動タクシーにも同乗した。おそらくは終の棲家になるであろう(=ここからどこかに移り住むことを迫られない)特養老人ホームへの入所に何とかこぎつけ、ようやく心底安堵することができた。ここからはホームの介護士の方々や成年後見人にほぼバトンタッチになるからだ。

やっと重い肩の荷を下ろせたが、このあとが大変だった。去年の11月から8か月の間6度も帰郷し、そのたびに仕事を数日休み、往復の旅費とホテル代がかさんだ。私の今の仕事は日給月給制だから、休めばストレートに収入減になる。「収入を減らして支出が増える」これを8か月の間に6回も繰り返したのだ。当然我が懐へのダメージは大きく、幾度にもわたって会社に借金し、給料から分割で天引きされることになった。しかも分割払いが完済しないうちに新たに借りねばならなかったから、月々の天引き額は増えるばかりだった。

今思うと、よくあのきついキャッシュフローを回せたなと思うが、とにかく何とかやり繰りできた。そして本来は10月までかかるはずだった天引きを、1か月前倒しで9月までで終えることができた。懐はスッテンテンだったが、どうにかデフォルトせずに、この危機を切り抜けることができたのだ。

この9か月の奔走と資金繰りは、私にとっては何の利益もない、お金と時間と労力を費やすだけの日々だった。だが不思議なことに、これをすごく苦しいとは思わなかったし、誰かや何かに恨みがましい思いを抱くこともなかった。それはひとえに、自分の活動が人のため、まして血を分けた血族のためのものだからだ。他人のために行動することにほのかな心地よさを感じていたし、献身的に動いている自分をほめてやりたい気分にもなった。この「苦しいはずの中での心地よさ・満足感」は、これまでの人生ではほとんど味わうことがなかった気がする。この9か月は、経済的にはとんでもないマイナスだが、精神的には、後々にもいい余韻を残す、かすかだが心温まる日々だった。

そうしているうちに、晩秋のある日に思わぬ邂逅があった。これは現時点では詳しく語ることはできないが、あるすごい人と出会い、その人によってとんでもない世界を知り、今はそれに向かって、カメの歩みではあるが着実に進んでいる、という状況だ。

その「師匠」のおっしゃる通りであれば、未来への不安は一気に払拭され、自分の思い描いてきた「自由で解放された人生」が開けることになる。今はまだ疑心暗鬼が完全には拭えていないが、こうなったら師匠を信じてついて行くしかない。

来年の今頃は自分はどうなっているか。過去10年では期待も想像もできなかった発展が、ひょっとしたら起こっているかもしれない。一方「やっぱり夢幻だったか」と落ち込んでいるかもしれない。どうなるかは、すべて自分の行動次第だ。
posted by デュークNave at 16:21| Comment(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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