2012年07月28日

ひどく私的な「オリンピック史」 Vol. 8 (2004アテネ〜2006トリノ)

【 アテネ大会(2004年・夏) 】

1896年・第1回大会の開催地アテネに、108年ぶりにオリンピックが戻ってきた(今さらだけど、やっぱり1996年の100周年大会はここでやってほしかった。「金まみれ・スポンサーまみれ」のアトランタは白けたぜ)。

<日本選手>

アテネ大会の日本勢はメダルラッシュに湧いた。獲得したメダルは金16・銀9・銅12の計37個。これは地元開催だった1964年の東京大会の29個(金16・銀5・銅8)をも上回る、史上最多の獲得数だった。大会序盤の柔道(特に女子)や水泳で次々に好成績を収めたことが、「チーム日本」を勢いづけた。

まず柔道。男子は60キロ級で野村忠宏が前人未到の3連覇を達成。続く66キロ級でも内柴正人が初優勝を飾る。さらに最終日の100キロ超級では、鈴木桂治が重量級らしからぬ足技の妙を見せ、最重量クラスを制した。

しかし、続く女子はもっとすごかった。まず48キロ級で、「田村で金、谷でも金」と宣言した谷亮子が連覇を果たす。続く52キロ級では、横澤由貴が準決勝で前年の世界選手権優勝者・サボンに残り1秒で逆転の一本勝ち。決勝では惜しくも敗れたが、準決勝の劇的な勝利は強く印象に残った。

さらにメダルラッシュは続く。63キロ級では、「女三四郎」の異名をとる谷本歩実がすべて一本勝ちで初優勝(決勝戦を制し、コーチの古賀稔彦に体ごと抱きついたシーンが今も目に鮮やかだ)。70キロ級では上野雅恵、78キロ級では阿武教子が初優勝。特に阿武にとってオリンピックは、過去2大会(アトランタ・シドニー)ではともに優勝候補と呼ばれながら、ともに初戦で敗退したという苦い記憶がある。それを克服しての見事な金メダル、過去の彼女の苦闘を知る者はみな、もろ手を挙げて拍手したに違いない(私もその一人)。

そして最後の78キロ超級。塚田真希は決勝でポイントをリードされながら逆転の抑え込みで一本勝ちを決め、鮮やかなフィナーレを飾った。

女子柔道は、57キロ級を除いてすべてメダルを獲得(しかもすべて銀以上)するという空前の好成績となった。

さらに日本女子選手の活躍は続いた。今大会から正式種目になったレスリング女子では、48キロ級で伊調千春が決勝で惜敗したが銀メダル。続く55キロ級で、世界選手権2連覇中だった女王・吉田沙保里が圧倒的な強さで初優勝。さらに63キロ級では、千春の妹・伊調馨が決勝での接戦を制して初優勝を遂げた。最後の72キロ級では、浜口京子(父親は元プロレスラーのアニマル浜口)が準決勝で敗れたものの、3位決定戦を制して銅メダルを獲得。前評判の高かったレスリング女子は、4階級すべてでメダルを獲得した。

競泳では、注目の北島康介が100m・200m平泳をともに制して見事に2冠を達成。レース後の「チョー気持ちいい!」はこの年の流行語大賞に選ばれた。

競泳女子では、800m自由形で柴田亜衣が、失礼ながら「まさかの金メダル」。決勝のレースでは、柴田は力泳するものの先頭からはかなり離れた2番手であり、私は「メダルは取れるかもしれないけど、勝つのは無理っぽいな」と思って観ていた。ところが400mを過ぎたあたりから、トップとの差がターンするたびに縮まってくる。私は「おい、これはもしや・・・!」と画面に釘づけになった。そして最後の50mでついに抜き去り、優勝を遂げたのだ。この痛快な大逆転は「あっぱれ!」の一言である。

大きな話題になったのが、アーチェリー男子の山本博山本は学生だった1984年のロサンゼルス大会で銅メダルを獲得したが、その後低迷が続いていた。しかし2002年の釜山アジア大会で優勝して復活し、本大会でも粘り強い戦いをつづけ、準決勝でも僅差の接戦を制してメダルを確定させた。20年かけて銅から銀へとランクアップさせた山本の活躍は、「中年の星」と讃えられた。

