2012年07月22日

ひどく私的な「オリンピック史」 Vol. 3 (1984ロサンゼルス〜1988カルガリー)

【 ロサンゼルス大会(1984年・夏) 】

西側諸国がこぞってボイコットしたモスクワ大会のあとを受けるのが、西側のボス・アメリカという歴史の皮肉。今度はソ連をはじめとする東側諸国が、「選手の安全が保障されない」という理由でボイコット(しかしルーマニアだけはなぜか参加)。世界最高のスポーツの祭典・オリンピックは、2大会続けて「片肺」の大会になってしまった。

また、「商業五輪」の走りになったのがこの大会だった。8年前のモントリオール大会で多額の赤字を計上したのが影響し、この時の大会招致に立候補したのはロサンゼルスだけという不人気。開催を主導した南カリフォルニア五輪委員会は、テレビ局からの多額の放映権料と企業からのスポンサー協賛金を主な財源として、税金を全く使うことなく大会を運営した(メインスタジアムも、1932年の開催時と同じスタジアムを使った)。この結果、本大会は約400億円という膨大な黒字を計上し、その後のオリンピック開催人気に火をつけた。

<日本選手>

男子体操で具志堅幸司が個人総合とつり輪で優勝、森末慎二が鉄棒で団体規定・団体自由・種目別の3度の演技ですべて10点満点を出すパーフェクト優勝。柔道では無差別級で山下泰裕が、右脚にけがを負いながら悲願の金メダルを獲得した(決勝で対戦したエジプトのラシュワンは、山下の右脚を攻めなかったことで「スポーツマンシップの鏡」と称賛された)

しかし期待された男子マラソンでは、エースの瀬古利彦がレースの終盤で失速して14位に終わる。調整の失敗といわれているが、瀬古は時差が大きく気候も違うロサンゼルスにレースのわずか3日前に入っており、こういうギリギリのやり方が影響したんじゃないだろうかと個人的には思っている。

<外国選手>

女子体操でメアリー・ルー・レットン(アメリカ)とエカテリーナ・サボー(ルーマニア)が個人総合で熾烈な争いを繰り広げた。最後の跳馬で10点満点を出したレットンが優勝したが、個人的にはサボーの上品で可憐な演技の方が好きだったな(もっともサボーは団体総合と種目別の跳馬・平均台・ゆかで優勝しており、金メダルの数ではレットンを上回っている)。

この大会から初めて採用された女子マラソン。猛暑の中での過酷なレースを象徴したのが、ガブリエラ・アンデルセン(スイス)の「ふらふらゴール」。スタジアムに戻ってきた時から今にも止まりそうな走りだったが、トラックに入るとついに歩き始める。しかもその歩みも、体を左右に傾けながらの千鳥足。それでも執念か気力か歩みを止めず、ついにゴール。観衆の大歓声を受けた。

・・・でも正直、彼女をヒロイン扱いするのは変だなと思った。優勝したジョーン・ベノイト(アメリカ)はほとんど話題にならず、37位の彼女を大きく取り上げるのはどうなんだろう、と。事実アンデルセン本人も、「私よりも、最後まできちんと走ってゴールした選手たちをもっと取り上げるべき」と発言している。

(これはハルウララに騎乗が決まった武豊が「100戦以上も走って勝てない馬がGT馬より話題になるのは理解できない」と発言したのと同じだ。やっぱり変だよな)

<大会MIP:"Most Impressive Player">

やはり、陸上男子のカール・ルイス(アメリカ)。出場した100m・200m・走り幅跳び・400mリレーですべて優勝して4冠に輝いた。この人の業績については多言を要しないが、近年の陸上男子短距離選手の象徴と言っていい存在だろう。


【 カルガリー大会(1988年・冬) 】

<日本選手>

スピードスケート女子の橋本聖子実施された500m・1000m・1500m・3000m・5000mのすべてのレースに出場し、全種目で入賞を果たした。エリック・ハイデン(1980年・レークプラシッド大会で5冠を達成)と並び称することはできないが、スプリント種目から長距離種目までのすべてを高いレベルでカバーできる選手は極めてまれであり、究極のオールラウンド・スケーターといえるだろう。

