2012年07月21日

ひどく私的な「オリンピック史」 Vol. 2 (1976モントリオール〜1984サラエボ)

【 モントリオール大会(1976年・夏) 】

<日本選手>

レスリング・フリースタイル52キロ級の高田裕司の圧倒的な強さ、「ジャンボ白井」などを擁して圧倒的な強さで勝ち進み、決勝でも宿敵・ソ連をストレートで破り、ミュンヘン大会の雪辱を見事果たした女子バレーボールなどが印象的だ。

しかしもっとも劇的だったのは、男子体操の団体戦。エースで個人総合でも金メダル最有力候補だった笠松茂が本番直前に急性盲腸炎を発症して欠場。これが影響してか、団体規定は微差ながらソ連に続く2位となった。

さらに藤本俊が団体自由の演技中に足首を捻挫し、リタイアを余儀なくされる。当時の団体戦は6人中上位5人の成績がカウントされることになっていたが、藤本のリタイアにより5人の成績がそのままカウントされることになり、日本チームは誰一人ミスが許されないという苦境に陥った。

しかしこの土壇場から、日本選手たちは見事な演技を見せる。笠松の代役で出場した「7番目の男」五十嵐久人が、鉄棒で後方伸身2回宙返り(今でいう「スワンのダブル」)を鮮やかに決め、9.85の高得点をマークする。「スワンダブル」は今ではさほど難しい技ではないが、当時ではかなり高難度の技であり、まっすぐ伸びた体が弧を2回描いた映像がとてもきれいで、着地した瞬間「おーっ!」と思わず声を上げた。

そして鉄棒といえば塚原光男。得意のムーンサルトをまたもや決め、観衆の大喝采を浴びる。日本は自由演技でソ連を逆転し、オリンピック団体5連覇を達成した。

<大会MIP:"Most Impressive Player">

彗星のように、いや妖精のように現れた女子体操のナディア・コマネチ(ルーマニア)。当時14歳だった彼女は、驚くほど正確な演技で10点満点を連発した(満点が出たのはオリンピック史上初。2ケタ得点を表示できなかった得点掲示板は、「1.00」と表示した)。特に平均台の演技は、とてもあの狭い幅の台の上での演技とは思えないような宙返りやタンブリングを見せ(しかも着台も、体がまったく揺れない完璧なもの)、観る者を驚嘆させた。

(今思い出しても、あの平均台の可憐かつあまりにも正確な演技は、とても人間技とは思えない)

コマネチは個人総合・段違い平行棒・平均台で優勝し、その純白のコスチュームから「白い妖精」と呼ばれた。


【 レークプラシッド大会(1980年・冬) 】

<日本選手>

前回のインスブルック大会では惨敗した日本ジャンプ陣。しかしこの大会では、八木弘和・秋元正博というメダル候補を擁していた。そして70m級で八木が見事に銀メダルを獲得し、日の丸飛行隊の復活を果たした。

ただ個人的には、秋元選手にメダルを取らせてあげたかった。彼は70m級でも90m級でも本番直前の試技では大ジャンプを見せて絶好調だったが、本番では緊張してか本領を発揮できなかった。70m級では2回目に大ジャンプを見せたが、わずか0.5点及ばずに表彰台を逃した。

<外国選手>

アルペンでは、女子で大回転・回転の2冠に輝いたハンニ・ウエンツェル(リヒテンシュタイン:彼女の活躍で、ヨーロッパにこういう国があることを初めて知った)。また男子では、盤石の王者・インゲマル・ステンマルク(スウェーデン)が、当然のごとく大回転・回転の2冠を制した。