陸上では、これも注目の男子ハンマー投げ・室伏広治が、アヌシュ(ハンガリー)との接戦に敗れたものの銀メダルを獲得。ところが試合後のドーピング検査をアヌシュが拒否したために金メダルを剥奪され、室伏が繰り上がりで金メダリストになった。これは陸上の投てき種目では、アジア初のオリンピックでの金メダルだった。

マラソンでは、女子で野口みずきが優勝、シドニーに続く女子マラソン連覇を日本にもたらした。野口は30度を超える猛暑の中、25キロ付近でロングスパートをかける。これに優勝候補のラドクリフやヌデレバがついてこれず、唯一粘ったアレムも28キロ付近で遅れ始め、野口の独走になる。残り10キロの下り坂に入ると、いったん脱落していたヌデレバが追い上げて2位に浮上し、野口との差を詰めたが、結局12秒差で野口が逃げ切った。シドニーでの高橋尚子と同様、自ら仕掛けてレースをリードする積極的な走りに私はいたく感銘し、大拍手を送った。

<外国選手>

この大会は上記の通り日本選手が多くの競技で大活躍したため、外国選手の印象がほとんどない。覚えているのは、男子マラソンで、トップを走っていたリマ(ブラジル)が35キロ付近で、奇怪な仮装をした男にコース脇に押し出された事件(この男、ヨーロッパのF1レースでもコースに侵入してレースを中断させた「前科」の持ち主だった。どうしてこんな輩を出入り禁止にしなかったんだろうか)。しかしリマはすでにこの時点でペースを落として後続に追い上げられており、あのアクシデントがなくても逆転を許していただろう。

<大会MIP:"Most Impressive Player">

28年ぶりに団体での金メダルに輝いた男子体操。かつては五輪5連覇を果たして「お家芸」とまで呼ばれていたが、連覇が途切れて以来、世界一の座をロシア(ソ連)やアメリカ、中国に明け渡していた。しかしこの大会は、塚原直也(「ムーンサルトの元祖」塚原光男の息子)、天才肌の米田功、あん馬の名手・鹿島丈博、そしてオールラウンドプレーヤーのエース・冨田洋之らを擁し、金メダルの有力候補と目されていた。

団体決勝では、第1種目のゆかで7位と出遅れたが、続くあん馬で鹿島らが高得点を挙げて3位に浮上する。その後の3種目でも接戦は続き、最終種目の鉄棒を迎えた時点では、1位ルーマニア・2位日本・3位アメリカの点差はわずか0.125という大接戦となった。

そして最後の鉄棒。トップのルーマニアは1人目と2人目が失敗。アメリカも技の難度を落として安全策に出たのが裏目に出て得点が伸びない。かたや日本は米田が9.787、鹿島が9.825と、この正念場で高得点を連発。最後の冨田が落下さえしなければ逆転優勝という状況になった。

エース冨田は、このプレッシャーのかかる状況でも動じずにいつも通りの演技。難度の高い離れ技・コールマンも鮮やかに決め、あとは着地のみ。NHK刈屋富士雄アナの「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」の名実況の中、冨田はピタリと着地を決める。こみ上げるようなガッツポーズを見せる冨田。得点は9.850、この日のすべての種目の中での最高得点だった。日本、28年ぶりの王座奪還の瞬間である。

私はこれを観ながら、28年前のモントリオール大会を思い出していた。この時も男子体操団体は規定でソ連に先行され、最後の鉄棒まで大接戦が続いたが、鉄棒で五十嵐久人・監物永三・塚原光男が高得点を連発して逆転の金メダルを獲得した。これと全く同じパターンで、まさに「体操ニッポンのDNA」のなせる業かと思われるような逆転勝ちを収めたのだ。この28年の空白をつなぐ不思議なリンクに、私はただ感動していた。


【 トリノ大会(2006年・冬) 】

この大会は日本選手の活躍が少なかったため、全体的に印象が薄い。オリンピックを「世界最高峰のスポーツの祭典を楽しむ」というスタンスで観ている私も、やはり日本人の血が流れている限り、同胞の活躍いかんが観戦態度を大きく動かすのは避けられないようだ。