(ただ、全種目に出場して入賞するよりも、出場レースを絞ってメダルを目指した方がいいのでは、という声もあったらしい)

スピードスケート男子500mの黒岩彰。4年前のサラエボでは、優勝候補と期待されながら10位と惨敗。その雪辱を期しての出場だった。抽選で決まったのは「4組アウトスタート」。これはサラエボでも同じだったし、その後の大きなレースでも4組アウトになることが多かった因縁のレース順だ。

さらにこの時レースが行われたオリンピックオーバルは、通常のリンクよりも直線が長く、その分コーナーのカーブがきつかった。アウトスタートの場合、バックストレッチでスピードが乗ったところで第2カーブをインコースで回るため、コースを回りきれずにはみ出てしまうことが多いが、このリンクではその不利がさらに大きくなっていた。

(抽選というただの運でイン・アウトの有利不利が分かれるのは不公平であり、1998年の長野五輪からは、500mはイン・アウト両方のスタートの2レースの合計タイムで競われることになった。しかし、このアウトの不利は素人目にも明白だったんだから、これはもっと早い時期に実施すべきだったと思う

黒岩はこの大きな不利を克服し、36秒77という自己ベストを出して銅メダルを獲得した。ちなみに1位・2位の選手はともにインスタート。2位と黒岩のタイム差はわずか0.01秒だった。「もし黒岩がインスタートだったら、間違いなく金メダルになっていただろう」とは、私でなくても思うことだろう。

<外国選手>

アルペンでは、ピルミン・ツルブリッゲン(スイス)の全種目制覇なるかが注目されていたが、滑降は制したものの、2種目めのアルペン複合(滑降と回転)で、ゴールさえすれば金メダルだった回転の2回目でまさかの転倒、野望は潰えた。

かわって現れたニューヒーローが、アルベルト・トンバ(イタリア)。当時21歳だった彼は、大回転・回転の2冠を制し、一躍スターダムにのし上がった。

ジャンプでは、「鳥人」マッチ・ニッカネンがまたも大活躍。70m級・90m級・団体のすべてを制し、五輪史上唯一の3冠に輝いた。

フィギュアスケートでは、男子シングルのブライアン・ボイタノ(アメリカ)とブライアン・オーサー(カナダ)の「ブライアン対決」に注目が集まった。フリーではオーサーがジャンプの着地でわずかに乱れたのに対し、ボイタノは「ナポレオン」の音楽に乗って完璧な演技を見せ、この大会不振だったアメリカ勢に初めての金メダルをもたらした。

(ちなみにオーサーはのちにキム・ヨナ(韓国)のコーチになり、2010年のバンクーバー五輪での金メダルに導いた)

フィギュア女子シングルでは、前回サラエボ大会の覇者・カタリナ・ビット(東ドイツ)が連覇を狙って登場。フリーではフィギュア史上の伝説となった「カルメン」を妖艶に演じ、ショートプログラム2位から逆転しての連覇を果たした。

(このカルガリーでのビットのカルメンは、いまだに私の中ではフィギュア女子フリーのベスト演技だ)

<大会MIP:"Most Impressive Player">

18歳の高校生だった、フィギュアスケート女子シングルの伊藤みどり。このカルガリー大会が初めての五輪出場だった。まだ規定演技のあったころで、これが苦手な伊藤は10位と出遅れるが、ショートプログラムで得意の高いジャンプとコンビネーションスピン、キレのいいストレートラインステップで4位に入り、総合順位を8位に上げる。そしてフリーでは、5種類・7回のトリプルジャンプをすべて成功させる完璧な演技で3位になり、5位入賞を果たした。

このフリーの演技では、興奮した観衆が演技が終わる前から立ち上がり始め、満場のスタンディングオベーションが彼女を包んだ。得点も、技術点で9人のジャッジのうち7人が5.9をつける空前の高得点。地元のテレビ中継のアナウンサーは彼女を「フライング・ウーマン」と呼んだ。

posted by デュークNave at 07:12| Comment(1) | スポーツ-五輪・世界大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
Posted by 履歴書の送付状 at 2014年06月18日 11:44
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