まさかこんなことが起ころうとは…! 一瞬ためらったのだが、やはり行動してよかった。「やらずに後悔するよりは、やって後悔する方がいい」とはよく言われることだが、昨日は「やって後悔」どころか、思わぬボーナスを受け取った気分だ。
数日前、私が購読している毎日新聞の社会面に、日本人初のメジャーリーガー・村上雅則氏の偉業をたたえる展示会が横浜市中区の横浜カントリーアンドアスレティッククラブ(YC&AC)で開かれている旨の記事が載っていた。「これはぜひ行こう」と、電車を乗り継いで1時間余、JR根岸線・山手駅から徒歩10分ほどの坂の多い道を、酷暑の中で汗だくになりながらYC&ACにたどり着いた。
展示会の場所はクラブハウスの中のレストラン。昼食は済ませていたので申し訳ないけど何のオーダーもせず、壁の展示物に見入った。村上さんがサンフランシスコ・ジャイアンツに在籍したのは1964年から1965年の2年間だが、当時のさまざまな写真や新聞記事、イラスト、出場選手のオーダー表など、初めて日本人メジャーリーガーを迎えたことがいかに現地にとってエポックメイキングであったかを雄弁に語る、貴重な資料がずらりと並んでいた。
そしてその中で、訪れなければ永遠に知らなかったかもしれないいくつかの事実を知った。村上さんは神奈川の法政二高出身で、かの柴田勲の1年後輩だった。法政二はエース柴田を擁して彼の2年夏・3年春の甲子園で夏春連覇を果たしているが、村上さんは控え投手として2年の時に選抜でリリーフ登板していて、優勝に貢献している。これはまったく知らなかったことだった。
さらに高校卒業後の進路を考えていたころ、南海ホークスの鶴岡一人監督(当時)が村上さんの実家を訪れ、本人がアメリカでプレーしたい希望が強いことを知り、「ウチに入ったらアメリカに行かせてあげるよ」と約束し、これが決め手になって南海入団が決まった。そして約束通り、2年目の春のキャンプ中に、ルーキー2人とともにサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1Aフラズノに野球留学という形で派遣された。そこで村上投手は好投し、晴れてメジャーに昇格し、1964年9月1日、ニューヨーク・メッツの本拠地シェイ・スタジアムで初登板を果たした。「初の日本人メジャーリーガー・マッシー村上」誕生の瞬間だった。この、村上さんがアメリカでのプレーを強く望んでいたということも全く知らないことだった。
(彼ら3人を「留学生」として派遣した南海とジャイアンツとの契約には、「メジャー昇格者が出た場合、1万ドルの金銭トレードで契約できる」という条項があったが、南海側は「まさかそんなことにはなるまい」と高をくくっていたようだ。それだけに村上さんのメジャー昇格は南海側にとっても衝撃的だっただろう)
こうしていくつかの思わぬ事実に驚きながら展示物を見回っていると、窓際のテーブルで談笑している一団がいた。全員日本人で、高齢者が多い。その中に、見覚えのある人の顔があった。見ると、サンフランシスコ・ジャイアンツのユニフォームを着ている。「えっ、もしかして村上さん?」思わずまじまじと見つめてしまった。そしてその一団の会話、特にそのユニフォーム姿の人の話を聞いていると、これは本人に間違いないと確信した。まさかご本人がいらっしゃっているとは…!
ただ知り合いでも何でもないので話しかけるわけにもいかず、遠巻きに話を聞くだけだったのだが、私のあとにやってきた2人のうちの1人が知り合いのようで、村上さんと談笑し始めたので、何気にその輪に入り込んで話を聞いていた。そのうちただ聞いてばかりじゃもったいないと思い、展示の写真を見ながらいくつか質問してみた。村上さんはそれに丁寧に答えて下さった。その後テーブル席についてまた談笑し、もう1人の人が持参していた色紙を1枚譲ってくださったので、村上さんの貴重なサインをいただいた:"First Japanese & Asian Player MLB SF Giants Mashi 10" さらにその色紙を持ってのツーショット写真も撮っていただいた。これは最高のお土産になった。
最後に村上さんに聞いてみた。「野茂英雄がメジャーに挑戦した1995年も村上さんはNHKの番組で解説されていましたが、今のMLBは当時より野球のレベルは上がっていますか?」村上さんはこう答えた。「球団が増えて選手の数も増えたせいか、野球をよく知らない選手が増えた気がするね」村上さんの頃や野茂の頃はメジャーリーガーのハードルが高かったが、逆に言えばそれだけハイレベルなプロフェッショナルが揃っていたということか。MLBプレーヤーとしての誇りを感じさせる一言だった。
それにしても、まさかこんなすばらしい時間を過ごせるとは思ってもみなかった。ただただラッキーだったが、これも意を決して行動したからこそ得られた至福の時間だ。これからも、やろうと思ったことはどんどん実行していこう。「やらずに後悔するよりは、やって後悔した方がいい」だ!
2024年09月15日
この記事へのコメント
コメントを書く