地元アメリカを熱狂させたのが、アメリカアイスホッケーチームだった。準決勝では、それまで五輪4連覇を続け、絶対の優勝候補だったソ連と対戦。前年からのソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、ジミー・カーター大統領(当時)が夏のモスクワ大会のボイコットを表明しており、これはアメリカの怨念がこもった一戦ともいえた。前評判はソ連の圧倒的有利だったが、地元の大声援の後押しを受けた若いアメリカチームが大健闘、第3ピリオドで逆転し、のちに「氷上の奇跡」と呼ばれた劇的な勝利を収めた。チームは勢いのまま決勝も制し、アメリカに20年ぶりの金メダルをもたらした。

<大会MIP:"Most Impressive Player">

500m・1000m・1500m・5000m・10000mの5種目全制覇を果たした、スピードスケート男子のエリック・ハイデン(アメリカ)。これは陸上でいえば800mの中距離選手が10000mでも優勝したようなもので、およそありえないことである。瞬発力と持久力を併せ持ち、それを世界最高レベルに保って初めてできることであり、距離ごとのスペシャリスト化が進んだ今では存在しえない、まさに「超人」である。


【 モスクワ大会(1980年・夏) 】

この大会のことなど、もちろん覚えていない。ソ連のアフガン侵攻に抗議して、アメリカ・日本をはじめとする当時の「西側諸国」のほとんどがボイコットしたため、大会そのものを観ていないからだ。

覚えているのは、大会前に選手たちが政府やJOCに抗議しているシーン。特にレスリングの高田裕司が、唇を震わせ、涙に濡れながら「一生懸命練習してきて、これで出られなかったら、何のためにやってきたか・・・!」と訴える姿は痛切だった(モントリオールで優勝し、この大会でも絶対的な本命だった彼の無念は、察するに余りある)。

スポーツが政治に翻弄されるもっとも悪しき例として挙げられるモスクワ五輪。「開催国がこんなことをすればこうなるのはわかっていただろうに、何てバカなことをやったんだ!」もともと好きではなかったソ連だったが、この1件でますます嫌いになった。


【 サラエボ大会(1984年・冬) 】

この大会の開催決定にあたり、札幌が立候補していたことを初めて知った。12年前の競技設備がほとんどそのまま使える札幌が最有力と目されていたが、施設をコンパクトに集約したサラエボが、決選投票で3票差で札幌を抑え、共産圏で初の冬のオリンピック開催を決めた。

<日本選手>

スピードスケート男子500m、北沢欣浩が銀メダルを獲得。しかしこのニュースを聞いた時、「黒岩彰の間違いなんじゃないのか」と思った。前年の世界スプリント選手権で総合優勝を果たした黒岩彰は500mの優勝候補に挙げられていたが、そのプレッシャーからか10位と惨敗。その直後に滑った北沢が会心の滑りで2位に食い込んだが、これははっきり言ってサプライズだった。私は北沢の銀メダルを喜び、祝福しながらも、惨敗した黒岩の心情を思う気持ちの方が大きかった。

<外国選手>

フィンランドの「鳥人」マッチ・ニッカネンキレのいい豪快なジャンプで、70m級で銀、90m級で金メダルを獲得。酒ぐせが悪いことで有名な彼だったが、その「飲んべ」を克服しての栄冠だった。

<大会MIP:"Most Impressive Player">

フィギュアスケート・アイスダンスで優勝したジェーン・トービルクリストファー・ディーンの英国ペア。そのフリー演技で披露した「ボレロ」は、「芸術品」の一言。フィギュアで使われる音楽はいくつかの曲をミックスすることが多いが、トービル・ディーンは「ボレロ」1曲だけを華麗に、かつ変幻自在に踊ってみせた。まさに魅惑の時間。そして得点は、芸術点で9人のジャッジ全員が満点の6.0をつけるという、空前絶後の高得点。この瞬間からトービル・ディーンの「ボレロ」は、フィギュア史上、そしてオリンピック史上永遠に語り継がれる「伝説」となったのである。

posted by デュークNave at 07:01| Comment(1) | スポーツ-五輪・世界大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
Posted by 株の初心者 at 2014年06月14日 11:21
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