映画「国宝」の4回目の鑑賞に昨日行ってきた。
去年3回観に行き、その頃は原作の小説を読むのと同時進行だったので、読み終わったらもう一度観に行こうと思っていた(このブログにもそう書いた)。
しかし実際に小説を読み終わった時、「3度も観たのでストーリーはわかってる。あえてもう一度観に行く意味があるかな」と思ってしまい、かなり間が開いてしまった。
だが昨日たまたま自分のこの記事を目にして、「今のままでは中途半端だな。やっぱりもう一度観に行って『最後の締めくくり』をしよう」と思い立った。問題はまだ公開が続いているのかだったが、いつものTOHOシネマ池袋でまだやっていた。さっそくネットで席を予約し、出かけて行った。
10:45開始だったが、席に着くと周りの席がどんどん埋まっていった。前日の午後に予約した時はまだ周りの席は空席だったのだが、あのあとに予約が入ったことになる。去年の6月初旬に公開されてから8か月以上経つというのに、この盛況はすごい。たぶん私と同様のリピーターも何人かいるのだろう。
さて4回目の鑑賞を終えての感想だが、…正直、新たな発見や気づき、感動を味わったわけではない。映像のド迫力は変わらずすごかったが、改めて大きな感銘を受けた…とまではいかなかった(だが日本映画史上屈指の名作であること、これは間違いない)。
しかし3度観た後に間が開いて尻切れトンボみたいになっていたので、「最後の締めくくり」をしたということでは意味があったと思う。
それと、「4」という数字は日本では縁起が悪い、不吉な数字と思われているが、海外では、"square"(四角)=安定につながるので好ましい数字と思われていることを何年か前に知った。それを知ってからは、以前は目にした時に「ウエッ」と思っていた4、特に4のゾロ目(44とか時計の4:44とか)をむしろラッキーナンバーと思えるようになった。
何せ欧米のキリスト教社会では不吉と思われている「13」も、ゴルゴ13ファンの私にとってはラッキーナンバーなんだから、これで4もその仲間入りさせれば、ほぼ怖いものなしだ(笑)。
(残るは「9」ぐらいのものだが、これも3×3=9(さざんがきゅう)だから、サザンオールスターズの一部ファン(知っていて歌える歌は一部しかないから)としては、むしろラッキーナンバーといえる。というか、そういうことにしよう)
要は「物は考えよう」ということだな。
2026年02月22日
百人一首( 99 〜 100 )
99. 人も惜し 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに もの思ふ身は
(後鳥羽院)
人がいとおしくも、また人が恨めしくも思われる。
おもしろくないものとこの世を思うところから、
あれこれともの思いをするこの私には。
100. ももしきや 古き軒端の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり
(順徳院)
宮中の古びた軒端の忍ぶ草を見るにつけても、
偲んでも偲びつくせないほど慕わしいものは、
昔のよき御代なのだった。
世を思ふゆゑに もの思ふ身は
(後鳥羽院)
人がいとおしくも、また人が恨めしくも思われる。
おもしろくないものとこの世を思うところから、
あれこれともの思いをするこの私には。
100. ももしきや 古き軒端の しのぶにも
なほあまりある 昔なりけり
(順徳院)
宮中の古びた軒端の忍ぶ草を見るにつけても、
偲んでも偲びつくせないほど慕わしいものは、
昔のよき御代なのだった。
百人一首( 97 〜 98 )
97. 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
(権中納言定家)
いくら待っても来ない人を待ち続け、
松帆の浦の夕なぎのころに焼く藻塩のように、
私の身もずっと恋いこがれていることだ。
98. 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける
(従二位家隆)
風がそよそよと楢の葉に吹いている、
このならの小川の夕暮れは秋の訪れを感じさせるが、
六月祓(みなつきばらえ)のみそぎだけが、
夏であることのしるしなのだった。
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
(権中納言定家)
いくら待っても来ない人を待ち続け、
松帆の浦の夕なぎのころに焼く藻塩のように、
私の身もずっと恋いこがれていることだ。
98. 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなりける
(従二位家隆)
風がそよそよと楢の葉に吹いている、
このならの小川の夕暮れは秋の訪れを感じさせるが、
六月祓(みなつきばらえ)のみそぎだけが、
夏であることのしるしなのだった。
百人一首( 95 〜 96 )
95. おほけなく うき世の民に おほふかな
わがたつ杣に 墨染の袖
(前大僧正慈円)
身のほどもわきまえず、
私はつらいこの世を生きる人々に
おおいをかけるのだよ。
この比叡の山に住み始めたばかりの
私のこの墨染の袖を。
96. 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
(入道前太政大臣)
花を誘って散らす嵐の吹く庭は、
雪のように花が降りくるが、
実は雪ではなく、真に古りゆくものは、
このわが身なのだった。
わがたつ杣に 墨染の袖
(前大僧正慈円)
身のほどもわきまえず、
私はつらいこの世を生きる人々に
おおいをかけるのだよ。
この比叡の山に住み始めたばかりの
私のこの墨染の袖を。
96. 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり
(入道前太政大臣)
花を誘って散らす嵐の吹く庭は、
雪のように花が降りくるが、
実は雪ではなく、真に古りゆくものは、
このわが身なのだった。
2026年02月21日
百人一首( 93 〜 94 )
93. 世の中は 常にもがもな 渚こぐ
あまの小舟の 綱手かなしも
(鎌倉右大臣)
この世の中は、永遠に変わらないで
ほしいものだなあ。この渚を漕いでゆく漁師の、
小舟に引き綱をつけて引くさまに、
身にしみて心動かされることだ。
94. み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて
ふるさと寒く 衣うつなり
(参議雅経)
吉野の山の秋風が夜ふけて吹きわたり、
古京である吉野の里は寒く、
寒々と衣を打つ音が聞こえてくる。
あまの小舟の 綱手かなしも
(鎌倉右大臣)
この世の中は、永遠に変わらないで
ほしいものだなあ。この渚を漕いでゆく漁師の、
小舟に引き綱をつけて引くさまに、
身にしみて心動かされることだ。
94. み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて
ふるさと寒く 衣うつなり
(参議雅経)
吉野の山の秋風が夜ふけて吹きわたり、
古京である吉野の里は寒く、
寒々と衣を打つ音が聞こえてくる。