<日本選手>

大会前のワールドカップシリーズで好成績を挙げ、メダルの期待が大きかったスノーボード・ハーフパイプ。しかしこの競技では、ワールドカップよりもエックスゲームズなどの賞金マッチがメインであり、ここを主戦場とするプロ選手たちがオリンピックに多数出場して上位を独占し、日本選手たちは予選落ちが続出するなど全く振るわなかった。

1984年のサラエボ大会以来6大会連続でメダルを獲得していたスピードスケートは、男子500mの及川祐、女子500mの岡崎朋美の4位が最高成績で、ついに五輪でのメダルが途絶えた。

また、1992年のアルベールビル大会以来4大会連続でメダルを獲得していたスキー陣もメダルが途絶えた。しかしアルペンの男子回転で皆川賢太郎が4位、湯浅直樹が7位に入り、1956年のコルチナダンペッツォ大会の猪谷千春(銀)以来のアルペンでの入賞を果たすなど、予想外の健闘を見せた種目もあった。

<外国選手>

スノーボード・男子ハーフパイプで圧勝したショーン・ホワイト(アメリカ)。エックスゲームズの盤石の王者であり、金メダルの大本命と目されての登場だった。そして見せた技の数々は、王者の名にふさわしいものだった。空中への高い飛び上がり、バランスの良さ、技のキレとスピード。どれをとっても他の選手を圧倒していた。勝つべくして勝ち、取るべくして取った世界一の座だった。

フィギュアスケート・男子シングルのエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)。ダイナミックかつ繊細な演技で順当に勝った。しかし彼の本領が発揮されたのは、メダルの重圧から解放されたエキシビションだった。特に最後のストレートラインステップは、まるでビデオの早送りを見ているのではないかと錯覚するような、ものすごいスピードとステップのキレだった(実況していたNHKの刈屋アナは、「こんなすごいのは見たことがありません・・・!」と嘆息を漏らした)。

フィギュアスケート・女子シングルのイリーナ・スルツカヤ(ロシア)。前回ソルトレイク大会では銀メダルを獲得、今回は優勝候補の筆頭と目されたが、最終滑走となったフリーでのミスが響き、3位に終わった。しかしその愛くるしい表情と流れるような柔らかな演技は、記録以上に記憶に残る選手だった。

<大会MIP:"Most Impressive Player">

フィギュアスケート女子シングルの荒川静香2004年のドルトムントでの世界選手権で優勝し、念願の世界女王の座に就いた(この時の荒川のフリーでの演技「トゥーランドット」は、彼女の最高演技と評価する人が多い)この達成感から一時は引退を考えたが、2年後のトリノ五輪を目指して再び始動、2005年の全日本選手権で3位に入って代表に選出される。

五輪本番では、SPで「幻想即興曲」をほぼノーミスで演じ、僅差の3位につける。そしてフリーでは、2年前の思い出の曲「トゥーランドット」の調べに乗って完璧な演技を見せる。ジャンプをほぼノーミスで決め、終盤ではトレードマークの「イナバウアー」を披露し、観衆の大きな拍手を受ける(この技は得点には全く影響しないが、荒川はのちに「思い入れがある技なので、オリンピックでぜひやりたかった」と述懐している)。この完璧な演技で自己最高得点を挙げ、逆転で冬季五輪スケート競技で日本女性初の金メダルに輝いた。

荒川が演じた「イナバウアー」は、この年の流行語大賞に選ばれた。体の柔らかさを生かした荒川のイナバウアーは、後ろへの反り返りが他の選手よりもはるかに大きく、観る者へのインパクトが強烈で、まさに「芸術品」だった。

posted by デュークNave at 10:40| Comment(2) | スポーツ-五輪・世界大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
Posted by アパレルの履歴書 at 2012年11月14日 23:47
アパレルの履歴書さん、コメントありがとうございます。

アテネの男子体操やトリノの荒川静香は、思い入れたっぷりに書きました。「好きなことは熱く語り、熱く書く」これが一番ですね!
Posted by デュークNave at 2012年11月15日 05:49
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